「辺野古を考える」全国上映キャラバン in 高知

 『アメリカばんざい』(Crazy as usual)['08]
 『マリーンズ・ゴー・ホーム』(Marines Go Home2008)['08]
 『ワンショット・ワンキル 一撃必殺』(One Shot One Kill)['09]
監督・ゲスト 藤本幸久

 映画館での上映ながら、主催は劇場ではなくて「サロン金曜日@高知」となっていたから、貸館興行だ。冒頭の開会挨拶をしていたのが牧師さんで、思い掛けなくも高校の同窓生の旦那さんだったりしたので、大いに驚いた。

 『アメリカばんざい』に出てきていた「♪われら優しき怒れる祖母たち♪」と歌いながら、「若者の入隊を一人でも止められたら、逮捕されたって本望だよ」と語るなかで逮捕連行されていっていたアメリカのバァさんたちにしても、『マリーンズ・ゴー・ホーム』に出てきていた、日本一大きな自衛隊演習場の真ん中で立ち退きを拒み、酪農を営みながら住み続け、近年八十余歳で亡くなっても、抵抗の居住を四十代女性に引き継いだらしい北海道矢臼別のジィさんにしても、辺野古の海で進められようとしているボウリング調査に対して「自分たちの反対で基地建設を止められるとは思ってないけど、世界は動き始めているから、それに間に合うよう、計画に抵抗して少しでも遅らせ、時間稼ぎすることはできると思うの」と海に出て、組まれた櫓にしがみついて人柱を続けているバァさんや十代半ばで沖縄に来てたまたまジュゴンと遭遇して居つき、沖縄の海を守る活動に携わることになったヤマトンチュウの男の子に「森の再生は一本の木からだって出来るんだよ」と説いてくれたとのウチナンチュウのバァさんにしても、そして、米軍の演習場を法廷闘争の末、実際に撤去させた韓国メヒャンニの住民にしても、日常としてのレジスタンスを全うしている人たちの些かの浮つきもない言葉の力に、マスメディアや政治家の言葉からは到底得られることのできない感銘を受けた。
 全国上映キャラバンと称し、自ら映写装置の操作をしていた藤本監督もまた、そういう人たちの一人だからだろうが、講演や合間合間での話にしても、いささかも気負ったところがなく、淡々としていて、映画に捉えられていた海兵隊ブートキャンプの教官たちが求め、範を示していた絶叫と対照的だった。

 それにしても、牧場の草原のなかの大きなカマボコ型ドームの建物の巨大なトタン屋根いっぱいに書き付けられた日本国憲法の前文と9条からの抜粋の映像は、圧巻だった。憲法についてはいろいろ言われるが、'47年の文部省の冊子に書いてあることがいちばん分りやすいし、筋が通っているとその冊子を広げながら北海道のジィさんが語っていた素朴さと率直さは、沖縄のバァさんにも通じていて、ウチナンチュウよりも沖縄の差別の構造や歴史に詳しいヤマトンチュウの大学の先生をバァさんがやりこめたエピソードの場面では、会場内から「そうだ!」の声とともに拍手が聞こえたが、バァさんの言うように「必要なのは知識ではなくて、共に生きてくれることなの。(わざわざ沖縄にまで来たのは何のため?)」との痛撃が効いていた。

 ナショナリズムを称揚し、それに乗じて反米や反韓といったレベルの議論への偽装を画策する向きからすれば、真に都合の悪かろう製作スタンスが素晴しい。『アメリカばんざい』で示されていた、イラクでの戦死者数とは比較にならない多数の兵士が復員後に死亡していることへの影響が指摘されている劣化ウラン弾の問題や帰還兵士のPTSDの重さと米軍の処遇の酷薄さが窺える彼らのホームレス率の高さ、軍に入隊志願をする若者たちに占める貧困層割合の大きさ、『マリーンズ・ゴー・ホーム』で示されていた、米軍海兵隊の費用を日本が持つ形で沖縄から北海道に移送して実施している演習や沖縄米軍基地反対闘争に携わる人たちのウチナンチュウ率の低下など、個別には、これまでにもさまざまな形で提起されてきている問題なのだが、犠牲を強いられ被害を被っている弱者として国境を越えた視野に置き、軍隊の存在自体を“一部の者の利権のために存在する絶対悪”として捉えている作り手の立ち位置に共感を覚えた。

 海兵隊ブートキャンプでの三か月の新兵訓練をカメラに収めた『ワンショット・ワンキル 一撃必殺』の映像は、一部『アメリカばんざい』にも使用されていたが、ひところ大いに注目を浴びた日本企業の新入社員研修と同じく、自己啓発を標榜しつつも、組織への忠誠心を涵養するための洗脳ないし人格改造に他ならない実態が垣間見えていたように思う。名を捨てさせ、一人称さえも捨てさせ、自己判断を奪い“命令に反射的に従うことのできる人間を養成するための訓練”であることがリアルに捉えられていた。映画で見覚え聞き覚えのあるものとは、少し違っていて、厳しさ具合は劇映画での描写のほうが強く、教官から連呼される「叫べ!」の声とともに矢継ぎ早に過剰な反復を強いられることに窺える“判断停止を求める洗脳色”は本作に捉えられた現実のほうが強く感じられた点が却って生々しく思われたが、そこには当然ながら、作り手の編集意図が働いているのだろうとは思う。映画でおなじみの訓練中の行進に際して新兵たちが大声で歌っているあの歌は登場せずに、別の節回しの歌だったことで妙に違和感を誘われたりしてくるところが、我ながら可笑しかった。
by ヤマ

'10.11.23. あたご劇場



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>