『ロルナの祈り』をめぐる往復書簡編集採録 | |
「チネチッタ高知」:お茶屋さん ヤマ(管理人) |
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2009年6月18日 0:04
ヤマ(管理人) お茶屋さん、こんにちは。 上映会場で会ったのは、久しぶりやったね。どうだった? さっきmixiに以下のような日記をメモったとこなんだけど、お茶屋さんにとっては、談義意欲の湧く作品だった? もし、構わなければ、久しぶりにお相手してくれる? ダメなら日誌を綴ることにするんだけど(都会の連中が観たのは、どうせ随分前だろうし)。 ***************************** いかにもダルデンヌ兄弟の作品らしい、観ていて気持ちが重くしんどくなってくる映画だった。とは言っても、もちろん観応えがあって、ロルナの妊娠への思いの強さを何ゆえと観、ファビオの差し出した1000ユーロの受け取りを一旦拒んだロルナが何ゆえ自ら手に取ったと観るか、そして、遺族に渡そうとして拒まれたクローディの残した僅かな金を何ゆえ掘り出したと観るか、また、身の危険を感じて車中を逃れながら、バッグを取り戻すためではないのなら、何ゆえ戻ったと観るのか、それぞれ思うところはあるのだが、日誌を綴るよりも誰かと談義をしながら反芻してみたくなるような作品だった。 相変わらず大胆なまでに描出の省略を重ねた作品なのだが、そこに表現者側の独善的な思い込みではなく、観る側への信頼を感じさせるものが宿っているところに流石を感じた。だから、反芻への欲求がそういう形になって現れてくるのかもしれない。 それにしても、ベルギーの医療体制というか社会福祉に窺われたセイフティネットとしての手厚さに感心。犯罪に手を染めて生き抜いている連中や家族としての絶縁に至る愛想尽かしをしている関係性においても、人々に金に対して貧すれど貪してない箍が備わっているように映ったことが印象深かったのだが、そこにはモラルと言うよりも、社会のセイフティネットの手厚さが底支えとしてあるような気がした。 もう一つ思ったのが、女性にとって、身を売らずに籍を売ることと籍は売らずに身を売ることの、どちらがより大きく重い痕跡を残すのだろうかということだった。 また、原題からすれば『ロルナの沈黙』とでもなってしかるべき作品に“祈り”などという言葉を冠しているのは、作品への冒涜ではないかという気がした。 ***************************** (お茶屋さん) 『ロルナの沈黙』、いいですね。どこが「祈り」やろ〜と見終わってから思っていました。 ヤマ(管理人) そやろー(御同輩)。 (お茶屋さん) 私もとても面白く観たので、談義するのはいいけれど、談義にならんのじゃないかと思うようなことがありまして、(^_^;。 ヤマ(管理人) あらま! (お茶屋さん) だってよー(^_^;、あまりにも受け止め方が違うので。 ヤマ(管理人) それはそれで、却って興味深いんだけどなー。 (お茶屋さん) わたし、この映画を全くわかってないかもですよ。 一個目は、ファビオが差し出した1000ユーロって、ロルナは別に拒んでなかったと思うんだけど。あれはファビオがロルナを思い通りに働かすため契約にない金を渡そうとしたんだけど、渡さなくてもロルナが思い通りに働きそうな気配がしたので、「預かっておく」と引っ込めたのであって、結局、「1000ユーロもなしだ」ってことになってロルナには渡ってないですよね。だから、「一旦拒んだロルナが何ゆえ自ら手に取った」えーっ、そうだっけー!?と焦っています;;;;;。 ヤマ(管理人) 「預かっておく」と引っ込めたのは、ロルナが受け取ろうとしなかったからで、確かに積極的に拒んだわけじゃあ、なかったね。 でも僕は、受け取ろうとしなかったロルナの胸中にあったのは、“麻薬の過剰摂取によるクローディの殺害”というファビオの計画に異議を唱えたにも関わらず容れられずに、計画どおり殺害が果たされて、警察の捜査を巧く凌いだボーナスとして差し出された金を受け取ってしまうと、自分がクローディ殺害計画に加担したことになるとの思いだったと受け止めてる。だから、ファビオが「計画にはなかった更正入院やらで余計な金が掛かったろうから」と“経費”分として差し出したにもかかわらず受け取ろうとしなかったところに、“拒みの意思”を感じたわけよ。