『そして、私たちは愛に帰る』(Auf Der Anderen Seite)
監督 ファティ・アキン


 先日観たロルナの祈りでは、原題の“Silence”を“祈り”とした邦題に不満を覚えたのに、この作品では、英語に直すと“On The Other Side”となるらしい原題を『そして、私たちは愛に帰る』としていた邦題の含蓄の豊かさに感心してしまった。そんな違いが僕のなかで生じたのは、直訳か意訳かの題訳のあり方の是非ということでの不満ではなく、結局のところ、それぞれの作品から受けた僕の感銘の度合いの違いによるものだったからなのだろう。

 原題に“帰る”を意味する単語はないけれども、映画が終盤でトップシーンに帰り、ドイツの大学講師(字幕では教授だったが、チラシに掲載されている講師のほうが納得感がある。)でトルコ系移民二世のネジャット(バーキ・ダヴラク)が故国に帰る物語だ。そして、反トルコ政府活動に携わるアイテン(ヌルギュル・イェシルチャイ)との同性愛に身を焦がして異郷の地に旅立った娘シャルロッテ(パトリシア・ジオクロースカ)を非業の死によって失ったスザンヌ(ハンナ・シグラ)は、亡き娘の成し遂げようとした愛と贖罪の想いの出発点に心が帰っていく。また、ネジャットは、娘アイテンを故国に残しドイツで出稼ぎ娼婦をしていたイェテル(ヌルセル・キョセ)を酔った弾みで死に至らしめたことで拘置された後に本国へ強制送還された父アリ(トゥンジェル・クルティズ)に心を帰し幼時を思い出す。そんな物理的にも心理的にも“回帰”オンパレードの物語を観ながら、擦れ違いと巡り合い、縁と運命に彩られた“人の生の不可思議”を司っている人知の及ばない力の存在を“Auf Der Anderen Seite”に感じないではいられなかった。そして、それらを与えてくれる映画の力というものに強い感銘を受けた。

 キェシロフスキ作品を想起させる、同じ時空の異なったアングルのなかで交錯する人物の映り込んだ場面の再現や同じ空港の違う時間に同じ飛行機からそれぞれ降ろされ積み込まれる二つの棺桶といったショットのみならず、あまりにも際立つ構成の巧みさと脚本の上手さだったが、そこにあざとさを感じさせる隙を些かも与えていないのは、見事というほかない。人物関係の少々込み入った相関を、偶然であり且つ運命的なものとして交わしていく人たちのどの出会いがなくなっていても、息子は父アリの元に帰れなかったはずのドラマ展開になっていたように思う。沖に釣りに出た父の寄港を浜辺に腰を降ろして息子が待つ姿を捉えるラストシーンが、エンドロールのオーバーラップするなかでずっと続くという長い長い動きのほとんどない映像が印象深く残る物語だった。

 この人知を超えた力の存在が引き寄せたとしか言えないような“人の生の不可思議”を鮮やかに捉えているあたりが、2007年のカンヌ映画祭での全キリスト協会賞を受賞している所以なのだろう。冒頭に引いた『ロルナの祈り』と同じカンヌ映画祭最優秀脚本賞を同作の前年に受賞した作品でもあったようだ。

 エンドロールとともに流れていた曲の歌詞のなかにあった「愛は中途半端」とのフレーズが“現世での愛”というふうなイメージで伝わってきたのも、この作品が本当に儚く呆気ない人の死をトルコ人とドイツ人二組の母娘のなかでそれぞれ母と娘と違えて描く一方で、トルコ系移民ドイツ人の息子と父親たる男家族の再生を謳いあげるとともに、相手を強く想いながらも十分に表し伝えられないなかで失ってしまう母娘たちにしても、想いの強さが嫉妬と妄想疑念を呼んで酔って殴り倒した拍子にベッドの縁金具に頭が当たり死なせてしまった老人と中高年女性のカップルにしても、隠した拳銃を回収に行かせて死なせてしまったレズビアン・カップルにしても、離婚や早期の死別や別居によって傍で暮らすことが適わなかった親子たちにしても、いずれの愛も心残りを拭いがたい形でしか現世ではまっとうできないでいることが印象づけられていたからだろう。

 脚本・監督を担ったファティ・アキンの『愛より強く』を何年か前に観たときは、感情の余りの激しさに少々付いていけずに少し気持ちが醒めてしまった覚えがあるのだが、本作の抑制が、同じ作り手の脚本・監督作品だとは俄かに信じがたい気がした。そして、娘の遺した日記を読みつつ、かつてインドを旅したフラワーチルドレン世代の「母と同じ道を歩いていると思う」との記述に、目を閉じ偲ぶ老婦人の表情の深さに打たれた。映画を観終えて後、表のポスターで、演じていたのがハンナ・シグラだったと知らされ、驚いた。マリア・ブラウンもこんな歳になっちゃったのかとの感慨を覚えた。

 それにしても、これだけの作品が、高知公開三日目の夜の回で、僕を含めて僅かに二人だけというのは、どういうことなのだろう。オフシアター上映でなくても、こういう作品をきちんと拾って掛けてくれている劇場があるのに、何とも残念というか、情けない話だ。




推薦テクスト:「TAOさんmixi」より
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1042376756&owner_id=3700229
推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0906_3.html#aini
by ヤマ

'09. 6.22. あたご劇場



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