『龍馬伝』第35回「薩長同盟ぜよ」
NHK大河ドラマ

 次のNHK大河ドラマは、三菱創始者の岩崎弥太郎から見た坂本龍馬を描く『龍馬伝』になるという話が伝わってきたとき、地元に住む者のほぼ総てが「なぜ弥太郎と龍馬なのか」と思ったはずで、御多分に洩れず僕もそう感じたのだったが、初回を観て得心がいった。坂崎紫瀾が、明治期になって次第に忘れられつつあった坂本龍馬の評伝を書こうと、豪邸でパーティを開いている弥太郎を訪ねた際に、龍馬は、儂の大っ嫌いな奴じゃ。あれっぱぁ腹の立つ男はおらざった。けんど、…と弥太郎が語り始めた話を聞いていて、名を忘れられつつある状態は逆転しているが、これは偉大なる天才モーツァルトについてサリエリが愛憎を語る物語としてピーター・シェーファーが劇化した『アマデウス』を下敷きにしていることに気づいたからだった。

 されば、未だに犯人不明とされる龍馬暗殺について、龍馬を殺したのは自分だと弥太郎がいずれ告白することになるわけだが、深酒と下品な狂態に現を抜かすモーツァルト像を提示してモーツァルト信奉者の大顰蹙を買った『アマデウス』同様、いくら諸説あることが周知の龍馬暗殺でも、岩崎弥太郎が犯人だなどという説は、僕は寡聞にして知らず、龍馬ファンや歴史ファンから総スカンを食らうことが予想され、そんな大胆なドラマをかのNHKが、しかも大河ドラマとして放映できるとはとても思えないという気がした。

 だが、考えてみれば、岩崎弥太郎には創業時の資本の出所が不明だという話が伝わっていて、事の真偽はともかく、かの「いろは丸事件」で龍馬が紀州藩から得た賠償金を横取りしたという話を聞いたこともあるし、海運業で弥太郎が成功を収めるうえで坂本龍馬ほど邪魔になる人物はいないわけで、モーツァルトとサリエリ同様に同じ土俵における才覚の鬩ぎ合いが想定できるから、なかなか面白い着想だと感心した。しかし、さすがにそれをNHK大河ドラマで放映すれば、とても三菱が黙ってはいられない過激な問題作ということになるだろうし、今後、どのような展開を見せるのか大いに気になって、僕には珍しくも、テレビの連続ドラマを毎回、観続けることになっている。

 かような次第だから、現在でも高知市から車で一時間ほど掛かるくらい離れている安芸市に生家のある弥太郎が、高知城下に生まれた龍馬と幼い時分から接点があったかのような、地元に住む者からすれば笑止千万の物語が始まっても「なぜ弥太郎と龍馬なのか」については、疑念がなくなるどころか、かような無理をしてまでも二人を結びつけなければならない理由があるとすれば、それはもう『アマデウス』以外の何物でもないとますます確信を抱いたのだったが、さればこそ、ますます龍馬暗殺に係る弥太郎の加担をどう描くのかが気になってきて仕方がなかった。

 親しい友人の幾人かにはその話をしつつ、所詮NHKだし、実際に回を重ねるなかでは、ナレーターは弥太郎であり続けながらも、『アマデウス』的な「弥太郎=サリエリ VS 龍馬=モーツァルト」の葛藤を綴る色合いを当初ほどには見せなくなっていったので、やはり徐々に軌道修正を試みてきているのだろうと見くびっていた。だが、8月29日放送回『薩長同盟ぜよ』を観て、恐れ入った。脚本を書いている福田靖は、肝心の部分を誤魔化したりはしなかった。新撰組と京都見廻組という、通説でも龍馬暗殺犯の最有力者とされている両者ともに対し、薩長の間に入って暗躍している土佐浪士は龍馬であることを漏らしたのが弥太郎ということになっていた。龍馬を亡きものとするためにという積極的な加担ではなかったが、新撰組や京都見廻組が坂本龍馬を執拗に追うようになったのが弥太郎のせいだとすれば、龍馬暗殺に加担したとも言えなくないわけで、なおかつ今回のドラマで描いてきた弥太郎の人物像として、取って付けたような違和感のない運びで宿題を果たしていて、大いに感心させられた。事ここに至って脚本家が『アマデウス』のモーツァルトとサリエリに龍馬と弥太郎を重ねているのは、間違いないこととなったように思われる。

 僕は『アマデウス』の舞台を観たことはないが、映画化作品は四半世紀前の公開時六年前にDC版という形で二回観ていて、随分前ながらピーター・シェーファーの戯曲も読んだことがある。四半世紀前の映画化時に話題になったことの一つには、上述のモーツァルト像の提示のほか、モーツァルトの才能に無理解な浪費家の悪妻で名高いコンスタンツェをイノセントな女性として描いたこともあったような記憶がある。だから、福田靖の書く『龍馬伝』で気になってくるのも、おりょうの人物造形ということになるのだが、親しい友人の幾人かに話をした時の僕の予想は、気の強い奔放な美人だっただけで龍馬の志など解せない女性だったとされがちな彼女を、『アマデウス』でのコンスタンツェ同様に、ちょうどピアノと譜面から離れたときのモーツァルトが音楽から遠ざかったように、龍馬が国事への煩いから離れられるイノセントな女性として描かれるのではないかというものだった。
 だが、確かにそのような面を押し出しつつ、より積極的に国士としての龍馬のパートナーでもあったように描こうとしている気がする。8月29日放送回では、薩長同盟に係る西郷・桂の密談に龍馬が立ち会うための案内人の薩摩藩士を彼の元まで危険を冒して連れてきたのがおりょうだった。従前からのおりょう像を逸脱しようとしている点では予想どおり『アマデウス』同様ながら、龍馬暗殺への弥太郎加担を見くびっていた件と同じく、やはり僕の予想をかなり超えていきそうに感じた。

by ヤマ

'10. 8.29. NHK大河ドラマ



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