『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』(Herb & Dorothy)
監督 佐々木芽生


 元郵便局員と市立図書館司書のヴォーゲル老夫妻(ハーブ&ドロシー)から寄贈を受けたナショナルギャラリーが作成した目録のロールアップと共にスクリーンに示されていた数々の抽出作品の写真とカウンターの回転を見ていたら、最後に止まった数字が、何と4782! とんでもない数だ。1980年以降、これまでに僕が観てきた映画の本数とほぼ同じ数(ちなみに僕の1980〜2010の映画鑑賞数は4702本だった)の美術作品を、小さなアパートに個人所有のコレクションとして保管していたわけだ。

 しかも、そのうち1000点がナショナルギャラリーに“ヴォーゲル・コレクション”として収蔵されるというのだから、僕の映画歴に置き換えて考えると、ちょうど5本に1本、秀作をチョイスして観てきたという感じだろうか。既に流通ルートに乗った映画作品の鑑賞が主な僕の映画歴と違って、給与所得の範囲での美術品収集として、主には作家を訪ね歩いて意見交換をして収集したものとして捉え直すと、物凄い確率だと改めて驚く。

 作中では、専ら彼らの目利きぶりが印象付けられていたが、それ以上に、彼らが収集を始めた1960年代以降のニューヨークのアートシーンが、いかに美術史的に重要な役割を担っていたかということだろう。

 とはいえ、映画のなかでアーティストの誰かが「彼らの人生こそがアートだよ」と言及していたように、まさに生き方そのものがコンセプチュアル・アートとしての見事な作品だと思えるような夫妻だった。“奇跡のコレクター”のように言われていたが、最も奇跡的なのは、実は夫婦としての二人の巡り合せとその組み合わせの妙だという気がした。

 極端な前傾姿勢で食い入るように作品を見つめるハーブの水平と、適切な距離を保って背筋を伸ばした姿勢を崩さないドロシーの垂直を一枚の絵に収めて描いていたアーティストがいたが、流石の把握力だ。まさに二人の核心を捉えているような気がした。どちらもが互いに相手の存在があってこそ、続けて来られたことだと語っていたが、まさしくこの水平と垂直が備わっていたからこそ、弛まず続けて来られたのだろう。奇特極まりないカップルというほかないのだが、徹底して、ひたすら個人的である様が実に爽快だった。

 とりわけ、特にハーブに顕著な傾向として、アーティストからも「彼はコレクターというよりもキュレーターだね」などと言われていた、アーティストの成長や創作における“過程に向ける関心の強さ”というところに非常に個人的な関わり方というものを感じて、好感を覚えた。アートに対する“コミットメント”というのは、まさにこういうことなのだろうという示唆に富んでいたような気がする。

 さればこそ、換金意思がさらさらないのは当然のことなのだろう。やはり精神的満足に勝る果報はないとしたものだ。その境地に到れる人は少ないのかもしれないけれども、僕も少なからぬ数の映画鑑賞を重ねるなかで、その端緒のようなものとは出会っているような気がしている。むろんハーブ&ドロシーの足元にも及ばない程度の愛好家にすぎないけれども。



推薦テクスト: 「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/hotondo_ke/archives/215
推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1636994385&owner_id=3700229
by ヤマ

'11. 6.14. 美術館ホール



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