それは、報酬を拒んだというよりも、殺害計画への加担を自身に認めることを拒んだということなんだけどね。多分に心理的な拒否感だから、言動としての積極的な拒否が示されてなくても“拒んだ”という印象を持ったんだろうね。 でもって、「自ら手に取った」というのは、例の車のなかで、ファビオからの手渡しにあっさりとは乗らないロルナに対してダッシュボードの送風口のようなところに紙幣を挟み込んだのをロルナが降り際に手に取ったときのことを指してるわけだけど、 (お茶屋さん) う〜ん、そんなシーンがあったのか。全く記憶になし。寝てたのかな(笑)。 ヤマ(管理人) ま、一瞬のことやったし、寝てなくても見逃しアリかもよ。そのシーンは、既に彼女がクローディの子を身籠っていると思っているときで、なおかつクローディの遺族に渡そうとした彼の残した金を受け取ってくれないばかりか、路上に捨て落とされた後だったはず。彼の子を身籠っていると感じていることが大きく作用していたように、僕は受け止めているんだけどね。 「1000ユーロはなしだ」という話になったのは、ファビオとソコルとロルナの三人で稼ぎの精算をしてたときのことでロルナがファビオの指示通りには動く見込みがなくなって偽装結婚による国籍取得ビジネスの今後が見込めなくなったことで、先に渡し済みの1000ユーロを分配金の取り分から差し引いたのであって、ロルナには一度も渡ってないということではなかったはずよ。もっとも、この時点では、ロルナに金のことなど眼中になく、頭の中は妊娠のことで一杯って感じに描かれてたように思う。だから、ファビオから渡された金の殆どをソコルが懐に収めた後の封筒の中身を確かめようともしなかったよね。 (お茶屋さん) それから、「バッグを取り戻すためではないのなら、何ゆえ戻った」って、これも「えーっ!いつ戻ったの???」と仰天。山小屋で眠るシーンがラストじゃなかったっけ(^_^;。 ヤマ(管理人) ラストは勿論そうだけど、その前に、アルバニアに向かっているはずの車中で身の危険を察したっぽいロルナが小用を口実に車を停車させて車外に出たじゃない。そのとき、バッグを手に取って外に出ようとしたのを運転していた男に咎められてバッグを残して草むらに行ってしゃがんでたでしょ。で、自分のお腹を撫でながら、必ず守るからって呟いて大きめの石を拾い、コートの脇に隠し持って車に戻って運転手の頭を石で殴りつけたでしょ。戻るというのは、そのときのことを言ってるんであって、犯行現場に戻るという意味じゃないのよ。バッグを取り戻すために運転手をやっつけに戻ったのではないってことになると、あくまで子供を守るための攻撃に戻ったってことになるわけだけど、 (お茶屋さん) ああ、そこでしたか。言われてみるとそのとおりですねぇ! ヤマ(管理人) でしょ(笑)。 (お茶屋さん) 攻撃こそ最大の防御みたいな感じですねぇ。殺されると考えても不思議はないですもん。 ヤマ(管理人) 裏事情を知りすぎている離脱者だからね。でも、単に逃亡を企ててのことなら、引き返すまでもないよね。 (お茶屋さん) ロルナの追い詰められた必至さが現れていましたね。 合理的な判断が出来なくなっているのは明らかです。それは観ている間も感じていました。これからどうするっていうのよと。 ヤマ(管理人) そうなんよ。そこへもってきて、あのエンディングだからねー(笑)。 (お茶屋さん) 「生かす」性分が「殺す」に転じることもあるというふうに観ることもできますが、そんなことより、追い詰められたロルナの行動としては、あまりにも自然で必然で、「なぜ、引き返したか」なんて疑問にも思いませんでしたよ。かなりロルナに同化してたんですね。気づかなかったなー(笑)。 ヤマ(管理人) ロルナ自身の置かれていた状況というのは、かなり特殊なものだよね、日本人から見れば。それなのに、そんなふうにまで同化できてたのは、なぜだと思う? (お茶屋さん) 演出の力ですね。脚本もあるかなぁ。もしかしたら殺すつもりはなかったのかもしれないけど、本当に殺されるかもしれないと思わされる状況だったし。 ヤマ(管理人) 確かに。 (お茶屋さん) それと、私自身に過剰防衛的な性質があるんでしょうね。 ヤマ(管理人) 成程ね。怖いって思っちゃうと、同調しやすいよね。 