『歓びを歌にのせて』(As It Is In Heaven)
監督 ケイ・ポラック


 スウェーデンというと、僕らの年頃では、今世紀に入ってリバイバル公開された『私は好奇心の強い女』('67)を想起するまでもなく“フリーセックス”のイメージが喧伝されたりとか、元々は新聞などのメディア報道の質や消費者保護といった点での社会監視の仕組みを指していたのに今や行政監視しか意味しなくなりつつある“オムブズマン制度”の発祥の地であるとかいった“開放性”を強く意識させるところと、ベルイマン監督の映画作品群の印象から想起される“抑圧性”の双方が顕著な文化を持った国だという思いがある。相反するようでいて極めて相関性の高い、開放性と抑圧性というのは、ある意味、人間にとって最も根源的な部分だという気がする。一筋縄ではいかない複雑な存在であるのが人間だということだ。

 そういう面では、人の生の意味と歓びを問い掛けたこの作品において捉えられていた人間像というのは、まさしく一筋縄ではいかない人間存在と人生というものを映し出していたように思う。筋立ては、けっこうベタな感動ものなのだが、描き出されていた人間像というのが、そういうドラマにありがちな「悪人の登場しない物語」という印象を与えずに、むしろ誰も彼も、悪人ではないものの少々問題を抱えた人ばかりだという点が興味深く、そこが人間的リアリティを感じさせてくれたように思う。

 そして、僕が最も感じ入ったのは、日本でもそういう印象があるのだけれども、北の雪国に暮らす人々というのは辛抱強いなぁということだった。指揮者としての名声を得ながらも病でステージに立つことができなくなったダニエル(ミカエル・ニュクビスト)が田舎の村の聖歌隊のコーラス指導を始めるようになったことで、それまでの指導的立場を奪われることになった女性は、博愛とも奔放とも映るレナ(フリーダ・ハルグレン)とダニエルの様子に苛立ちながらも、ダブルでプライドを傷つけられた聖歌隊に居残り続けるし、レナにしても、湖畔で全裸になって水浴に誘ったダニエルに置き去りにされ踵を返されてしまうという仕打ちを受けても寛容に受け入れ、聖歌隊を続ける。それが歌を続けたくてとの思いでということなら、いささか描出不足だと思われるのだが、未練がましいくせに執念とか執着力といった粘り強さの欠落した南国育ちの僕の目には、牧師である夫との関係に対してもいかにも辛抱強いインゲの存在もあいまって、雪国育ちの人々の辛抱強さとして妙に納得できるものがあった。何かにつけデリカシーを欠いていて練習中にもダニエルをしばしばうんざりさせるアーネのからかいの言葉に35年間傷つけられてきたと怒りをぶつける男にしても、どうせ小さな村で一緒に暮らしているとは言え、敢えて同じ聖歌隊に居続けているのだから、並外れた辛抱強さだ。こういったところに納得感が得られるか、不自然だとの違和感が生じるかで、この作品に対する印象は随分と違ったものになってくる気がするのだが、それらを越えて圧巻だったのは、やはり終盤の言葉なき声のハーモニーの醸し出す魂の響きのような歌声だ。

 人の声が美しく束になるとそこには神が宿り、天使が舞い降りてくるというイメージが見事に表現されていて、問題を抱えた不完全な存在である人間が神に近づく“歓び”を得るのは、かように無心の歌声を魂の響きとして全身で奏でるときなのだろうと、信仰心に欠ける僕でも感銘を受けた。それこそが、いわゆる“音楽の世界”に身を置いて、いかに成功を果たそうとも、ダニエルの決して成し得なかったことながら、図らずも村の聖歌隊のメンバーたちとの間で得た「音楽で人の心を開く」という彼の念願でもあったわけだ。そして、原題をそのまま英訳したと思われる『As It Is In Heaven』という英題は、合唱コンクールの会場の部屋に辿り着けないままに倒れていたダニエルの耳に届いた歌声の様子を指していると思うから、青空の下で赤シャツを着てウィーンの街を自転車で走り回っていた、歓びに溢れるダニエルの姿というのは、黒シャツを着て倒れていた彼の姿からすれば、魂の響きとも言える大合唱を耳にしながら幸福感を得ていた彼の心象風景なのだろうという気がする。さすれば、全裸になったレナの前から一度は逃げ出した彼が彼女とベッドで一つになる歓びを得ていた場面もまた、大合唱を耳にしながら幸福感を得ていた彼の幻視ということなのかもしれない。しかし、僕は、時間構成的にはかなりの難があるにしても、二人のベッドシーンは、幻視ではなく現実だったというふうに受け止めている。歌声の力をより高く解する向きには、レナとの交合もウィーンの街のサイクリングも共に、かの歌声がもたらした至福感のなかで彼が夢見た幸福イメージの具象という受け取り方がされるのかもしれないが、確かに感動的な大合唱ではあったけれども、いまわの際のダニエルに溢れんばかりの幸福感が満ちてきたのは、その歌声に加え、ようやくレナと交わし得た歓びが現実にあったからと解するほうが、僕には納得感が増してくる。




推薦テクスト:「チネチッタ高知」より
http://cc-kochi.xii.jp/jouei01/0704_2.html
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2006yocinemaindex.html#anchor001401
推薦テクスト:「シネマ・サンライズ」より
http://blog.livedoor.jp/cinemasunrise/archives/1032028844.html
by ヤマ

'07. 4.15. 県立美術館ホール



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