『おとなのけんか』(Carnage)
監督 ロマン・ポランスキー


 何とも皮肉の効いた痛烈なエンディングだった。良識を求め、「べき」の連発をするペネロペ・ロングストリート(ジョディ・フォスター)が怒りに震えるスーダンでの“殺戮”(原題)はともかく、投資ブローカーのナンシー・カウワン(ケイト・ウィンスレット)が殺害だと息巻いたハムスターの元気な姿が大写しになり、ロングストリート夫妻とカウワン夫妻の“おとなのけんか”のタネとなった、二人の11歳の息子たちは既に仲直りを済ませて一緒に遊んでいるのであった。映画としては、アラン・カウワン(クリストフ・ヴァルツ)が顧問弁護士を務める製薬会社の薬並みの毒と副作用を狙ったエンディングなのだろう。

 それにしても、マイケル・ロングストリートを演じたジョン・C・ライリーを含め、四人の俳優の演技力の見事さには瞠目させられた。ジョディの立てた青筋とヒステリック、ナンシーの吐いたゲロと剥がれた化けの皮、クリストフとジョンの掻き立てたムカツキと苛立ちに、めまいが来そうだった。

 11歳までならば難なく解決できることを、大人になって知識と力を身につけると、どうして片付けられなくなるのだろう。そんなことを訴えかけているようにも感じた。

 折しも今、我が国で繰り広げられている、原発問題、税と社会保障の問題をめぐる“おとなのけんか”が、情けなくもダブって見えてきた。対立の図式が親同士の2対2で始まったものが、妻側と夫側の2対2の対立になったり、ときに組み合わせをころころ変えながら1対3の図式になったりしていたのが可笑しく、誰と誰が対立しているのか自他共に判らなくなってきたりしていた。混乱してくると、論題が最初に戻るのが何とも滑稽だ。当初の論題は、課題解決のためのものではなく、延々と議論を続けるために必要とされているかのようだった。

 そして、矛先が相手陣営から内輪揉めに変わるときは決まって相手陣営から助太刀が入り、争点もひたすら拡散しつつ行き戻りして、一向に収拾がつかないなかで付いたり離れたりを繰り返す。全くもって“民主的”を標榜する“政党政治の有様そのもの”であるように感じた。だが、困ったことに、こちらのほうの問題は、政治家たちが“おとなのけんか”に現を抜かしている間に、子供たち同士で問題解決を済ませるというわけにはいかない。

 また、四人の大人の嘆かわしい有様を見ながら、決して他人事じゃないとも思った。僕だって、いつ彼ら四人と同じ醜態を晒すことになるかも知れないのだ。なまじ自分というものを持っていて、主張というものを標榜しなければならないなどと思っていると、なおさら危うい気がする。我関せずという態度で身を守るわけにはいかない問題に直面したとき、きちんと対処できる“おとな”など、そうそういるものではないのだろう。もっとも、だからといって、政治家たちの今の体たらくを容認する気にはなれないのだけれど。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20120309
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/12052701/
by ヤマ

'12. 6. 3. TOHOシネマズ4



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