『アンナと過ごした4日間』(Cztery Noce Z Anna)
監督 イエジー・スコリモフスキ


 滅法暗い映画だった。おまけに湿っぽい。日本の湿度感とは、また別の、いかにもポーランドを感じさせる湿感の作品だったから、「空気の湿度というものを感じさせてくれた映画」(P54)として拙著にて紹介した『ふたりのベロニカ』を撮ったキェシロフスキもまたポーランドの映画監督だったことを思い出した。通じているのは、“人間の孤独を見つめる”という眼差しなのだろう。

 何処の地にも自己表現が途轍もなく下手な人間はいるものだが、レオン(アルトゥル・ステランコ)の場合は、もう不器用の次元を超えているような気がした。冤罪で収監された顛末にしろ、レイプされている現場を目撃して忘れられなくなった女性に対して七年も想いを抱き続けていることにしても、出所後に果たした想いの表出の仕方にしても、いずれも尋常な不器用さではなく、やはり常軌を逸しているとしか言いようがない。

 そんな彼をアンナ(キンガ・プレイス)が受け入れたりする安易な結末にしていないところがよく、それでいて、冷静に受け止めたことを示していたところに感心したが、やはりこれは、作り手の見識と言うべきものだろうと思った。それにしても、レオンの人生は、あの濁った川を流れていた牛の死体のように哀れでいけない。そんな思いが働いたからか、本作とは全然別の物語になってしまうので筋違いなのだろうが、僕は、レオンのレイプが冤罪ではない物語にしたほうが面白くなるような気がした。

 自己表現に不器用な男の思い余ったレイプというのが先ずあって、収監されても想いをなお断ちがたいレオンに、映画にも出てきたように、今度は自分が刑務所でレイプされることになるという体験があったなかで、ずっと彼女への想いを抱き続け、出所後なおも強く想いを寄せるアンナに対して本作どおりのストーカー行為を、相変わらずの“自己表現に不器用な男”として手の込んだことを重ねて四夜を過ごすというところはそのままだ。だから、作品タイトルは同じでいい。
 そのうえで、かつて思わぬ偶然の重なりのなかで機会を得、勘違いも手伝って思い余ったレイプに及んでしまった女性に対する想いが、今度は眠りのなかで豊かな乳房を露にしている姿を観ても、レイプには向かえないものになっていて、了解なしでは、意識のない状態の彼女に対してだと指一本触れられなくなっている、としたほうが、人にとっての“人の存在に対する意識の持ち方”の変容を捉えた物語として、妙味が増すような気がしたのだ。

 単純に自分もレイプされる経験をしたから変わるというのではない。それは付加要素に過ぎず、むしろ、一度も再会することも出来ないまま想い続けるということの結晶作用が、不器用な男の不器用さの変容を促し、その変容によって、被害者の女性は、彼が犯人ではなかったと思うように変わってしまうわけだ。
 本作でも、七年前のアンナが犯されたのは後ろから押さえつけられてのもので、レオンがそれを呆然かつ凝視していたことには気づいてなかったから、レイプされた後に近くに寄って来ていたレオンの顔を見て、実際のレイプ犯と入れ替わっていたとは思わなかったことで、彼が冤罪で収監されることになっていたのだろう。それならば、真犯人であろうがあるまいが、物語の運びに影響はない気がする。

 そして、あくまでもレオンが指一本触れない四夜を過ごしてプロポーズしてきたことが彼女に「あなたは犯人ではないわ」という言葉を与えたわけだから、彼が七年前は真犯人だったとしても、アンナの意識の持ち方は同じ変容を遂げることになるはずだ。事実を知る観客としては、その顛末に納得がしにくくなるのだろうが、むしろそこが狙い目で、レオンが同じ人物ながらも“別人”になることで、彼に対するアンナの意識の持ち方が変容する物語になっているほうが、触発力に富むような気がする。
 人の人に対する意識においては、事実そのものは本当は余り問題ではないように僕は思っている。鍵を握っているのは、その事実が意識されるかされないかだけのことのような気がする。だから、既に随分と時を隔てた事実の僅かな露見が人物評価を一変させるのであって、そういうことは現実においてもしばしば起こることだ。人が人から現在進行形で受け取っている事実の頼りなさ、不確かさに当事者が気づいていないことは余りに多いが、僕は、むしろ、そのほうがいいように思っている。いま見て取っている自分の目の確かさのほうを信じられなくなると、人はたぶん生きていけないような気がする。
 そうであっても、レオンが別人になり得て、アンナから「犯人ではない」との言葉を得られるに至っても、やはり受け入れられることとは別物であることを提示するのは、大事な部分だと思う。

 けれども、そのような物語にしてしまうと、レイプされているところを目撃して忘れられない女性になるという本作のニュアンスは消し飛んでしまうのだが、それでも、全てにおいて次元違いの自己表現下手ぶりを発揮する男に、終始一貫変わらぬ不器用さを与えることは可能で、そうでありつつも、そこに変化というものを負わせることで、人の人に対する意識の変容を生じさせることを描いた物語にしたいような気がした。



参照テクスト:吉田修一 著 『さよなら渓谷』読書感想

推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1314298091&owner_id=3700229
推薦テクスト: 「なんきんさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1358704101&owner_id=4991935
推薦テクスト:「Happy ?」より
http://plaza.rakuten.co.jp/mirai/diary/201203010001/
by ヤマ

'10. 7.15. 美術館ホール



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>