では、石持って引き返したロルナの殴打は、あの運転手を殺害したと観た? それとも殺せずに逃げたと観た? (お茶屋さん) 打ちようが悪いと死んじゃったかもしれませんが、殺せずに逃げたんじゃないかなあ。ロルナにとっては正当ではないけど防衛行為であって、念入りに殺す意志はなさそう。 ヤマ(管理人) だよねー。だとすれば、子供を守るためにってことでの攻撃意志もなんか中途半端というか、何しに戻ったか訳解らないよね(笑)。 (お茶屋さん) 全くだ(笑)。 ヤマ(管理人) ま、そこがいいんだけどね。 (お茶屋さん) そうですね。人間、理屈どおりに動かんこともあるってことで。 それにしても、この事件の裁判員になったら困るねー(笑)。 ヤマ(管理人) 全くだ。ことほど左様に、事実認定ならびに判定って難しいわけだ。 僕のほうはね、運転手一人を石で殴ったからといってファビオ一味から子供を守ることにはならないのに、そんなふうに、ロルナには、もう合理的な判断ってのができなくなってるってことを示すうえで、戻った車からバッグを引き取ってはいかせなかったんだろうなって、場面描出における作り手の意図のほうを強く感じたんだけどね。 -------ロルナの妊娠への思いの強さを何ゆえと観るか------- (お茶屋さん) ここは、病院での判断は、半ば本能的なもののように見えたけど、クローディのことが好きなんだろうなーと思いましたよ。 殺してしまった罪悪感から、身内にまで疎まれていた可哀相さ、ソコルも含めて回りは金畜生(こんちくしょう)ばかりだから、生きているときより死んでからの方が好き度が増したでしょうねぇ。 ヤマ(管理人) 僕はね、クローディが自分の存在を彼の“生の標”にしてくれていたことの自身にとっての値打ちと喜びの重みを、クローディを亡くしたこととソコルへの不審と失望によって再認識して、彼の生前以上に募らせたことが、お茶屋さんの言う罪悪感と贖罪欲求を煽り立てて想像妊娠に至らせたように受け止めてた。だから、ここんとこは、お茶屋さんとほとんど同じやね。 元々ロルナにとってクローディは、ファビオの計画で用済みになれば始末される予定の存在だったわけだから、意識的に冷たい関係を保とうとしていることが見受けられたんだけど、ロルナを自身の更生意欲の源泉にし始めているクローディに狼狽しつつ、揺るがされまいと努めている感じがよく伝わってきたよね。 自分に深入りはされたくないけど、ヤク中から立ち直れるんなら、ファビオに殺されても止む無い“人間失格者”ではなくなるわけで、それが可能なら、クローディにそうなってほしいし、ファビオには殺害計画を変更してもらいたい思いがロルナのなかに生じてきたんじゃないかな。 なにせ彼の更生意欲の源泉に自分の存在があるらしいわけだから、ソコルへの想いとは別に(だから深入りされたくない警戒心も働くわけだけど)、クローディへの同情と憐憫も湧くようになっていたんじゃないかな。だからこそ、却って冷たい関係に傾くわけで、でも、それによってかなり立ち直りの兆しを現わすに至っていたクローディが、彼女のあしらいのせいで再び麻薬のほうに向かいそうになって、さればこそ、彼女は必死の思いで身を挺して阻止するわけだよね。 (お茶屋さん) それにしてもですねー。 クローディって麻薬依存症からロルナ依存症になっただけじゃんって(笑)。 ヤマ(管理人) 確かに(笑)。 (お茶屋さん) でも、美しいシーンでした。 ヤマ(管理人) 僕は、「あ、ヤバ!」って思いながら観ている部分があったな(たは)。 (お茶屋さん) えー!わはは。悪い方へ考えましたか(笑)。 ヤマ(管理人) うん(苦笑)。あんた、尾を引くよ、クローディとそういう関わり方しちゃうとって(あは)。 (お茶屋さん) あ、でも、私も服を脱ぎ始めたときは「マズ!」と思ったかも(笑)。 ヤマ(管理人) やっぱし?(笑) だって、ふつーそうだよね。でもって、あの翌日のクローディ、危なっかしながらもイイ奴じゃん。んで、クローディ以上に、ロルナが癒されてるじゃん。やられた!って思ったね(笑)。 でも、その一夜が彼女に与えたものには、彼女が実感していた以上に大きなものがあって、クローディの死が彼女に想像妊娠にまで向かわせてしまうわけだよね。あの鍵の修理の代金支払いと続く自転車に乗って麻薬禁断を凌ぎに出るクローディを追って駆け出すロルナを捉えた場面がとてもよかったねー。