『フォロー・ミー』(The Public Eye)['72]
監督 キャロル・リード


 十代の時分に観て気に入りパンフレットも購入した作品の三十数年ぶりの再見だが、もはや孫を持つ境遇に至っていると少し子どもっぽく映ってくる部分もありながら、やはりとても気持ちのいい映画だった。

 窮屈な上流階層の英国紳士と結婚した米国女性の浮気調査を依頼され、ベリンダ(ミア・ファロー)を尾行しているうちに惹かれるようになった探偵クリストフォルー(トポル)が、シドリー夫妻の関係修復のためのアドバイスをする前に、きちんと自分の気持ちを先ずはベリンダに伝えたうえで潔く転換するところがその気持ちのよさの源泉で、そこのところは、十代のときと同様に素直に浸ることができた。

 十日間の無言の同行のなかで親和性を増していく二人の描出が実に巧みで、昨今流行の体験型観光の主要メニューにもなっている“食”と“街歩き”の楽しみというものを四十年近くも先取りしていた感のある作品だった。ロンドンの街並みには今もなお本作に出てきた飲食品名を冠した通りや広場、小道の名前が残っていて、街なかに表示されているのだろうか。
 また、映画と言えばB級ホラー映画ばかり観に寄っていたベリンダに、彼がリードして変更させて見せた映画が『ロミオとジュリエット』だったのは、彼なりに“許されない恋”の思いを伝えようとしていたのかもしれないとも思った。

 夫に雇われた探偵だったことが露見した後、自分に“妻”であることしか望まず、教化しか関心がなくなった夫には、自分はもう何も与えられなくなっているという夫婦関係の在りように対する悩みと空ろを涙して彼に告白した真情に、ベリンダが夫を深く愛し続けていることを思い知って転換したクリストフォルーの潔さというのは、同時に彼女への愛情表現でもあったのだろう。

 教養があって知識も言葉も豊富に持ち合わせているチャールズ・シドリー(マイケル・ジェイストン)だからこそ、沈黙をオーダー(字幕では「命令」になっていた)することに意味があることについては、夫婦間のコミュニケーションのありようとして、かつて観たとき以上に響いてくるところがあったような気がする。

 シドリー夫妻がテムズ河と思しき川で小さな客船に乗り合わせ、探偵から貰った白い帽子とコートをまとったチャールズがマカロンを頬張りながらベリンダに微笑みかける。すると、彼女が夫の顔に蘇った柔らかな笑顔にどぎまぎするように思わず視線をそらせ、落ち着きなく首飾りに手を遣る。そんなラストシーンが何とも素敵だった。

 それにしても、字幕で探偵と訳されていた“private eye”と対照しているように感じられた“public eye”は、公衆の目と訳されていたのだが、作品タイトルとしてクレジットされていた意味のニュアンスは、どういうところにあるのだろう。手元に残っている十代の時分に購入したパンフレットを開いてみたら『The Public Eye』というタイトルはどこにも出ていなくて、『Follow Me!』となっていた。面白いこともあるものだ。



推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20100425
by ヤマ

'10. 6.27. TOHOシネマズ8



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