『孤高のメス』
監督 成島出

 帰国後、高名な大学の医学部教授に迎え入れられている、ピッツバーグ大学で共に肝移植を学んだ医師(松重剛)から“孤高”と称された当麻医師(堤真一)の人物像以上に、人の集団や繋がりにおける薫陶や感化というものが印象深い作品だったように思う。

 亡き母親の遺品の日記から「大事なものをもらった」と話す青年医師の弘平(成宮寛貴)にしても、二十年前に勤務先の地方病院での患者不在の手術実態に辟易として看護師の誇りも意欲も失っていながら、着任当日から患者救済を最優先にして手術に当たった当麻医師の執刀ぶりを目にしたことから始まって自らのスキルアップに努めるようになり、亡くなった時点では隣家に住む小学校の音楽教諭の武井先生(余貴美子)から「弘平くんの母さんは、自分の仕事に誇りを持っていたから」と言われるようになっていた中村看護師(夏川結衣)にしても、出身大学を笠に着た面子と保身しか頭になく、中村看護師らスタッフのモチベーションをスポイルしていた野本外科部長(生瀬勝久)から離れていった青木医師(吉沢悠)にしても、良きにつけ悪しきにつけ、人は人から学び感化されるものであることを改めて思った。

 悪しき感化が野本外科部長の周辺に対照的に配されていたのは、エンターテイメントフィクションの常套ではあるが、実際、人の集団というものは、そうなっている気がしてならない。とりわけ職場というところにおいてそれが顕著なのは、いくらかの歳月を職場で過ごしたことのある者には、身に沁みる現実なのだから仕方がない。そして、当麻医師ほどではないにしても、せめて良心の自由を得ようとすれば、孤高にまでは至らずとも、そちらのほうに向かわざるを得なくなることも思い知っているとしたものだ。
 概ね人は、当麻と野本の両極のどちら側にもなく、その中間で自分の身の置き所を模索するわけだが、誰しもが当麻になれようはずもなければ、人は、当麻のほうに近づきたいという意志を抱くよりも、野本のほうから遠ざかるべく意識するほうが望ましいような気が僕はしている。

 手術室の現場やスタッフが当麻医師の薫陶を受けて大きく変化していっている様子が、とても丁寧に描かれていて、それが日常の生活態度をも含めた変化に及ぶものであることも丁寧に描出していたところに、大いに感心した。確かに仕事というものは、職に就いてからの人々の時間の最大量を充てられるのだから、その影響は甚大なのだ。だから、“割り切ってこなすだけのもの”に仕事をしてしまっては、余りにも勿体ない。それだけのシェアを占めているのが仕事の時間だと思う。
 だが同時に、それ自体が自己目的化してしまうような仕事の仕方をしたくはなく、仕事から得られる喜びや面白さというものを対価性や職階にだけ集約した臨み方もしたくはないものだ。当麻医師のような存在とはそうそう出会えるものではないけれども、仕事に喜びや面白さをはなから諦めた臨み方をするのではなく、たとえ甲斐を見出しにくかったり退屈を避けがたい仕事ではあっても、そこに面白がれる材料を見つけ出す力を蓄えたいとかねがね思っている。

 それはともかく、非常に丁寧な描出が印象付けられた作品だっただけに一つ気になったのが、中村看護師が亡くなったときの状況を、武井先生が「病院で勤務中に倒れて他の病院に運ばれ、たらい回しにされた挙句」というふうに映画の冒頭で弘平に語っていた点だった。それは即ち、当麻医師の去った二十年後のさざなみ市民病院ということになるわけだが、それなら映画の最後で、弘平が着任した病院の院長が当麻医師になっていることを思わせるような演出は、場面効果は十分だったけれども、やはりまずいんじゃないかと思う。僕の記憶違いなのかもしれないけれど、スーツ姿の弘平が入って行った建物の入口に「さざなみ病院」という文字が映っていた気がする。
 もっとも仮にそうだったところで、弘平がいくら望んだとしても赴任が母親の死後直ちにというわけにはいかないのが職場替えの常でもあろうから、中村看護師が亡くなってから何年も経って後ということにはなるのだろう。だから、少なくとも中村看護師が亡くなった時の院長は当麻医師ではないのだろうが、映画作品ではそのあたりの時間経過のほどが充分には伝わらないものだったように思う。




推薦 テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/1006_2.html#mesu
by ヤマ

'10. 7. 9. TOHOシネマズ2



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