『同棲時代 今日子と次郎』['73]
『新・同棲時代 愛のくらし』['73]
監督 山根成之

 『同棲時代 今日子と次郎』での由美かおるの全裸の見返りヌードが眩しい立像ポスターは、当時、一世を風靡したもので、今なお鮮烈に覚えているが、映画作品そのものを観るのは、今回が初めてだ。

 今日子という名の示す今日性として、当時の若者において、厭世感や刹那主義があれだけ馴染み深いものだったということについては、彼らの六歳年下で、ほぼ同時代を生きていた僕の実感からすると、いささか浮いた感じがしなくもないが、若いときの六歳差はというの大きいものだし、ある層において強いシンパシーを覚えたであろうことは、ほぼ同時代を生きていた者として容易に察しがつく。

 21歳の飛鳥今日子(由美かおる)の破瓜の血の滲みと、アパートの隣室に住む五十嵐澄江(ひし美ゆり子)の吐血を敢えてイメージ的にダブらせているように映ったショットの思惑は何だったのだろうかと振り返ると、やはり“女と死”ということに思いが誘われているような気がしてならなかった。十代のころ、フランス語で“小さな死”とも表現されると教えられ、まだ見ぬ“女性の絶頂”というものに対して、言語イメージで掻き立てられた妄想のことを思い出してしまった。

 22歳の江夏次郎(仲雅美)の愛唱していた歌が『ゴンドラの唄』だったりするところに余計に死の影を僕が感じていたのは、やはり黒澤作品『生きる』['52]の影響抜きには語れないところだが、今日子に結婚を申し入れた勤め先の社長(入川保則)の母親の通夜弔問からの帰りを待ち受けていた次郎が、小さな公園のブランコに乗りながら口ずさんでいる場面に至って、作り手がこの歌に託していたものもまさに生きるに通じる“死”のイメージだったのだと思った。

 それにしても、次郎の無責任とも思える思慮のなさは、独白的に想いばかりを巡らせる今日子との対照のなかで、ある種普遍的な若き男女の差異を感じさせるのだが、次郎への同棲の申し出にしろ何にしろ、彼との関係で主導的ポジションを占めてきたのは、常に今日子だったように見えて、結局、女は男に引き摺られるものだと言わんばかりにしてあったラストは、何だか随分と安っぽく、企図していたであろう“哀しみ”が浮かび上がってきているようには思えなかった。

 とはいえ、当時22歳の由美かおるの乳房の張りの何と見事なことか。三度の堕胎を経た同棲の果てに入籍して半年で労咳に逝った澄江が、遺影とも言うべき残像を刻もうとでも覚悟したかのように、夫の求めた緊縛鞭打ちプレイに応えるべく全裸になった場面でのひし美ゆり子の裸身とが、僅か三歳違いにはとても思えなかった。


 前作のヒットを受けて製作されたと思しき『新・同棲時代 愛のくらし』には、『~今日子と次郎』のような死の影が微塵もないのが妙に印象深かった。シリーズのタイトルになっている“同棲時代”という言葉は、当時、流行語になったような気がしているが、今では何のこともないことながら、当時はまだ不埒なこととして人目を憚るものだったような覚えがある。

 流行語と言えば、武男(本郷直樹)にせびって貰った煙草を二つにちぎって半分だけ吸った浮浪者が、映画のなかで「今日も元気だ たばこがうまい!」と、最初の一服のあとに言った台詞を聞いて、そう言えば、僕らも学生時分によく言ってたなぁと懐かしく思い出した。調べてみると、専売公社時代の宣伝コピーのようだが、僕の生まれる前年のものだと知って驚いた。十五年以上も親しまれる流行り言葉というのは、現代では、もう生まれなくなっているような気がする。

 それはともかく、死の影がなくなった分、ますます作品的には凡庸になっていて、夕雨子を演じた高沢順子の美脚を愛でるだけのような映画だったように思う。脚と言えば、武男の普段着が常にGパンに下駄履きだったのも、この当時ならではの風俗だったような気がする。


by ヤマ

'13. 5.28 & 31. ちゃんねるNeco録画



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