『チョコレートドーナツ』(Any Day Now)
監督 トラヴィス・ファイン


 いい邦題だ。人が幸せな気分になれるのに必要なのは、好きな人と共につまむチョコレートドーナツほどのもので充分なのだけども、それが得られず、与えられないどころか、邪魔立てされることがいかほどに多いことか。

 1979年というと、僕にとっては自分が同時代を過ごした頃のことだから、そんなに遠い昔の話ではないし、問題の本質は今なお何ら変わらない気がする。要するに、力ある者における面子問題になると、本末転倒して、とんでもない理不尽がまかり通ってしまうということだ。

 法廷は、本来的には、法曹間の勝敗や面子といったものが価値の最上位に置かれてはならない場所だが、とりわけ社会的に軽んじられる者の問題になると、いとも簡単に本末転倒するのだろう。法廷で同性愛者の弁護士ポール(ギャレット・ディラハント)が指摘していたように、問われるべき主題は、扶養者のいない14歳のダウン症児マルコ(アイザック・レイヴァ)のより良き処遇のはずなのに、原告たるゲイの芸人ルディ(アラン・カミング)に監護権を付与するべきか否かが焦点となり、最終的にはポールに面子を潰されたと思っている検事局の元上司ウィルソン(クリス・マルケイ)まで加担しての“決着”がはかられ、とんでもない事態へとつながっていく。マルコにとっての危うさよりも、ルディに監護権を与えずに黙らせることのほうが重要になっているのが明白だった。

 証言に立っていた特別支援教育の教員ミス・フレミング(ケリー・ウィリアムズ)や心理判定員と思しきミス・ミルズ(ミンディ・スターリング)たちの率直な判断を邪魔立てしていたものが何だったかを思うだに、やりきれない。ゲイの若造弁護士ごときにホモ芸人への監護権付与問題で負けるわけにはいかないとなった公選弁護人ランバート(グレッグ・ヘンリー)の“勝つためだけのために手段を選ばない遣り口”には本当に呆れたが、ありそうなことのような気がした。結果として何がもたらされるか先のことは不明なのだから、目前の勝敗が全てで、勝つことこそが有能の唯一現実的な証だと思っている輩は、ランバートやウィルソンらの法曹に限らず、数多いるのだろう。決定的な引導を渡し得たことに得意気なウィルソンのほくそ笑みと指差しには虫唾が走る思いをした。

 だが、そのようなものから人々が解放される日が来るとは思えない人の世だとも思う。今も、いつの日も。だからこそ、ルディを演じたアラン・カミングがエンディングで熱唱していた♪I Shall Be Released♪が胸に迫ってくるのだろう。それにしても、アラン・カミングのニュアンス豊かな表情は見事だった。名演だと思う。






推薦テクスト:「映画通信」より
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推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
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by ヤマ

'14. 7.21. あたご劇場



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