『龍馬伝』をめぐって | |
(ミノさん) ヤマ(管理人) |
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No.8337 から [2010/12/19 18:26]
(ミノさん) ヤマさん、もう帰られたでしょうか? 昨日はオフ会お疲れ様でした! 龍馬の話は途中で終わってしまいましたが今、レビューを拝読しました。 ヤマ(管理人) ようこそ、ミノさん。ありがとうございます。 サタデイナイトは、フィーバーこそしませんでしたが(笑)、とても楽しゅうございました。 (ミノさん) 私もみんなが「つまらん」と評する龍馬は、あれはあれで楽しみました。 ヤマ(管理人) あらま。そんなに不評でしたのん? 僕はかなり好評かと思ってました。ブーム、来たし(笑)。 (ミノさん) 割りと時代劇ファンはねー。福山龍馬を嫌ってたでしょ。 ヤマ(管理人) ふーん、福山でも現象としての嫌われってのがあるんですねー。もちろん個々人での好みとしての好き嫌いは、福山に対してであっても起こることだろうとは思いますが、そんなふうな一群をなす形での嫌われってのがある人だとは思ってませんでした。 (ミノさん) 私は透明感があってまあ好きでしたよ。脇役が引き立ったし。 ヤマ(管理人) 僕は、ほどほどって感じかな。嫌いってことはなかったですね。最終回まで観続けたくらいだし。 (ミノさん) で、後半の大げさなものの言い方をする龍馬、変貌していく龍馬に関しては、ヤマさんとはちょっと違う感想を持ちました。 ヤマ(管理人) ほぅ。 (ミノさん) 私はタケチが切腹して、確かシーズン1が終わった後、龍馬が変わった・・という区切りだったように感じたのですが、… ヤマ(管理人) ええ、そうだったと思います。第1部と第2部を合わせてシーズン1って言うんですか? (ミノさん) 確かタケチが切腹して「シーズン1 終わり」みたいなのが出てたような気がしますねー。見ながら龍馬という人は、本当に大勢の仲間をなくしていったんだなあと思いました。 ヤマ(管理人) ああ、確かにそうでしたねー。そういうふうに描かれていたように思います。 (ミノさん) 彼の自己形成時期っていうのは、仲間を失う旅路のようでもありました。喪失感が、彼のあの能天気さを失わせ、憂いを帯びさせ、覚悟を決めさせ、顔の表情を変化させたのだなあと。 ヤマ(管理人) なるほど。 演出的には必然性があって一貫しているということですね。それを「暑苦しい」とは何事か!と(笑)。そうですね、きちんと「もう龍馬は、以前の龍馬とは違うた人間になっていったがぜよ」と断ってるんですし、ね。 (ミノさん) いやいや、確かに大仰ではありますが、変化をつけたかったんでしょう。ぼんやりした若者からの変化をね。 ヤマ(管理人) それは確かにそのとおりです。必然性もあったし、変化を付けたことがいけないんではなく、変化の付け方に少々難があったというにすぎませんよ。 (ミノさん) そして、そんだけ仲間を奪った後藤と握手できた合理性というのが何よりも、非凡だなあと思ったしだいです。 ヤマ(管理人) 今回の龍馬伝では、本当に後藤は悪役でしたよねー。容堂ともども。まさしく龍馬の引き立て役でした。 その龍馬の後藤との結託には、もちろん合理性もありますが、やはり囚われ拘りからの自由度における非凡さを感じますね。 (ミノさん) 囚われのなさ、というのがボンボン育ちからくるのかは不明ですが、『龍馬伝』の龍馬は、今の若者像をえらく反映させていると感じました。 ヤマ(管理人) なるほど。これは、あまり意識していませんでしたが、今回の龍馬像において、きっと作り手は意識していたんでしょうね。御指摘いただいて、そう思える造りになっていた気がしました。 (ミノさん) モラトリアムが長く、前半は「わしはどういたらええかぜよ!」と叫んで終わる・・みたいな。志がすぐにたつわけでもなく、のらりくらりとした龍馬は、今の若者風で、いわゆる得体の知れない大物といった伝説の人物にはなっていませんでしたよね。 ヤマ(管理人) このへんも僕は拙日誌に引いた『お〜い!竜馬』に近いものを感じてました。 (ミノさん) 例の船中八策の、オリジナルなし、に関しては、私も素敵というか、素直だな、って思いますね。 ヤマ(管理人) ほんと、あの場面、よかったです。ご賛同いただけてうれしいです。 (ミノさん) 私が一番記憶に残っているシーンがあります。自分でもなぜか不思議なんですが。