『ブリューゲルの動く絵』(The Mill & The Cross)
監督 レフ・マイェフスキ


 ウィーン美術史美術館に行ったことのある二十歳の頃、僕はブリューゲルの絵をほとんど知らなくて、本作の最後に出てきた部屋で『バベルの塔』と並べて掛けられているのを観ても、自分が本物を観たことがあるのかどうかの記憶すら甦ってこなかった。もし観ていたとしても、キャプションに日本語訳など付いてはいなかったから、この絵が『十字架を担うキリスト』と題された“受難”を描いた作品であることに気づきはしなかっただろうし、本作で語られたように“赤い服の兵士たち”がフランドル地方を当時支配していたスペイン王の兵であることにも気づくことはなかっただろう。敢えて16世紀にキリスト受難を“復活”させていた意図は、1600年前のローマ支配になぞらえて当時のスペイン支配を描いていたのだろうか。

 ブリューゲルの絵ということでは、惑星ソラリス(アンドレイ・タルコフスキー監督)で『雪中の狩人』が大写しになり、実景に転じていく場面があったような気がするが、本作は、実写的再現以上に絵画そのものに深く立ち入っていくこと自体を意図して制作されており、その現出の仕方が、元の絵画の題材さながらに非常に不思議な感覚に包まれる感じに満ちていて、他にあまり見覚えのない斬新なそのイメージにすっかり目を奪われた。

 とりわけ興味深かったのは、映画には印象深く出てきて、絵画のほうには描かれていなかったように思われる“白い服を着た女性を生き埋めにしている図”だった。中世の魔女狩りを指し示しているように感じられたのだが、さすれば、映画の作り手の解釈としては、キリスト受難を借りてブリューゲルが当時描こうとしたものは“魔女狩り批判”だったのかもしれないということなのだろう。本作でも様々な場面が寸描の形で映し出されていた民衆の生活というものを描き出すことに丹精を込めたブリューゲルの作家的スタンスからして、世俗権力の横暴も宗教権力の横暴も共に、民衆の生活を脅かすものとして許し難いものだったという解釈には納得感がある。

 さすれば、映画の原題にも掲げられている粉挽き小屋“The Mill”が映画のなかでも語られた“神の位置”にあるのは、何を示しているのだろう。生きる糧たるパンを作るための小麦粉を産み出す“恵みの象徴”とも見えるし、大掛かりな器械仕掛けで挽くという行為の示す暴力性を示しているようにも見えた。それは、原画においては人間を縛り付けたりはしていない画面右に大きく描かれた“鉄輪を掲げて立てられた柱”を、作中で「死の木」と呼び、男も含まれていたという当時の魔女の処刑のための“The Cross”として、生きたまま烏に眼を啄まれる若者の姿を描き出していたからなのかもしれない。

 いずれにせよ、ブリューゲルの絵画に描かれた画面の細部に宿っている寓意を、実に生々しく且つ鮮やかな美しさでもって描き出していた画面構成と色彩の見事さには恐れ入った。



推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dfn2005/Review/2012/kn2012_01.htm#03
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1812151992&owner_id=3700229
by ヤマ

'12. 5.18. メフィストフェレス3Fホール



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