『127時間』(127 Hours)
監督 ダニー・ボイル


 2003年に起こった実話だという本作のエピソード自体は、その当時、ネットでラプター氏が運営していたサイト(確か『海外ボツニュース』だとかいう名称だった気がする)でリアルタイムに知った覚えがあって、そのインパクトの強烈さに痺れたものだったが、その映画化作品として、これだけストレートにシンプルに見事な語り口で描き出しているとは思わず、大いに感心した。

 作り手は、背景や周辺のドラマをいっさい排除し、アーロン・ラルストン(ジェームズ・フランコ)の人物像と彼に訪れた127時間を描くことだけに焦点を絞ることによって、“コンパクトでダイナミック”という稀有な映画に仕立て上げていたが、実に大したものだ。なかなかこうはできないように思う。

 そして、描き出されたアーロンの人物像が何とも魅力的だった。苦境に陥る前から、マウンテンバイクを漕ぐ姿にしても、岩場を渡る身のこなしにしても、道に迷った若い女性バックパッカーの二人連れに遭遇した際の対処にしても、軽やかな明るさというものがまさしく彼自身のパーソナリティとして印象づけられていたのだが、大仰にないカッコよさがなかなかのものだった。ストーリーによってではなく、体現という形で視覚的に表現されることの説得力に改めて魅せられたような気がする。

 しかも、とんでもない苦境に陥っても「考えろ」「気を失うな」と自らを鼓舞しながら、可能な限りのさまざまなことを試みて脱出に挑みつつ、同時にセルフビデオを撮り続け、死を覚悟したメッセージを残すことにも怠りないなかで、ユーモアさえも失わないメンタリティに心底驚かされた。映画で示されていたように、ビデオ画像に記録されているのだろうから、実際のアーロンもそのような人物だったに違いない。それにしても、この期に及んで、唯一の“失敗”と名付けて反省していたことが、単独で来たことや懐中電灯のおまけについていた中国製の万能ナイフしか携行していなかったことなどではなく、行き先を誰にも告げずに来てしまったことだけだったのには圧倒された。桁外れの感性の持ち主だとつくづく思った。

 衰弱していくなかで見舞われる妄想や岩に挟まれて抜けなくなった腕を自ら折り切断する作業工程のリアルさに恐れ入り、ときに戦慄させられた。ほぼ一年前に観た『アイガー北壁』で悲劇に見舞われていた登山家が、映画のなかで語られていたような優秀な登山家にはついぞ見えなかったことに比べ、本作のアーロンの冒険家としての卓抜したタフな精神力と技術には大いに感銘を受けるとともに、それが余さず描かれていたことに感心したのだが、こういう人物もいるのだから、人間というのは凄いものだと改めて思わせてもらったような気がして、観後感がよかった。しかも彼は、その後も懲りずに冒険に挑み続けているらしい。ただし、行き先だけは告げるようにして。



推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1796229668&owner_id=4991935
by ヤマ

'11.12.21. 美術館ホール



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