『ガール』
監督 深川栄洋


 広告代理店に勤める29歳になったばかりの由紀子(香里奈)が初めて上司から企画を任されたクライアント百貨店の担当者である安西博子(加藤ローサ)が語っていた「いい歳になっても女子、女子なんて言いながら、未熟さを誤魔化し甘やかそうとする風潮が嫌でしようがない」との言い分は、僕を含めて少なからぬ人々の抱いている思いだという気がするが、なかには表層的な風潮ではなく“ガールズ魂”とも言うべき生きる気概としている女性たちもいるようだということを示唆されたような気がする。百貨店の管理職オヤジの弁にはせずに若い女性担当者のセリフにしてあるところが秀逸だ。

 また、由紀子たちの先にある四十路を前にした38歳の光山晴美(檀れい)の人物造形が効いていて、「マキマキ~」と甘え声で百貨店の担当部長(段田安則 )を手玉に取る一方で、後輩の由紀子のフォローに努め、安西の本音を引き出す際には“大人の女”に変貌して翻弄し、由紀子が懸命に模索している姿に一皮剥ける予感を得るや彼女の再起のために心を砕いて周到な手配をしつつ、馴染みのクライアントの新顔に顔繋ぎをすることにも怠りのない、一見したところとは異なる内実を窺わせていた。由紀子の言う“白とピンク、レースとリボン”を卒業しつつも、全うすべきものとして本作で称揚されていた“ガールズ魂”を純粋形で貫徹し、「イタい」などとも言わせない個性として開花させていたのが光山晴美というわけだ。

 そして、外見的には世間知に従って“ガール”を卒業しつつも、妻や母に変じて捨てたりしない強烈な女性意識を保ち続けながら、今井(要潤)のように「女を妻か母かホステスとしてしか見ようとしない男たち」と闘って生きていくことを以って“ガールズ魂”としてるのだろう。そういう意味では、ディベロッパー勤務の34歳既婚の聖子(麻生久美子)にしても、文具メーカー勤務の34歳独身の容子(吉瀬美智子)にしても、自動車販売会社勤務の36歳シングルマザー孝子(板谷由夏)にしても、等しく“ガールズ魂”で生きているし繋がっているという物語なのだろう。

 僕自身は、そのような“ガールズ魂”に対し、由起子を学生時分から見守ってきた森本蒼太(向井理)のような支持を抱けないけれども、本作でカリカチュアライズされて描かれていた“勢いだけでは突破できなくなった女性たちの生きにくさ”には、実感が宿っていたように思う。劇中のモノローグに「男の人生は足し算だけど、女の人生は引き算でしかない」という呟きがあったが、作り手は、四人の姿を通じて「決して引き算なんかじゃない」ことを訴えていたのだろう。

 とりわけ興味深かったのが、以前に中村うさぎの著作を読んで認識した“お姫様願望による引き裂かれ問題”についての本作のアプローチだった。この肯定感は、二元論からは絶対に導かれることのないものだと思うとともに、僕と同い年の中村うさぎから二十年ほど遅れた“ガールズ魂”では、『私という病』としての自意識や女性意識が根本部分では通底するものの、二元論的相克からは随分と解放されているような気がした。もっとも、それでも生きにくさに変わりがないのだから、根深いとも言える。かつて女性の人生には選択肢が非常に限られていたが、今やむしろ男性よりも選択肢が広がっているような気がしてならない。その分だけ磨かれ度合いが高くて、総じて冴えない男たちを尻目に目立つ存在が増えてきている一方で、ストレスフルにもなっているような気がする。最後に出てきていた「女の人生は半分ブルーで半分ピンク。それでも100回生まれ変わるなら100回とも女に生まれたい。」といった言葉は、“白とピンク、レースとリボン”を卒業した女性たちの人生として配色された結語だったのだろうが、今を生きる女性たちに説得力があったのだろうか。



推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/12062602/
by ヤマ

'12. 6. 8. TOHOシネマズ5



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