『不灯港』
監督 内藤隆嗣

 タイトルの「ふとうこう」という響きは、通常「不凍港」であって「不灯港」ではないのだが、いかにも寂れた漁師町をイメージさせ、見るからにショボくて笑える。漫画やイラストのほうでは“ヘタウマ”というカテゴリーがあるようだが、こなれたスマートさとは無縁の粗略さのなかに妙に味のある映画版“ヘタウマ”ともいうべきテイストの作品だったように思う。

 良くも悪くも“変われる”女と、“変われない”バカで不器用な男の対照のなかで、男の意気が滑稽味と共に描かれていて切なくなるのだが、邦画的湿っぽさに向かうことを断固として避けていた。同じアナクロでも、志向しているのはヤクザ映画ではなくて西部劇なのだろう。だから、オープニングでの、駆ける馬の背の如く縦揺れする小型漁船のラジオから流れ出ている曲が、バンジョーの響きによるカントリー&ウェスタン調なのだろう。同じ西部劇でもマカロニ風味とは異なる明るい陽気さのなかにある哀調だった。
 その名も「野郎丸」などという、気取っているのかふざけているのか判別不明の、いずれにしたところで全く気の利いていない“浮いた”船名の漁船にて、毎朝午前三時ごろから漁に出ている石黒万造(小出伸也)、38歳。鄙のスナックに一杯飲みに行くのに胸に赤いバラを指し、立ちん坊と思しき商売女に誘われても自販機飲料のことかとマジボケをかますくせに「一日も早くお嫁が欲しくて、毎日毎日、いてもたってもいられんです。」などと婚活PRビデオにて真摯に語る万造の“切実さと鈍さのオフビート”というか、調子ハズレのもたらす失笑が、いまや死語に等しくなっている“チョンガー”という言葉を想起させるような彼の独身生活の孤独と哀感の息づきのなかで、何とも言えない切なさを伴った共感とも同情とも知れない複雑な感情へと転じていく時間の流れに絶妙の味わいがあった。そして、その変転と共に、開幕のバンジョーの明るい響きから、マカロニウェスタンに付き物とも言えそうなトランペットの響きによる哀調に転じていったのもまた味わい深く、それでいて同時に失苦笑をも誘われずにはいられない複雑さがあって、してやられた。
 PFFスカラシップ作品なのだから作り手は若いはずで、おそらく'70年代には生をも得てなかろうと思われるのに、音楽にしても男女観にしても鄙のスナックやスカーフといったものの道具立てにしても、更には“男の意気”といった主題そのものにしても、いかにも'70年代の香り立ち込めるアナクロ風味を、揶揄としてではなく愛おしむように描いているのが印象的だった。

 野暮ったく素人臭い台詞回しには呆気にとられながらも、それゆえに講じた工夫か、鄙のスナックでの男女の駆け引き場面にしても、商売女にかましたボケにしても、婚活パーティでの駄目さ加減にしても、美津子(宮本裕子)を最初にベッドに誘った場面にしても、一人暮らしから三人暮らしになったことでの変化にしても、まとまった金を作るための売却交渉場面にしても、台詞を意識的に排して映像で表現した可笑し味に、観ているうちに微妙で不思議な味わいが宿り始め、ちょっと感心した。
 身をほぐしていた焼き魚の中から見覚えのある髪飾りが思いがけず現れ出たラストショットをどう観るかは、受け手によって意見の分かれるところだろうが、こういった台詞を排して映像で語る作り手のスタイルから、僕は、美津子に去られたことに対して万造が心の整理をつけた心境を示していると解した。
 すなわち、海から引き上げた鮮やかな赤布を切り抜いて作ったスカーフを贈り物にして共に暮らし始めていたことと呼応して、万造は、美津子を“海から上がってきた人魚”のような存在だったと思うことにして仕舞いをつけたのだろう。まさお(広岡和樹)を贈り届け、張りのない一人暮らしに甲斐を与えて、また海に帰っていったのだと思うに至っていることを作り手が示しているように感じた。まさおに自分と同じ格好をさせ、同じように鉢巻きを締めさせて、共に海に出ていた二人の親和性のなかに、万造が一人暮らしのときには持ち得ないでいた生き甲斐を獲得している様子が窺えたように思う。されば、世間的には騙し取られたことに他ならない三百万も、万造にとっては、束の間とはいえ念願の“嫁を得た暮らし”を過ごし、まさおを得た代償とみれば、単に奪われた金とも言えないような気がする。
 思えば、流れ者が立ち寄り、幾ばくかのあいだ留まって、何かを残して去っていくというのは、西部劇の王道を行く筋書きではある。西部劇では、そのような流れ者が金を騙し取っていくことはないけれども、この作品の根っこのところにあった西部劇風味からすれば、物語のその骨格は、最初からあったものなのかもしれない。

 ラストショットをそのように観た僕だったが、上映会場で受付をしていた友人から、ラストをどう観たかと問われ、そのように説明したところ、さっき出て行ったお客さんが「切ないねぇ」と零しながら、「あの娘、死んだがやろ」と言って帰って行ったと教えてくれた。老男性だったようだが、同じく切なさを映画作品から感じつつ、触発されて思い浮かべた物語は異なっていたけれども、それはそれで成る程と思った。西部劇風味からは少々外れるような気がするけれども、いかにも邦画好みの湿度に見合った悲劇として、人の愚かさ哀しさを読み取った物語になるわけで、大いに納得感があった。万造から騙し取った金をまたもや男に騙し取られ、万造の元にも帰るに帰れなくなった美津子は、海に身を投げるしかなかったというふうに観たのだろう。来場者は極めて少なかったように見受けられたが、とさりゅうピクチャーズは、いい観客を贔屓筋に持っているなと感心した。



参照テクスト:『不灯港』をめぐる往復書簡編集採録

推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/1001_2.html
by ヤマ

'10. 1.15. 民権ホール



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