『Flowers』
監督 小泉徳宏

 花と題した作品だから、昭和11年の桜も平成21年の紫陽花も、とても美しく映し出されていたのだが、モノクロでもカラーでも映し出された唯一のフラワーが椿で、この映画のいかにもフォトジェニックな造りとキャスティングからすると、タイトルは『Flowers』ではなく『TSUBAKI』とすべきじゃないかと思っていたら、エンドロールで「特別協賛 資生堂」と映し出された。

 昭和11年の、親の決定に従うしかなかった凛(蒼井優)の19歳での結婚。昭和39年の、尊敬できる夫を自分で選ぶことの出来た薫(竹内結子)の二十代半ばでの結婚。昭和44年の、対等な男女としての恋愛結婚を“行き遅れ”と言われる27歳でした翠(田中麗奈)の結婚。昭和52年の、団地住まいの核家族のなかで迎えた、戦後生まれの慧(仲間由紀恵)の二人目の出産。平成21年の、三十代後半でのシングルマザーとなる奏(鈴木京香)の初産。

 結婚と出産という古今変わらぬ女性の一大イベントを通じて、戦前戦後に及ぶ昭和から、平成にまで至る八十年間の日本女性を取り巻く状況の変化を、時代の空気の変貌として三世代にわたって手際よく描き出し、とりわけ“綺麗”な作品にして懐古的な味わいを漂わせていた点からは、いかにもROBOT製作に相応しい作品だという気がした。

 凛の母、慧、佳(広末涼子)の三人を通じて、“日本の母”なる部分が美しく良きものとして強調されていたからかもしれないが、『TSUBAKI』として然るべきタイトルを『Flowers』としてあることが、あたかも「実を結べばこその花」たる女性の務めは、子を産み命を継ぐことに他ならないと言っているようでもあって、そこのところが少々気にはなった。

 もっとも近ごろ女性たちは急速に保守化してきているようだから、三年余り前に柳沢厚労大臣が「女性は子どもを産む機械」と言って暴言だとされたときとは違って、この映画を観て、椿のように美しい女優たちに憧れはしても、作品タイトルに異議を唱えたりはしないような気はする。“機械”などという乱暴なことは言わずに賛美しているのだから反感を招かないのだろうし、慧の自己決定権を尊重した結果だから止むを得ないことなのかもしれないが、こういう選択が同調圧力によってもたらされるようになることには反対だ。それこそ「女性は子どもを産む機械」などでは決してないからだ。だからこそ、作り手も、慧の遺された夫(平田満)に長女 奏の高齢出産に際して“母体優先”を言わせる場面を配しているのだろうが、それ以上に強く印象づけられるのは、やはり自らの命を引き換えにしても身籠った命を誕生させてやりたいと願う母親の思いの強さのほうだったような気がする。

 六大女優の競演という触れ込みからは、いずれ劣らぬ華を漂わせていて見事だったが、僕の眼には仲間由紀恵の笑顔の魅力が際立っていたために、余計にそんなことを思ったのかもしれない。女性の置かれた状況の変化を捉えた女性史としての側面を美しく描き出すという点では、平成21年の佳の夫の育児参加についてもっと積極的に描いていれば、少し印象が異なってきたかもしれないと思わないでもなかった。姉の出産の手助けをするために子供を置いて実家に戻ることができていた佳の状況に充分窺えるのだと言ってしまえばそれまでだが、凛の父親(塩見三省)に「ばんざーい、ばんざーい」と叫ばせる強い場面を用意していたことに比べ、佳の夫の影がいかにも薄かったのが残念だ。
by ヤマ

'10. 7. 3. TOHOシネマズ8



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