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「あたご劇場で無料上映会」第2部ワイズ出版の試行錯誤
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円尾敏郎氏の主宰するテッケンがワイズ出版製作の三作品を上映した。一作目の『無頼平野』は、同じあたご劇場で、ムービージャンキー(主宰:西川泉氏)が'95年11月に『死ぬにはまだ早い』('69)との併映で上映しているが、残りの二作は、高知での上映はされていない。 『無頼平野』は、'95年当時に観た記憶が確かにありながらも、中味についてはほとんど覚えがなかったが、観ているうちに、ああそう言えばと思い出す箇所がいくつもあった。敗戦後間もない頃の日本の混沌と貧しさを舞台にしているように感じさせながらも、時代も場所も不詳と冒頭に出てきたのは、低予算ゆえに細部まで凝れないからか、原作に則ったからかは判らないけれども、当時の雰囲気がよく出ていると感じた。その一方で、当時としては違和感を覚える事物も少なからず登場していて、歴史的事実と合致していなかったように思われたが、だからこそ、冒頭に時代・場所不詳という断りを入れてあったのかもしれない。 上映前に円尾氏のほうから客席に向けてのレクチャーがあり、そのなかでワイズの岡田社長の思いの強さの話が出ていたが、今回再見してみて改めて、確かに趣味的な作品だと思った。 つげ忠男の原作によるものらしいが、どこまで原作を踏襲しているのか全く分からないものの、忠男(佐野史郎)の元に二日ばかり身を寄せた子持ち女(水木薫だろうか?)の漂わせていた哀感と逞しさがちょいと良かったように思う。 『樹の上の草魚』は、前夜の飲み会が午前三時を過ぎたために、上映開始の十時までに起きられずに断念。かねてよりチラシは手元にあって、密かに楽しみにしていた作品だったので、とても残念。この日の夜は、自主上映関係者の新年会があって、高知新聞学芸部の記者たちも参加しての飲み会だったが、その席で聞いた話によると、あたご劇場に隣接する病院の工事の音がやかましくて、最悪の鑑賞条件だったそうだ。作品に心惹かれる部分が生じれば生じるほどに、騒音から受けるストレスは高くなるわけだから、精神衛生によろしくない上映会だったようだ。 翌日の『蒸発旅日記』のときは工事を休んでいたので、騒音には悩まされなかった。こういう作品を観ると、本来的に男というものは、穀潰しで、妄想の生き物であることにつくづく思い当たる。 製作担当として現場にも入っていたという円尾氏の話では、山田監督と美術監督の木村威夫、撮影の白尾一博とで 意見が違っていて、いつも喧々諤々の現場だったそうだ。場面場面でそれぞれのカラーが出てきていると上映後の解説で話していた。また、円尾氏の意見としては、つげ義春のイメージよりもむしろ寺山修司の感じがあって、それが監督の思いにあって、助監督に森崎偏陸を付けていたのかもしれないとのことだった。 僕が気に掛かったのは、画面に色濃く出ていた“黄色”のイメージで、温泉浴場の壁のタイルから来ているように感じられたのだが、漣や緑に施された着色や、レトロな事物のなかで敢えて金髪に染めた精神病院脱走男を登場させていたりしたのが、上記スタッフの誰のこだわりだったのかなと思ったりした。 “股倉観音”のエピソードは、きっと原作にあるのだろうと思いつつ、能面をつけた日傘の男と蓮池の女の絡みは映画化作品での創作だろうと感じた。そして、能面イメージを生身化したに他ならないような静子(秋桜子)のキャスティングに感心した。 また、エンドクレジットに清水ひとみの名を見つけ、女剣劇の花形役者からストリッパーになった子持ちの姐さん踊子が彼女だったのかと、かつて一世を風靡したアイドルストリッパーのアラフォー風情に感慨を覚えた。 | ||||||||
by ヤマ '10. 1. 3.9.10. あたご劇場 | ||||||||
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