『少年H【上・下】』を読んで
妹尾河童 著<講談社>


 映画を観たことをきっかけに長男の書棚にあった十五年前の文庫本を手にしてみた。のらりくらりと読み終える間に、妹尾河童とほぼ同い年となる山田洋次監督の小さいおうちを観る機会もあって、太平洋戦争前夜からの日本を肌で知る世代の人々が、時代の証人として継ぐべきものとしていることへの想いの真摯さに打たれるところがあった。

 十七年前の本書の刊行というのは、前年1996年の「新しい歴史教科書をつくる会」の結成に対する問題意識から行われたものではないかと推察しているのだが、当時でも、おそらくは戦後半世紀を経ての風化ないしは変容に対する強い危機感があったのだろうが、それでもまだ現在ほどの現実感を伴うものではなかったような気がする。

 ただ自由主義史観なるものが堂々と出てくるようになったことのインパクト自体は相当に強烈で、著者が回顧録的な自伝を綴ることよりも、敢えて小説としての虚構性を宣言することで、自身の記憶のみに頼ることを捨てて当時の資料に当たり、細部の正確性を担保するよう心掛けている節が随所に窺えるような気がした。

 軍事機密法の呆れるばかりの馬鹿馬鹿しい運用加減の出鱈目ぶりについての言及が執拗なまでに重ねられているが、当然ながら、本書刊行当時は特定秘密保護法なんぞは立法化されておらず、この法律を意識しての著作ではないだけに、却って訴求力には強いものがあるように感じた。

 昭和5年生まれの少年Hが中学一年生の夏までの上巻では、「愛」「『三つの宝』」「アラヒトガミ」「軍事機密」「十二月八日」が印象深かった。また、「欲しがりません勝つまでは」の章に、旧仮名遣いの廃止や横書き文字の左始まりが戦後ではなくて、戦中の文部省通達からであることが記されていて、大いに驚いた。

 中学卒業までの下巻では、「焼け跡」「友だち」「捕虜」「ドイツ無条件降伏」「一人一殺」「原子爆弾」「ポツダム宣言受諾」「銃の埋葬」「進駐軍通達」「MIカービン銃」「壁の目玉」の各章が印象深く、国家というものが如何に信用ならないかが切々と実証的に綴られていたように思う。

 やはり、今こそ映画化されるべきで、再読されるべき作品だったんだと改めて思った。
by ヤマ

'14. 2.24. 講談社文庫



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