『Mr.ブルックス〜完璧なる殺人鬼〜』(Mr. Brooks)
監督 ブルース・A・エバンス


 いずれもある種の“依存”ながら、趣味と病気と犯罪とに区分されそうな三つのものを併置しているところに気の利いた触発があり、ラストの展開の仕方にも、なかなかのものが宿っていて、思いのほか刺激的で面白かった。
 壁の一面を全面鏡張りにして明るく灯した夜の部屋で、窓のカーテンを開け放って行う自分たちのセックスを見る刺激と見せる刺激を繰り返さずにいられない依存は、顰蹙ものではあっても個人的趣味の範疇に属する楽しみとして許容され、断とうとする思いと意志の力だけでは克服できないアルコール依存症は、本人の責が問われる部分よりも病として治療の対象となり、いくら止めたい意思の切実さがあったとしても湧き出る欲求を制御できない依存症としての連続殺人というものは、治療の必要な病という側面よりも、処罰の対象となる犯罪としてその責を求められるわけだが、その違いは社会に及ぼす結果の重大さの違いにすぎないとしてあるように映ってくるところが、目を惹いた。
 その明晰な頭脳と冷静な胆力による完全犯罪で一度も司直の手に掛かることなく殺人を重ねてきているアール・ブルックス(ケビン・コスナー)が、地元でも名高い実業家として社会的成功と名声を獲得する一方で抑えがたい快楽殺人の欲求に苛まれつつ、能力的に秀でた人物であればこその明暗両面でのキャリアアップを実績として積み上げるほどに、その乖離の大きさとますます増してくるリスクに耐えかねている姿が綴られていたのだが、自分の内なる別人格であるマーシャル(ウィリアム・ハート)との対話のなかで、彼の苦悩と葛藤、自負と不安を浮かび上がらせている手法が僕には効果的に映ってきた。
 よくある二重人格ものであれば、家族思いの実業家がアールで非情な連続殺人鬼がマーシャルといった人格割当てがされがちなのだが、この作品では、家族思いの実業家も非情な連続殺人鬼も共に他ならぬMr.ブルックスであって、殺人鬼である部分を受け入れているブルックスがマーシャルで、抗っているブルックスがアールであるという捉え方をしており、そこに新鮮さを覚えるとともに真実味が備わっていた気がする。また、そうすることによって、連続殺人鬼という特異性を誰しもに覚えのあるささやかな悪徳や背徳に置き換え可能な卑近なものにするとともに、提示されていた“依存症”としての快楽殺人を観る側に溶け込ませることに功を奏していたような気がする。己が殺人癖に苦悩しつつも完璧な犯行を重ねる人物を主人公にして、観る側が感情移入できる人物造形をここまで果たしている作品は珍しいように思う。ブルックスの一番の望みは、殺人欲求を満たすことでも社会的名声を得ることでもないように描かれており、最も望み精力を注いでいたのは、成功以上に“破綻の回避”であるという極めて卑近で普遍的な人生課題だったような気がする。どちらの側でも並外れた自己実現を果たしたが故に難度レベルの上がってきているなかで、いつか破綻するのではないかとの不安と恐怖に苛まれながら、どちらのステージも降りられないでいるブルックスには思わず同情させられるほどで、アールとマーシャルを演じた両男優の演技が充実していたように思う。完全犯罪の完璧な遂行者として一分の隙もなかったはずのブルックスが二年ぶりの犯行とはいえ、らしからぬ重大なミスを犯したことに対して、逮捕されて仕舞いをつけたい思いがあったのではないかとの指摘をアールに向けるマーシャルの台詞が効いていた。
 興味深いのは、アールが囚われていたブルックスの血であれ、病としての依存症であれ、そのような捉え方をすると、アール個人に対しての免責要素が働いてくる点だ。さらにそれに加えて完璧なる殺人鬼を造形するために、犯人の解明逮捕の寸前のところまで迫ってきたアトウッド刑事(デミ・ムーア)の手を逃れさせてしまうのでは、映画作品としては、いかがなものかと思われるのだが、殺人鬼であることを受け入れているマーシャルを置いたことで、アールが企図していることが“破綻の回避”のみならず“自責からの回避”でもあることが示されていたところが出色だったように感じる。アールと対置されたマーシャルには、ある種の潔さとも言うべきものが漂っており、アールが重荷を下ろして開き直れば、マーシャルに窺える楽さが卑しさとともに訪れることが示されていたわけだが、そこからすれば、アールが愛娘に抱いた血の疑念というのは、“自責からの回避”を求める彼の心情の発露であったように思う。実際には彼女は殺人を犯していないと僕は受け止めているのだが、大いに感心したのは、連続殺人犯としての逮捕による“破綻の回避”をアールに全うさせたうえで、彼にとっては、より過酷なものとなるであろう「内からの崩壊」とも言うべき形での“破綻の予感”を刻み込んでいるエンディングだった。アトウッド刑事の執念をかわすことに成功する一方で、破綻回避の難度レベルが別次元のステージにまで及び、上がってしまったアールは、この後、自身の内に湧いてくる娘殺害の欲求との葛藤に苛まれるようになるはずだ。断酒会への参加で二年間抑え込みつつも克服には至らなかったというレベルでの苦悩とは比較にならない深い闇が待っていることを予感させていたように思う。

by ヤマ

'08. 9.15. 神戸新開地 CINEMAしんげき



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