彼女がソコルとの店探しのときさえ見せなかった、明るく素敵な笑顔を見せる唯一の場面だったけど、これが効いていたから、その後のロルナにも付いていけた気がする。 (お茶屋さん) そうそう、すごく幸せな場面でした。 ヤマ(管理人) この場面では、もはや「ヤバ!」はなくて、逆に「あ、ヤバ!」なんて思った部分をちと恥じ入らされたりしてた(たは)。 (お茶屋さん) その後、いきなり、ジーパンを畳むシーン。えー、死んじゃったの?って、ビックリしながら、映画の定石だよなーと、こんだけ上手く定石を踏むなんて見事だよなーと「やられた」思いで感心しきりでした。 ヤマ(管理人) ふふ。 (お茶屋さん) でも、妊娠への思いの強さということでは、クローディが好きってことよりも大きいのは、今ここに「生きている」生命体を「生かしたい」というのがロルナの本質ですよね。クローディも彼女のお陰で生かされたわけだし。「殺す」より「生かす」性分なんですよ、ロルナは。 ヤマ(管理人) そう聞いて気付いたけど、確かに根っこにそういう性分があってのロルナだったんだろうね。僕は、さっき言ったように、ロルナの本質というよりも、もっと関係性の部分で二人の変化というものを捉えていたから、これは、けっこう新鮮だった。ありがとね。 (お茶屋さん) 私は、ヤマちゃんが書いてくれた関係性の部分は全然考えてなかったので、新鮮でしたよ。私の場合は、車へ引き返したことの疑問提起により「ありがとね」ですね(^_^)。 ヤマ(管理人) ヤク中で家族にも見放されているクローディなればこそ、冷たく振舞っているロルナのなかに、あやまたずその本質を感知できたんだろうね。だからこそ、僕が表層部分で捉えたような意味での“関係性の奇跡”が起こり得たんだろうね(成程)。 -------クローディの残した僅かな金を何ゆえ掘り出したと観るか------- (お茶屋さん) クローディのお金だから、人様のお金には手をつけたくないので埋めたけど、父親から子どもへ渡る分にはいいのではないかと。 ヤマ(管理人) これ!これ! この「貧すれど」の部分、なんかとても新鮮で衝撃的だった。『ハゲタカ』まではいかないにしても、いかに自分の人間観が毒されているかを妙に突きつけられるようなところがあった気がしない?(笑) (お茶屋さん) いや〜、まったく衝撃を受けませんでしたよ。人間観が毒されてないのね、わたし(笑)。 ヤマ(管理人) 全くだ!(感心) (お茶屋さん) 自転車代(でしたっけ)は折半して、鍵代は自分のせいだからと受け持つ人だから、訳もなく他人のお金を自分のものにしてしまうのは、気持ち悪いんだろなーと思って観ていました。 ヤマ(管理人) 善悪とかってことじゃなくて、応分か否かが尺度になっている気がするんだよね。そこんとこが、悪事に携わっていても荒みから逃れさせるんだという気がした。 (お茶屋さん) ヤマちゃんは「観ていて気持ちが重くしんどくなってくる映画だった。」とのことですが、私はそうでもなかったんですよ。 ヤマ(管理人) ほぅ。 (お茶屋さん) それは、「金、金、金」の人たちの中にあって、確かにお金は欲しいけれど、つい、お金以外のものを大切にしてしまうロルナの人間性に希望を見たって感じですかねぇ。 ヤマ(管理人) これね、「つい」って形で本性が出るってことより僕は、彼女が自分の存在を重く受け止めてもらえる体験をクローディとの出会いによって得られたからだと思ってるんだけど、そこに希望を見、感じる点では同感だよ。 (お茶屋さん) ヤマちゃんは優しいですね。 ヤマ(管理人) そうかね??(笑) (お茶屋さん) 「意識的に冷たい関係を保とうとしていることが見受けられた」から「彼女が自分の存在を重く受け止めてもらえる体験をクローディとの出会いによって得られた」という流れになるほどと思っても、好きでもない相手に存在を重く受け止められたら、私はしんどいからねぇ。 ヤマ(管理人) 成る程。それも分からないではないな。重く受け止められるってことに対して、お茶屋さんは誠実なんだね。 (お茶屋さん) なるほど、そういう言い方もできるか(笑)。 ヤマ(管理人) 僕は、もう少しおめでたいと言うか、単純なんだ、きっと(苦笑)。 (お茶屋さん) せっかく、優しいと言ってあげたのにぃ(笑)。 