岡田以蔵があちこちの板挟みにあって苦しんでいるところを、龍馬にあい、言葉をかけたれた後、「こんなに心が楽になったのは久しぶりぜよ」と言うんです。 ヤマ(管理人) ちっとも不思議なことありませんよ。今回の龍馬キャラのメイン部分で、弥太郎が嫉妬していた“人たらし”にも通じるとこでしょ、それ。しかも“たらし”なんていう厭味など些かもない形での“救い”を幼馴染に与えている場面に心惹かれるのは、むしろ当然だし、そのシーンが、とりわけ強くミノさんの記憶に残っているというのは、そのときの以蔵にとっての龍馬のような存在をミノさんが常々欲し求めているか、そのときの以蔵にとっての龍馬のような役割をミノさんが常々果たしたいと思っているかってことなんでしょうねー。 (ミノさん) 両方ですねー。 ヤマ(管理人) おやまぁ、そうでしたか。ってことは、さほど切実でもないってことでしょうかね? (ミノさん) 楽にしてもらえたらうれしいし、楽に出来る人にもなりたい。まあなれないんですけどね。ま、「男たらし」にもなれないしね。 ヤマ(管理人) そーかなぁ、どっちもイケそうに思いますが(笑)。 (ミノさん) あれで、龍馬っていうのは「癒し系キャラか?」みたいな。 人の心を軽くできる楽にしてあげれるって、すごく私もあこがれるんですが、いわゆるマッチョな龍馬像に対して、そういう割りに現代風の癒し系男子みたいな龍馬なのかあ・・ってえらく印象に残りました。 ヤマ(管理人) 漫画の『おーい!竜馬』も、そういう傾向が強かったような気がします。むしろマッチョな龍馬像って、もともと今や主流じゃないように感じてますね、僕は。 (ミノさん) 時々お目にかかるんですよね。『仁』とかね。 ヤマ(管理人) あらま、そうだったんですか。内野の龍馬は、かなり出来がよかったと聞いてるんですが、マッチョだったんですか(笑)。 (ミノさん) 声でかくって、おおらかで、細かいこと気にしない風な。 ヤマ(管理人) 豪快な男なんだ!(笑) 声って、かなりイメージの決定を左右しますよねー。 (ミノさん) 『龍馬伝』のほうは、豪快だったり、人を圧倒する存在感だったりといった大物にありがちなキャラとは正反対じゃないか・・と驚いたんですよ。何この優しさ。まるで今の20代後半の男の人のようなソフトさ、みたいな(笑)。 ヤマ(管理人) そうですねー。これには、やはり『おーい!竜馬』の影響、大きいと思いますよ。 (ミノさん) 作り手がそのへんを入れたかったんでしょうね。新しさの形として。 素直って、バカと紙一重な印象ですけど、子供のようにこだわりのない魂って、本当に持ってる人少ないですからね。そして、人って、「こだわり」があることがいいことのように思ってますよね(笑)。 ヤマ(管理人) そうなんです。でも、これ、けっこう新しいことなんじゃないかと思ってます、僕は。 「違いがわかる男のゴールドブレンド」といったフレーズがコマーシャルで流れ始めた頃から、消費選好をくすぐるために商業的にメディアによって作り出された価値観であって、それ以前においては“こだわり”という言葉は、語感的にはネガティヴな意味合いのほうが強かったのが日本語の本来だったような気がします。 (ミノさん) ダバダ〜〜〜〜〜から始まった?(笑) でも確かに「こだわりの寿司屋」とかね。こだわってないと、アカンぞみたいな。 ヤマ(管理人) でしょ。好事家は大勢でないからこそ好事家なのに、消費社会でメディアが負っている“大衆化”ってのがあらゆる局面に及んできたから、誰もがこだわりを持つなんてなおかしな現象が出てきちゃったような気がします。こだわりがなくて、何でもいいと言うのは恥みたいな強迫って明らかにヘンなのに、そうなっちゃってきてるでしょ。 (ミノさん) ワインカルチャーとか代表的だなあ。 ヤマ(管理人) そうそう! それ代表的!(笑) シネフィルのセンスの中にも、けっこう近いのがありますよね。 (ミノさん) 「これがいい」はいいと思うんですよ。「これでなきゃ」はちっさいなあ。 ヤマ(管理人) はいな(笑)。 伝統的には、解脱とか悟りとかいって囚われや拘りを脱することのほうが“こだわり”を持つことよりも称揚されていた気がしますもん。 (ミノさん) 今こそ、逆転してほしいなあ。だって「こわだる」のがカッコいいって思ってる人、面倒くさいもん。 ヤマ(管理人) だよねー(笑)。自分だけがこだわるのはまだしも罪がないけど、己がこだわりを他者に押し付け、そのこだわりを共有できない者を排除するってのは、双方にとっての不幸以外の何物でもないのに、それを“あるべき姿”や“美学”と勘違いしている愚かな人って必ずしも少なくないような気がします。