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『苦役列車』を読んで | |||||
西村賢太 著<新潮社>
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馴染みの薄い少々古風な言い回しと現代的な「い抜き言葉」が混在した癖のある文体で、いかにも現代的な明け透けな語り口で綴られる19歳の若者の屈託を描き出した表題作と、それからの二十余年後と思しき四十男の作家になっている北町貫多を描いた『落ちぶれて袖に涙のふりかかる』からなる作品を読みながら、映画化作品は先に読了した『少年H』同様に、なかなか巧い脚色が施されていると思った。 確かに19歳のときの北町貫多に原作では何らの“始動”は描かれていなかったし、正二や高橋のおっさんといった人との出会いによっては何ら変わることがなく、あくまで彼を動かすのは“私小説作家、藤澤C造”でなければならないから、原作では「別の荷役会社に移ってはいたものの、やはり日払いの立前を頼りに、辛うじて露命を繋いでいた状況は、往時と全く進歩も変化もみせていなかった。 最早誰も相手にせず、また誰からも相手にされず、その頃知った私小説作家、藤澤C造の作品コピーを常に作業ズボンの尻ポケットにしのばせた、確たる将来の目標もない、相も変わらずの人足であった。」(P108)で終えるのだろう。小説世界においては、人との出会いでは果たされなかった出会いを小説作品に置いて描く物語が充分以上に成立するけれども、映画にするとなかなか難しいような気がしてならない。康子を造形し、高橋を膨らませた脚色は、原作者の本意ではないかもしれないが、映画化に際しては的確な選択だったように思う。 芥川賞受賞作である本作の表題は「しかしそれにしても、こんなふやけた、生活とも云えぬような自分の生活は、一体いつまで続くのであろうか。こんなやたけたな、余りにも無為無策なままの流儀は、一体いつまで通用するものであろうか。 それを考えると、彼は何んとはなしに、自らの行く末にとてつもなく心細いものを覚えてくる。 そして更には、かかえているだけで厄介極まりない、自身の並外れた劣等感より生じ来たるところの、浅ましい妬みやそねみに絶えず自我を侵蝕されながら、この先の道行きを終点まで走ってゆくことを思えば、貫多はこの世がひどく味気なくって息苦しい、一個の苦役の従事にも等しく感じられてならなかった。」(P102)から来ているのだろう。そして「とどのつまり、日下部は普通に恵まれている人間なのだ。 日下部も美奈子も、結句貫多とはどこまでも根本的な人種が違っているのだ。」(P101)と思いつつ、美奈子と入籍した日下部が郵便局に勤めだした模様に対し「(さんざ泳ぎに明け暮れて、いい気に上京遊学を謳歌して、小説がどうの演劇がこうのなぞ、頭の悪りい文芸評論家や編輯者みてえな生っ囓りのごたくをほざいていたわりには、結句大した成果は見せなかったな。所詮、郵便屋止まりか―)と、一人毒づき、日下部を大いに嗤ってやったものだったが、しかしそうした貫多の方は、そのときやはり人足であった。」(P107)と言いながら、二十余年後には作家になっている北町貫多の物語に遠き日の19歳のころを思い出した。 僕は19歳のころ人足のアルバイトをしていたわけではないものの、麻雀に明け暮れる自堕落な生活をしていて、それを掌編に綴ったことがあるのだが、映画化作品を観たときには思い起こさなかったその拙作のことを想起したのだった。 拙作の最後の段は「そうしてその夜、ボク達は満腹になって、おばさんの入れてくれたコーヒーを飲みながら徹麻を始めた。なんだか、とても気持ちのいい晩だった。こんなことのできるのも今のうちだけなんだなという感慨だった。そして、“こんなことできるのは今だけ”という、その“こんなこと”というのを実際に自分がやってるのが奇妙な嬉しさだった。 “こんな生活もいい” 東場の一局目、南家のボクが早速、立直をかけた。北家の泰雄が、「南家の初和了か?」と独言いた。 “南家の初和了にトップ目無し、か。” ふとそう思った。現役で大学生になったボクも、この二浪の友二人も、どちらも変わったことはない。この今のボクは、ただ初和了をした南家なのであって、今やボクらは三人ともトップ目がないんだ、いやボクにはこの二人に比べるともう荘家がないだけ、よけい先が見えているようなものかもしれない。」で終えている。 