ヤマ(管理人) そーやね、ありがとね(笑)。 (お茶屋さん) 私は、ロルナもソコルがいるわけだし、「クローディ、うっとうしい」と思っているものとばかり(笑)。 ヤマ(管理人) ふむふむ。成程なー。そう言えば、僕は、注文や指図を鬱陶しいと思うことはあっても、頼られたり、相談されることで鬱陶しく感じることは滅多にないなー。そんだけ“承認欲求”が強いのかも(苦笑)。 (お茶屋さん) 承認欲求ってことでいうと・・・・、二人の関係性説をきいて、ロルナが自分を認めてもらってそれだけ喜んでいるということは、これまでよっぽど顧みられない人だったってことになるけど・・・と思ってたんですよねー。 ヤマ(管理人) アルバニア(だったよね?)からの移民だしね。それに、自分に会い、顔を見ることが一日生き長らえることの目標だと言われるっていうのは、やっぱこの上ないものってことになるでしょ。 (お茶屋さん) ヤマちゃんは認められているうえですから、かな〜り、欲求が強いってことになるのかなあ? ヤマ(管理人) うん。自覚あるよ(笑)。大げさに言えば、それこそが生きる“目標”みたいなもんだ。しかも質を問うからね。資産とか職階とか経歴なんかじゃダメで「人間的存在感」みたいなところでの承認じゃなきゃヤなんだもの。贅沢なんだよ(苦笑)。 それと、褒められると、すぐ有頂天になるタイプなんだな、きっと(たは)。 (お茶屋さん) 私は、冷たいってよくいわれるし、だから、ほだされて「つい」の方がしっくりくるのでしょうねぇ。 ヤマ(管理人) 冷たいっていうイメージ、全然ないんだけどな。そんなこと、よく言われるようにはとても思えない。 (お茶屋さん) でしょー(笑)。合理的なところとか個人主義的なところを冷たいって言われるんだろうと思っていますが、まあ、確かに冷たいけど、これだけ優しけりゃ充分じゃんねー(笑)。 ヤマ(管理人) うん。映画の感想とか読んでたら、よりそう思うだろうにね。もっとも、冷静だとか、偏向が少なくて観察力が高いとは思うけどね。 (お茶屋さん) 偏向が少ないというのは嬉しいですねー(^_^)。ありがとう。 ヤマ(管理人) そりゃよかった(ニコ)。 (お茶屋さん) 映画の見方には、人間性が表れますね(恐)。 ヤマ(管理人) そりゃもう、映画だろうが、絵画だろうが、鑑賞とその表出にはそういうものが一番よく現れるとしたもんだ。 (お茶屋さん) ところで、ロルナは、子ども名義の口座を作っていましたよね。名前がまだ決まってないので、口座番号だけだったけど。 ヤマ(管理人) 女性において、母になること、子供を持つことの意味って本当に大きいんだよねー。その感覚は、とても僕などに及ぶものではない気がするよ。 -------身を売らずに籍を売ることと籍は売らずに身を売ること------- (お茶屋さん) 疵痕はどちらが重いかわからないけど、どちらがより嫌かというと・・・。身売りは心身ともにつかれるし、籍を売るだけならいいけど、いっしょに暮らして毎日マットレスを移動させるのはこれまたストレス溜まりそう。籍を売ることの実態(苦労)を知らなかったら、そりゃ、身売りの方が嫌だという人が多いと思うけど、職業(商売)としては、拘束時間からして身売りの方が真っ当のような気がしますねー。 ヤマ(管理人) なるほど、なるほど。重さはともかく、嫌さで言うと、籍を売る偽装結婚のほうがイヤだってことね。それは、そう考えるほうが確かに真っ当かもしれないなー。 (お茶屋さん) う〜ん、身売りも遊郭とかだと、拘束時間、長そうだけどねー。 ヤマ(管理人) 確かに(笑)。 (お茶屋さん) まあ、他人事として考えてのことですけど(^_^;。 ヤマ(管理人) そうね、我が事として考えるのは、確かに難しいのかも(笑)。 推薦テクスト:「眺めのいい部屋」より http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/b4104c3c531dbcc87e9f6f9dc802789d |
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by ヤマ(編集採録) | |
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