『こどもこそミライ―まだ見ぬ保育の世界―』
監督 筒井勝彦


 こどもと遊ぶのが上手だと僕がよく言われるのは、幼子から好かれ、一緒に遊ぶことをよく求められているからだろうと思うのだが、その理由というか秘訣は「禁止令によって叱られない」という一点にほぼ集約されるのではないかとかねてより思っている。危ないから止めろというのは余程のことでないと言わずに、危なくならないよう手を足すなり、要領を教えるなり、手の届く範囲の視野に置くなりして幼子のしたがることを何らかの形でさせてやるし、むしろ少し怖気づくようなことを提案し、こなす要領を助言しながら励ましてやらせたりするから、僕と遊ぶと達成感が手に入り、得意になれる場面が多くて楽しいのだろうと思う。

 県外在住ながら毎月のように会っている一番上の孫が僕と会うと夜は一緒に寝たがるので、寝かしつけながら話をしていたなかで、僕と遊びたがる理由を訊ねると「遊んでるときに、怒らないのと、楽しいから」と言っていたのは四歳の時分だが、要は、そういうことなのだろう。大人の手が足りているから1対1で余裕があって、しかも何の遠慮も要らない孫との関係で、親から文句を言われる心配もないので、そんなふうに向かうことができるけれども、保育という仕事の場面では、そのように対処することは非常に難しいのだろうと改めて思った。

 本作に登場する横浜・山梨・大阪の三つの保育園ともに、そういったなかにあって何とか“こどもの育つ力”を損なわずに育もうとする努力をしているように感じた。だが、園児たちにグループ討議をさせているりんごの木(横浜)での掴み合いの喧嘩になっても職員が直ちに止めようとはしない様子やら、野外保育に力を入れている森のようちえんピッコロ(山梨)での木板を乗せた簡易なシーソーがこどもたちの遊びのなかで跳ね上がって園児の顔を打って泣き出したりしている様子や命に別条はなくともこどもが高所から落ちて救急車で運ばれた事故のほか、恐らくはその奥深さゆえにと思われるものの言葉としては園長自ら「野外保育は素人なんです」と公言していたりすること、あるいは、障害児を含めた“インクルーシブ保育”に取り組んでいる保育所聖愛園(大阪)での少雨決行での剣尾山登山の様子などを見て、心穏やかにはいられない人々は少なからずいそうに思った。

 だが、それらを越えて、こどもたちが伸び伸びと力強く、活発に育っている姿をドキュメンタリーで捉えた本作に目を開かれる観客もたくさんいることだろう。管理教育の挙句に指示待ちばかりで課題解決力に乏しく、訳知りではあっても情緒が貧弱で依存と激昂でしか自己表出を果たせないこども達を作り出す“過干渉”をいかにして脱却するかは、かつてないほど少子化が進んでいる現在こそ、親も職業人も自己都合にかまけないで本気で取り組まなければならないことだと思う。利便に冒されて辛抱が足らなくなっているのは、実はこどもたち以上に大人であることを改めて教えてくれる作品だったような気がする。なかなか触発力に富んでいて、面白かった。

by ヤマ

'14. 8.21. 業務用DVD



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