果たして、掌編のモデルになった友二人は、その後、五浪や工学系大学中退の迂回を経て、両者とも医者になっているのだが、やはり今なお僕の心象のなかでは「どちらも変わったことはない」ような気がしている。 北町や日下部とちょうど十年違いになる僕の19歳時分を思うと、「今頃、日下部は恋人と濃密な行為に及んでいるのかと思えば、これが何んとも羨ましくってならなかった。 久しぶりの邂逅と言っていたからには、それはさぞかし本能の赴くままの、慾情に突き動かされるままの、殆どケダモノじみた熱く激しい交じわりに相違なく、しかもその相手と云うのは素人である。素人の、女子学生なのである。 適度に使い込まれている、最も食べ頃のピチピチした女体を、彼奴は今頃一物を棒のように硬直させた上で、存分に堪能しているのであろう。 それに引き換え、この自分は心身ともに薄汚れた淫売の、三十過ぎの糞袋ババアに一万八千円も支払って、「痛いから指、やめて」なぞ、えらそうにたしなめられながらの虚しい放液で、ようやっと一息ついている惨めこの上ない態なのである。」(P70)との二人のいずれからも僕は離れたところにあったが、日下部における美奈子の存在が得られてはいなかったけれども、やはり僕は貫多の言う“普通に恵まれている人間”に他ならず、「日課の自慰に例の美奈子を使ってやることにし…、高学歴をハナにかけ、サークル活動でチヤホヤされているのを恰も自らの天賦の才に依り来たるものと心得た、高慢ちきなあの若いのか老けてるのか判然とせぬ、顔色の悪いブスを悠々と犯す図を想像しながら、…二度の放液を果たすと、途端に憑き物が落ちたようにガックリとなり、次いで激しい恐怖が心中に湧き上がってくるのを覚える。 性犯罪者の素地たる血が、自分の中にも確と流れているらしき事実を改めて認識すれば、慄然とした思いにただただ打ちひしがれてしまうのであった。」(P96)という貫多の側にはいない。 とはいえ、妙に気になって仕方がなかったのが、やたらと“根が”を繰り返す貫多の自意識だった。最初の20頁足らずを繰っただけでも、“根が人一倍見栄坊にできてる彼”“生来の素行の悪さ”(P8)、“根が子供の頃からたかり、ゆすり体質にできてる彼”(P12)、“根が意志薄弱にできてて目先の慾にくらみやすい上、そのときどきの環境にも滅法流され易い性質の男”(P13)、“根が堪え性に乏しくできてる我儘者の貫多”(P17)、“根が全くの骨惜しみにできてる彼”(P20)、“根が歪み根性にできてる貫多”(P23)、と実に夥しい。根で片付けようとする性向が、悪態以上に気に食わなかった。 19歳のときに書いた掌編については、文芸サークルの合評会で「「暑い、暑い、扇風機や扇風機や。」泰雄はそう云いながら、部屋に、まさに分け入って来るような足取りで入って来て、窓際で、散らかった何日も前の新聞の山の上に不安定に乗っている扇風機を回した。生温かい空気が動いた。」と綴った部分を褒められた覚えがある。リアルだということだったように思うが、これは想像で描いたのではないからリアルで当然なのだ。同様に、これは想像による創作では絶対にないように感じられて妙に感心したのが、貫多が日下部を連れて行った覗き部屋でのふとした場面だった。「で、二十分後、その彼が心地よい脳の痺れの余韻に包まれつつ、黒カーテンをはぐって仕切り部屋を出てくると、フロント脇の小さな水道のところに日下部の長身の後ろ姿があり、何やらジャブジャブと手を洗い、ちょっと指先を鼻のところに持っていってる様子にギョッとなる。 ビルの外に出てから、「おい、指を入れさせてくれたの? 何んで?」 勢い込んで尋ねると、「いや、そんなのはないけど、ただ生理的に……」「だって、ちゃんと二千円渡したんだろう。てめえでいじくっていたわけじゃないんだろう?」「向こうがしてくれたけど、俺、性格的になんかこういうののあとは手を洗わないと気が済まないんだよ」 放出後の気まずそうな表情でぶっきらぼうにほき出すのを聞くと、貫多は、(馬鹿野郎、あんなとこで手なんか洗ってたら、従業員に無理矢理女の豆をいじったとか疑われるじゃねえか。田舎者め)と内心で日下部を罵倒したが、一方でどうもこの野郎は、見た目の印象と違ってまだ童貞に違いあるまいと安く踏む次第にもなった。」(P61)というのと全く同じシチュエイションではなくても、この遣り取りは実体験に違いあるまいという気がした。 | |||||
by ヤマ '14. 2.26. 新潮社単行本 | |||||
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