『懺悔』(Monanieba)['84]
監督 テンギズ・アブラゼ


 ポスターイメージから何となく中東映画だと思っていたので、ちょっと懐かしい、いかにも旧ソ連映画のフィルム独特の発色を見せた画面におやおやっとなったので、いつの頃の作品なんだろうと思っていたら、エンドクレジットに1984と出てきた。そして、観終えた後でチラシを確かめてみたら、グルジア映画だった。

 グルジア映画と言えば、三十年近く前に観た『ピロスマニ』が思い出される。あの作品も幻想的な風変わりさに味のある画面の美しい作品だったが、この映画はそういう美しさ以上に、社会性の強い豊かな象徴性に富んだ作品で、加えて、台詞のなかで引用されてもいたシェークスピア劇に通じる古典的主題を、風格として備えた立派な映画だったように思う。

 偉大な男として葬送された長らく市長を務めたヴァルラム・アラヴィゼ(アフタンディル・マハラゼ)の遺体を墓から三度も掘り出し、決して安眠などさせないと法廷で宣言する女性ケテヴァン(ゼイナブ・ボツヴァゼ)の回想によって、ヴァルナムが権力者として行った粛清の過去が暴かれていたのだが、ヴァルナムの遺体の髪型からしてもグルジア出身のスターリンを想起させるところがあり、製作年次を思うと凄い作品だと言うほかない。なにしろ祖父ヴァルラムの犯した過ちを認めようとしない父アベル(アフタンディル・マハラゼの二役)に絶望した息子トルニケが、十代の若々しい純粋さによって、出自とケテヴァンへの慙愧から自ら命を絶ち、アベルを慟哭させる物語なのだ。ヒットラーもどきのちょび髭を生やし、ムッソリーニの率いた黒シャツ隊を偲ばせるような出で立ちをみせ、オペラを愛好するファシストとして描かれていたところがミソだ。この作品を持ってスターリン批判との非難をすれば、本作はファシスト独裁者を風刺した映画なのに、それをそのように観るのは貴方がスターリンをファシストと同一視しているからに他ならないとの切り返しができるとともに、まさしく堂々とスターリンを存分にファシスト独裁者として描くことができるわけで、痛烈極まりない。

 でもそれ以上に、女優が魅力的だったのが僕には好もしかった。ケテヴァンを演じたゼイナブの知性漂う貫禄といい、アベルの妻の大きな眼鏡の似合う風貌や肢体といい、なかなかよかった。四半世紀前の映画なのだが、グルジアの人たちの顔を観ていると、本当にグロ-バル化が進んでいて、何だかとてもヘレニズム色という感じだった。それと同時に生半可では済まない多民族国家ぶりが人々の顔立ちの多彩さに窺われ、旧ソビエト連邦崩壊に伴う東西冷戦構造の瓦解のなかで世界的規模で著しく顕著になってきた民族主義には、ずいぶんと悩まされているであろうことが想像に難くない。多民族国家ということは取りも直さず宗教の複雑さをも抱えているわけで、『懺悔』と題された作品が示しているものには、図らずもそういう意味合いが加わってきているように感じられた。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
https://mixi.jp/view_diary.pl?org_id=1052146418&owner_id=3700229&id=1050555059
by ヤマ

'10. 4.27. 美術館ホール



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