『世界最速のインディアン』をめぐる往復書簡編集採録
チネチッタ高知」:お茶屋さん
ヤマ(管理人)


  (お茶屋さん)
 『世界最速のインディアン』の日誌、よかったね!

ヤマ(管理人)
 おぉ〜、そうかい(にま)。そいつは、嬉しいなぁ。

(お茶屋さん)
  ●映画のなかでは「歳は63でも心は18歳」とも言っていたようには思うが、とんでもない話だ。18歳などというと、それこそ屈託の塊のような時期だったという気がする。むしろ歳を重ねるなかで浄化されてきたようなところがあるのではないかと思う。無論ただ歳を重ねてもダメなわけで、バートがそうなれたのは、ひたすら世界最速を目指して、惚れ込んだ“1920年型インディアン・スカウト”の改造に、40年以上かけて弛まず取り組み続けてきた歳月があったからだという気がしてならない。言わば、修行のようなものだ。そうして積み重ねられた年季こそが、彼の味わいを風格にまで高めて、困ったときは必ず誰かが助けてくれるモテ男に育て上げたのだとすれば、歳を重ね、老いに至ることは決して忌むべきことではなく、むしろ楽しみの多いことになるわけだ。だが、多くの人は、己が人生の歳月を、そのような意味での修行のときとして過ごせるような“弛まぬ取り組み”を続けるだけの夢と出会えることなく終えるということではないのか、と思った。●
 この部分。どこで引用を切ろうかと思ったけど、切れんなぁ。書いてあることが全部いいです。

ヤマ(管理人)
 それはそれは、何とも嬉しいお言葉じゃありませんか(にまにま)。

(お茶屋さん)
 私は青春映画としてみたけど、ヤマちゃんの日誌を読んで、自分に抜けていた視点に不意を突かれたような感じでした。

ヤマ(管理人)
 触発するところがあったなら、書き手冥利に尽きるとしたもので、嬉しいメールをありがとね(礼)。まぁでも、僕があのように思ったのは、それこそ老いに近いところにいればこそで、素直に青春映画として観ることの出来るお茶屋さんは、老いに近いところではなくて、青春に近いところにいるってことなんだろうね。それはそれで、また、とってもいいことじゃない(羨)。しかも、僕の見解が響くということは、ただ青春に近いところにいるだけでなくきっちり老いの側にも目が届くということなわけで、若造とは違うよねー。素直に青春映画として観ることが叶わなかった僕には、やや屈託ありってとこかな(苦笑)。
 それにしても、気持ちよく男性的ないい映画だったよねー。

(お茶屋さん)
 そうそう、先週、あたご劇場へ『市川崑物語』を観に行ったら、2階に年の頃40前後の男性がいて、「何かの縁やき」と言って缶コーヒーをご馳走してくれました。そのとき、『インディアン』はよかったねーと言い合ったことでした。

ヤマ(管理人)
 僕は『市川崑物語』のほうは観逃しちゃってるんだけど、出会いや縁ということについて、そんな気分にさせてくれる映画だったよね、『世界最速のインディアン』って。それにしても、思わぬ儲けものだったね(笑)。
 僕の映画三昧も、バートの次元には到底至らなくたって、酔狂にも年間150本を超える映画をずっと観続けていることが、日誌に書いたような意味合いでの「修行」に多少なりとも近づけば、僕の老いも少しは楽しみに繋がるかもしれないじゃないかとの期待が、今となれば、なくもないんだけどね。なんかセコい話だけど(たは)。

(お茶屋さん)
 「苦行」じゃないところが、いいよねー(^_^)。でも、150本を40年続けることは、簡単にできることじゃないよね。

ヤマ(管理人)
 簡単じゃあないかもしれないけど、そう難しくもなかった(笑)。境遇に恵まれるかどうかのほうが大きいんだろうね、この程度だと。
 ところで、お茶屋さんの「かるかん」のほうだけど、「1にスピード、2にロードムービー、何にも増してマンローのキャラ」というこの映画の面白さについての指摘は実に的確だね。

(お茶屋さん)
 えへへ、感じたままを書いたのがよかったね(^_^)。

ヤマ(管理人)
 なかでも嬉しいのが「覚えておきたいので箇条書きにしておこう!」とのいろいろな人との出会いについての備忘録メモ。

(お茶屋さん)
 みんな忘れたくないキャラだもんね。税関で梱包されたインディアンが無事かどうか、いっしょに心配してくれた職員さんもよかったし。

ヤマ(管理人)
 僕は、このなかでは、拙日誌に触れたジムらとのエピソードの次に気に入ってるのが、餞別をくれた単車乗りの若者達とのエピソードと中古車販売業者フェルナンドとのエピソードだったな〜。

(お茶屋さん)
 あの若者たちには、うるるん来ましたよ。フェルナンドのエピソードは私も好きです。

ヤマ(管理人)
 いずれも単に相手からの善意に恵まれるのではなく、敬意と評価を自分の実力によって獲得しつつ、手に入れた親切で人の善意を当てにする甘えのないことが嫌味なく描かれていたものね。他人の助けに恵まれるけど、基本は自助自立であるところがマンローのキャラクターのかっこよさの根幹だものねー。

(お茶屋さん)
 ギブ・アンド・テイクが本当にさり気ない。フェルナンドの方も「人の善意を当てにする甘えのないことが嫌味なく描かれていた」と思うんですよねー。「持ちつ持たれつ」より「ギブ・アンド・テイク」だなー。「持ちつ持たれつ」でもいいんだけど、持たれ合いになるのは避けたいでしょ。ここは「欧米か」(byタカ&トシ)で行きたい(笑)。

ヤマ(管理人)
 それと、こうしてトランスアメリカと並べられてみると改めて、ケイケイさんが映画日記でゲイのお姉さんや未亡人の老女に気に入られたり、インディアンに出会ったり、ベトナムの休暇兵にも出会います。いつでも自然体で自分自身がぶれない彼は、アメリカでも故郷でも同じ。誰にでもフレンドリーで礼節を尽くします。」と指摘している“誰にでも”のバリエーションを豊かにするためにチョイスされているのと同時に、それがそのままいかにもトランスアメリカな旅にもなっていてロードムービーとしての面白さを高めているよねー。ゲイや移民、未亡人や先住民などマイノリティというか社会的弱者たちに助けられて続けた旅というところは、実話を元にした話という点からも大いに意味のあるところだったよ。

(お茶屋さん)
 そうですね。それと、ロサンジェルスという都会の伏魔殿的なところも描かれていたし。1960年代に早くもあんな状態ですから、やっぱりアメリカって良くも悪くもすごいと思いました。帰国してご近所の人たちののどかな様子には、ほっとしましたね。

2007年9月15日 7:26 〜 2007年9月17日 22:11

編集再録by ヤマ



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