『重力ピエロ』を読んで
伊坂幸太郎 著<新潮文庫>


 映画化作品を観たのは、もう十三年前になる。娘が残していった書棚にあった文庫本を見つけたので読んでみたら、映画化作品の脚本の見事さに恐れ入るような気持ちになった。確かめたら相沢友子となっていたが、あまり覚えがなくて少々意外に思った。

 そして、映画日誌にも記した深刻なことを明るく語るのは難しいものだを果たすうえでの軽妙さを醸し出す“洒落と博識の利かし方”に大いに感心しながら読んだ。

 映画化作品を観て繰り返しガンジーの言葉を引いていたと記した部分については、ガンジーは、春にとっては大切な、骨格たる人物と言って良かった。性的なものに嫌悪感を抱き、「人間にとってもっとも大切なのは抑制だ」とも言った。彼の唱えた、「非暴力主義」は、二十世紀における、「人類最大の武器」だと春は言ってはばからない。映画を何度も観ては、そのたび泣いた。 「未来の人々は、あのような人が生身の姿でこの地球上を歩いていたとは、到底信じられないだろう」 これはアインシュタインが、ガンジーについて語った言葉だ。春は、ガンジーを評価しているからという理由でのみ、アインシュタインのことを評価している。P99)と記されていた。映画ガンジーは、僕にとっても少々特別な作品なので、大いに共感を覚えるとともに、…私は、春ほどは、ガンジーを神聖視していなかった。だから、「でも彼は、首尾一貫していないじゃないか」と言った。「暴力を嫌うくせに、戦争に参加すべきだって言ったり、ミルクは飲まないと誓いを立てたくせに、病気で死にそうになると、牛の乳ではなくて山羊ならいい、という理屈を受け入れた」それくらいの話なら、私も知っている。…「それに、ガンジーは性的な関係を断っていたくせに、老いてからは、彼を慕う女性たちを裸で添い寝させていたじゃないか」 春は、私のガンジー批判に気を悪くする様子もなく、彼にとってはそのあたりのことはすべて了解済みのことであるらしく、むしろ、嬉しそうに含み笑いをした。「俺はさ、彼のそういうところが、とても好きなんだよ」…P385)というあたりでのガンジー談義を興味深く読んだ。とにかく、「性的なるもの」が存在しなければ、…この世に生まれてこなかった…春が敬愛するガンジーはこう言った。「人間の情欲を根絶するには、食べ物の制限や断食が必要である」 あの時の春は、食べ物ではなく、バットでそれをやろうとした。世界中から、人間の悪という悪を、人間の性という性を退治するつもりで、ジョーダンバットを抱えて、跳んだのに違いない。P19)という序盤での記述が最後まで効いてくる仕掛けになっていた気がする。

 タイトルになっている重力ピエロが最初に出てくるのは、ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだP106)という春の台詞だったが、私たちが信頼しているもの、例えば――重力とか。P376)との一文が効いてくる形でまさに今がそうだ。ピエロは、重力を忘れさせるために、メイクをし、玉に乗り、空中ブランコで優雅に空を飛び、時には不恰好に転ぶ。何かを忘れさせるために、だ。私が常識や法律を持ち出すまでもなく、重力は放っておいても働いてくる。それならば、唯一の兄弟である私は、その重力に逆らってみせるべきではないか。脳裏には、家族全員で行ったサーカスの様子が蘇った。「そうとも、重力は消えるんだ」父の声が響いた。P449)という“最強の家族”が立ち現れてきていた。それにしても、花言葉『賞賛に値する』P456)父親だった。

 人の一生は自転車レースと同じだと言い切る上司もいれば、人生をレストランでの食事に喩える同僚もいた。つまり、人生は必死にペダルを漕いで走る競走で、勝者と敗者が存在するのだという考え方と、フルコース料理のように楽しむもので、隣のテーブルの客と競う必要はなにもないという構え方だ。P145)の後者を生き、死を目前にしても些かの乱れもなかった。

 それにしても、兄弟の対話にあった「(ライオンやクジラ、犬)らは、セックスの時に言い訳をしたり、勘違いをしていない。人間は賢いからさ、セックスの最中にも自己欺瞞や勘違いばっかりだ」「勘違い?」「相手を支配しているだとか、辱めているだとか、道徳的であるとか、道徳的でないだとか、余計なことをぐちゃぐちゃ考えるんだ。宗教や神にまで結びつける奴もいる。性的な場面を描けば文学的だ、官能的だ、と持て囃す奴もいる。セックスをしたところで、何も超越しないし、誰のことも支配できない。人間の性は、動物よりも数段、馬鹿馬鹿しい」「ただ、馬鹿馬鹿しいからこそ、意識しなければいいじゃないか」私は何げなく言いはしたが、それはずっと弟に伝えたかったことでもあった。「特別なものではなくて、ごく普通のことで、それほど神経質になることはない。そうじゃないか?」 春は、「そうじゃないんだよ、兄貴」と哀れむような目を向けてきた。 そうじゃないんだ、弟よ。私のほうも、彼を哀れむ。P168)という遣り取りのデリケートさに、深刻なことを明るく語ることの巧みさを強く感じた。

by ヤマ

'22.12. 8. 新潮文庫



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