でも、「違いなんかに拘らない男のインスタントコーヒー」だと何の差別化も図れず、その商品、売れませんからねー(笑)。 (ミノさん) 「他と同じネスカフェ、買って」(笑)。みたいな。 でもいっそ新しいかもしれませんよ。「何でもいい男」君。「女なら誰でも好き、食べ物は食べれればいい、家は住めればいい、人間は生きてりゃいい」みたいな。 みんな、見てると不安になるわけ。「どうしてそうも何でもいいのか?」 ヤマ(管理人) ベストでなくても人生の用が足りれば、OKだと思いますよ。 ベスト探しに手間暇コストをかけて、その間、用を足せないほうがハルカにうまくない気がします。しかも、多くの場合、手間暇かけたところで、ベストを入手できないことのほうが多いのに、「どうしてそうもこだわるのか?」(笑) それに何でもいいっていうことが即ち何の識別力もないことにはならなくて、ほら、犬好きや猫好きが、基本的に犬なら何でも、猫なら何でも好きなのに、それぞれの個体差の識別は、とっても深くこなすでしょ。映画見においても同じことが言える気がしてます。何でも拘りなく好んで見る人のほうが、却って個々の作品を豊かに味わっているし、映画についての知見も深く、そのなかで特に気に入った作品に対する愛情も濃いように思いますよ。 (ミノさん) 今も「こだわり」問題で、ああだこうだ、と口内炎ができましたわ。ストレスで・・何でもええやんけ。みたいな(笑)。 (ミノさん) というわけで、『春との旅』を見なければ、と思ったミノでした。 ヤマ(管理人) 本日の更新で、日誌をアップしましたが、この作品のキーワードは、僕は“赦し”だと受け止めました。ぜひぜひ御覧になってみてください。 (ミノさん) 「こだわりのなさ」→「赦し」かあ。こりゃやられたな。 ヤマ(管理人) あら? 誰かから「赦し」を求められてるのでしょうか? もしかして、春の父親の嘗ての立場だったりするのだろうか(笑)。 (ミノさん) いや求められたら許すけど。求められてなくても許すのが必要だったりしますからね。でもね。「赦し」ってのも季節のように、一定の時間をへて、訪れるもので、意識的に「赦せる」ってもんでもないんですよねー。 ヤマ(管理人) なるほど。確かにねー、そりゃそうかも。 (ミノさん) これまたねー。別に「赦すまい」ってこだわってるわけでもないのにね。 ヤマ(管理人) うーん、それはケースバイケースかな。金輪際許さないって決意固めてる人もけっこういて、また、そこのところの揺るぎなさに拘っている部分が、意外と本来の許せる許せないよりも沽券に関わってくる重大事になるという本末転倒を来して不幸な状況から抜け出せなくなっていたりするように思いますよ。 (ミノさん) そりゃまさにこだわりですねー。自分の幸不幸より大事なんですな。 ヤマ(管理人) そうです。だから、本末転倒してるって思うんですよ。 (ミノさん) 私、『龍馬伝』でもうひとつ、印象的なシーンがあります。龍馬が何回か、交渉シーンで涙を流すんです。 ヤマ(管理人) 感激屋さんでしたからね、今回の龍馬は。 (ミノさん) 確か、後藤と交渉成立したとき、容堂を説得した時。 ヤマ(管理人) とりわけ感無量というか、さまざまな思いが交錯したでしょうね。 (ミノさん) 彼の行為は、仲間を殺した人間と手を結ぶという、大きな目的のためには小さな憎しみにこだわらないということで、すごく礼賛されるのだけど、あの頬を伝う涙は、非常に繊細な心の内側を表現していてよかったなあと。 ヤマ(管理人) あのときばかりは、単なる感激屋さんでは済まない屈託と葛藤が、当然ながらあったはずですものねー。 (ミノさん) バランスの悪いとこもありつつ、好きでしたね。 ヤマ(管理人) ええ。僕もこうして全部の回を観た上で、TVの連続ドラマを二度にもわたって日誌を綴ったくらいですから(あは)。 (ミノさん) 次の大河はぜんぜん見る気しないんですが。私、時代劇の女性の服装が好きじゃないんですわ。重くて見てるだけで肩こりしそう。 ヤマ(管理人) そういうコミットの仕方は、僕に起こり得ませんが、僕もたぶん観ないだろうなー。でも、主演の女優は誰だっけ? それによっちゃ…(笑)。 |
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by ヤマ(編集採録) | |
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