『コクリコ坂から』
監督 宮崎吾朗

 タイル貼りの流しやマッチで火をつけるガス台、オート三輪やら、学校の食堂にカレーうどんがあって25円だったりするのを観ながら、一体いつごろの話だろうと思っていた。昭和三十年代よりは後のような気がしつつ、昭和四十年代とも言いにくい感じに、エイヤっと昭和四十年と踏んでいたら、1964年東京オリンピックの年と出てきて「お~、昭和三十九年かぁ」と得心した。

 もういかにも60年代風な青春映画で、ある意味、潔いくらいなのだが、客層的にはどのへんを狙っていたのだろう? この手のジブリ作品というのは『耳をすませば』['95]を思い起こすまでもなく、三、四十代を中心とする女性客を狙ってるのかと思っていたし、冒頭の下宿屋の食卓に居並ぶのが陸クンを除いて、みんな女性で、この居並ぶ各世代の女性たちこそが狙いの客層なのだろうと思っていたのに、まるで全共闘世代に向けた作品のように感じられてきたところが面白かった。

 僕自身が同時代を過ごしてはいないので、60年代の青春映画というのを具に見て来ているわけではないが、若大将シリーズに端的に窺えるような前向きさと清廉さというのは、僕の過ごした70年代の青春映画のような内向的な世界とは対照的で、本作ではさらに、いかにも60年代らしい“連帯”のもとの“変革”が謳歌される。海(長澤まさみ)が何故「メール」と呼ばれているのだろうと思うなかで「そうか、“ラ・メール”のメールだ」と気づいたときの洒落た渾名の付け方にも、文化部の部室の集まる建物をカルチェラタンと呼ぶのと同様の60年代風な時代的趣味を感じ、ニンマリしていた。

 それらが何とも甘やかに懐かしく響いてきたのは、僕が60年代に十代を過ごしてなくても、俊(岡田准一)や水沼(風間俊介)と同じように、新聞部や文芸部のクラブ活動にちょうど十年遅れの1974年に携わり、また生徒会執行部の役員として、生徒会費値上げをめぐる全校集会を開いての討議を仕掛けたり、ガリ版刷りの印刷物を発行したりしていた記憶があるからかもしれない。

 あの頃ちょうど同じように、一学年下の女生徒にガリ切りの上手な子がいて、僕たち役員は頼りにしていたのだけれど、この作品に描かれたような甘やかな交際が芽生えたりすることは、当然ながら僕にはなかった。それでも、生徒会活動を離れて一年以上が経過した卒業式のときに、あのガリ切りの上手な子とは別の、その頃に見知った一学年下の女生徒から、当時の流行りでもあった制服の第二ボタンを思いがけなくも所望され、このうえない卒業祝いをしてもらったように感じたことがあって、そんなことを思い出したりしていた。

 五十も過ぎたこの歳になると、些か感傷的になりやすい面があり、遠い日々の記憶のみならず、思いがけない縁のもとに、死に別れた親友の遺児と巡り会える機会を得ることの感慨にも同調しやすいところがあるだけに、その両方が揃っていると、古びた木造建築のカルチェラタンさながらの文化財的価値を、己が過ごした昭和の時代に対して誘発されてしまうようなところがあった。

 五十代から上の男客にこそ最も響く作品だったような気がしてならない。そういう意味では、興行的成功や高評価の世評獲得は難しいかもしれない。




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by ヤマ

'11. 8. 1. TOHOシネマズ3



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