『運命じゃない人』
監督 内田けんじ


 昨秋の高知県立美術館でのぴあフィルムフェスティバル ベストセレクション 映画をつくろう・映画監督への第1歩-自主(個人)映画の挑戦-と題する企画上映会では仕事の都合で観逃したことが悔やまれたのだが、高知のオフシアターベストテン選考会で2005年に映画館以外で上映された日本映画の第1位に選出されたことを受けて顕彰の意を込めた再上映がされたおかげで、幸いにも観る機会を得た。上映会での講演に来高した朝日新聞大阪本社の長谷川記者によれば、都会でも慎ましく公開された作品で、多くの地方都市では公開されていないそうだ。しかし、観てみると第1位選出が納得できる面白さと味のある作品だった。

 主要人物五人の絡んだ一夜を挟む24時間に起こった出来事を実に巧みな構成とユーモアを湛えた筆致で綴り、目に映る言動の示す人の心情というものが当人の実際の思いとは異なるのが人間の関わりであることを、同じ時間でもその場では視野に入らず見て取れない事情を徐々に明かすことで鮮やかに浮かび上がらせていた。コーエン兄弟の作品を彷彿させるように、一分の隙もなく完璧に構築されていることが作品としての膨らみを奪いかねないほどに、実に緻密で周到な脚本の見事さが際立つ作品だったが、感心したのは、そこに才気に終始しない人間的な味わいをさりげなく宿らせていたことだ。そういう意味では、コーエン兄弟の初期の作品を凌駕していて、今後が大いに楽しみな作り手が登場したように思う。

 失恋に沈む宮田武(中村靖日)を突然強引に呼び出した割にはさしたる話もなさそうだった神田勇介(山中聡)が、彼のためにナンパと称してレストランに居合わせた桑田真紀(霧島れいか)に声を掛け、首尾よくテーブルに呼び込んだとたんに、口下手な宮田と自分が同席していては、彼の出番がなくなるかもしれないことを懸念して気を利かせてトイレに立ったまま店を出たように見えたことの背後に何があり、どういう状況だったのかが明かされるにつれ、滑稽さと得心が気持ちよく滑り込んでくる。なかでも気持ちがよかったのは、献身的とも言えるほどの友達甲斐を宮田にみせる神田の心情に大いなる納得感を抱かせる人物造形が彼ら二人にきちんと施されていたことで、単に宮田が朴訥なお人よしの好人物だからということではなく、神田が海千山千の人の心の裏側を覗いてばかりいる探偵稼業であればこそ、彼にとって宮田が特別な存在で掛け替えのない友人であることがよく伝わってくる仕掛けになっている。命も危うくなりかけた一夜をからくも免れた神田が、何も知らずに新たな恋に心ときめかせている宮田に向かって「なんでそんなに簡単に人を信じちゃうの? キミも早く地球に住みなさ~い。」と軽口を叩きながら、稀有で特別な男を友人として自分が得ていることへの幸福感を漂わせていた風情が僕はとても好きだ。宮田のそこが大切だからこそ、神田はどんなに苦労をしても、宮田のことで負った難儀を伝えて彼にも解ってもらいたいなどとは考えない。あゆみと名乗っていた女詐欺師(板谷由夏)の素性も明かさなかったし、ヤクザに命すら脅かされた一夜の顛末のことをこのあと語ることもないのだろう。仕事や生活を共にしているわけではないが、二人が“人生の相棒”であることを仄かに示していて、単なる友情物語を越えて極上のバディ・ムービーとなっているところが無性に嬉しかった。そして、借りることにしていた一夜の宿を思いがけない元恋人の訪問のせいで辞したように見えた真紀の心変わりに実は狡猾さが潜んでいたことが明かされつつも、幸福の予感を残すエンディングが、笑いをくすぐる仕掛けとともに最後に明かし残した顛末として、観客の予断を快く裏切って悪戯っぽく添えられていたのも気持ちがよかった。

 現代人に際立った特徴として「疑心に囚われがちで計算高く分析好き」であるという点からは、神田から異星人呼ばわりまでされる宮田の現代人らしからぬ人物像は、一般的には愚鈍さとして貶められがちなのだが、まさしく「大賢は愚なるが如し」という言葉が裏返った「大愚は大賢に通ず」を地でいくさまが微笑ましく浮かび上がっていて、ツワモノ詐欺師のあゆみさえ、宮田からは一銭も掠め取れなかったし、神田という頼もしい友人には恵まれるし、真紀に対しては、よこしまな気の迷いからの目覚めを図らずも促すところが、ちょっと素敵な作品だった。宮田の善良さに触れ、さらには、走ってタクシーを追ってきて神田からの宿題を不器用にも何とかこなし電話番号を聞き出して心から嬉しそうにする姿に運転手が後押しをしないではいられないような人物像に図らずも感化され触発される部分があったからこそ、翌朝の真紀が、前夜あてもない孤独に苛まれながら腰掛けていた植え込みの縁に腰を下ろして、宮田の部屋から持ち出したものを返しに行く(のであろう)決意を固めるのだから、宮田は、やはり神田の心のなかにあるような稀有で特別な人物なのだ。

 ちょっとした笑いを誘う気の利いた描写がふんだんにあって、素足に革靴を履かせることで出て行った恋人への執心ぶりを示し、引き攣ったように捩れて伸びる足先で動転ぶりと純情を示す。取り戻しではなかった百万の巻上げに加えて、ちゃっかり無償で使える有能な探偵を確保する抜け目のなさが、実損なき窃盗相手への有無を言わさぬ稼業スカウトの申込みに至るヤクザの組長浅井志信(山下規介)も可笑しくて、拉致した神田に一言も喋らせないよう厳命する苦肉の状況の軽妙さも含め、登場人物全てのキャラが立ち、台詞回しに味があって、生き生きしていた。なかなかこういうふうには撮れないものだと思う。実に大したものだった。




推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2005ucinemaindex.html#anchor001304
by ヤマ

'06. 4. 7. 県立美術館ホール



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