『エンディングノート』
監督 砂田麻美


 胃癌を宣告された五月から越年することなく逝ってしまった父親を娘が撮り上げたドキュメンタリー映画を観て、僅かな期間にあれだけ充実した時間を過ごし、寝たきりになることもなく、家族に温かく看取られて死に行くことができれば、砂田知昭氏が漏らしていた「上手に死ぬことができるかな」は、このうえなく上々の出来だったと言えるように感じた。できれば僕も彼のように、「この数値でどうしてあんなに元気でいられるか不思議だ」と医者が言うような最期のときを過ごしたいものだとつくづく思った。

 いよいよ死期迫るなかで、奥さんの淳子さんが病室で二人だけにしてくれと子供たちを追いやった際に、病室に残っていたと思われるカメラに記録されていた夫婦の会話が圧巻だった。営業一筋の会社人間として邁進し、一部上場企業の専務取締役にまで務め上げた昭和のサラリーマンの家庭にありがちな夫婦の諍いが、部分的とはいえ、そのまま'90年代の娘のカメラに収められていた様子に驚いたが、それ以上に、長男夫婦がアメリカに赴任した空家の管理を口実に退職後早々に別居生活をしていたとの夫婦が最後に至った緊密さと、それがカメラに収められていたことの奇跡に驚き、心打たれた。

 作り手たる娘の声で知昭氏の言葉として語られる“段取り命!”の部分を受け継いだのが長男さんなら、ユーモアというか覚めた可笑しみを受け継いだのは、上二人から歳離れて生まれた次女たる作者に他ならない。娘として“孫の力”に言及していた部分には、僕も大いに思い当たるものを感じながら、「エンディング・ノート」というのは、いい方法だなと思ったりした。

 “to do List”として挙げられ、本作の構成になっていた十項目は、「to do 1.神父を訪ねる、to do 2.気合を入れて孫と遊ぶ、to do 3.自民党以外に投票してみる、to do 4.葬式をシミュレーション、to do 5.最後の家族旅行、to do 6.式場の下見をする、to do 7.洗礼を受ける、to do 8.長男に引き継ぎ、to do 9.妻に(初めて)愛してると言う、to do 10.エンディングノート」だったわけだが、振り返ってみると、父親自身が残していた古い映像や作者自身の撮っていた元気な時分の父親の映像を使った編集の巧さとナレーションの言葉の醸し出していた対象との距離感、家族の空気感の秀逸さに改めて感心させられた。そして、退職後二年の六十九歳で、年老いた両親を遺して先に死に行くことへの無念を上回る「上手に死のう」との知昭氏の意思が実に見事だったと思う。

 葬儀は誰のために何のためにあるのかを考えると、エンディングノートを綴る暇もなく逝くことのないよう死期を告げられることの幸いを改めて思うとともに、知昭氏が子供たちに残していた言葉がそのまま僕の亡父が二十年前に遺していった言葉と同じだったことに感慨を覚えた。両親に十歳の年の差があるからだと僕が思っていた部分は、そんなことよりも、妻をずっと専業主婦として家に置き、妻自身の言葉としても「ずっと引っ張ってきてくれてありがとう」との言葉を受けていた昭和の家長たる夫の素朴な心情だったようだ。



推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20111011
推薦テクスト: 「シネマの孤独」より
http://sudara1120.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-3fa8.html
推薦テクスト:「Healing & Holistic 映画生活」より
http://uerei.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-cd3d.html
by ヤマ

'12. 5.27. アートゾーン藁工倉庫・蛸蔵



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>