『透光の樹』
監督 根岸吉太郎


 中学生の娘を持つ四十路を迎えた離婚女性 山崎千桐(秋吉久美子)と映像制作会社の社長 今井郷(永島敏行)の中年男女の恋の顛末を“色惚け”などとは言いたくないし、そうとも思わないのだが、郷との逢瀬に溺れ込んでいく千桐の姿に今ひとつ切実感が宿っておらず、いささか食い足りない印象しか残してくれなかった。恋する男女の会話では、その年齢の如何によらず誰だって、芝居掛かった大仰で恥ずかしい言葉を交わすとしたものなのだから、観ている側がその心情と気分に同調できれば、少しも恥ずかしくは聞こえてこないのだけれども、観ている間の僕の耳には、あまりにも恥ずかしく響き、時には失笑を催さずにはいられないような有様で、そのたびに自分が同調できていないことに繰り返し直面させられてしまい、いささか鼻白む思いに囚われた。

 なぜそうなったのだろうと振り返ってみるに、神棚の上に貼り付けた“雲”の字の果たす効用と同じく、過分の金で購われた身の務めと覚悟することで、それまで妙な生硬さに身を縛られていたであろう千桐が、その歳になるまでついぞ果たせなかった我が身の官能の開放を初めて存分にしてみて、官能世界の思わぬ領域に踏み入れてしまう様子が観る側にきちんと伝わるようには描かれていなかったせいではないかという気がする。わずかに別れた夫(平田 満)が恨み言として語るように、千桐は、男を虜にするほどに格別の魅惑を備えた身体を持ちながら、いくら抱いてみても手が届かなかったと夫に零させるような性への生硬さを心のなかで解きほぐせなかった女性だったのではないかという気がする。今どきの女性には想像の埒外になることのような気がするけれど、昭和の時代の最後の年に四十路にあった人妻のなかには、そういった古めかしい性的タブーに心を縛られた女性がまだ確かにいたのだろうとは思う。だからこそ、千桐の口にした“娼婦”という言葉が大きな意味を持つのであり、その立場に身を置くことで“雲”の字の効用を果たしてもらう形でしか開放できないことだったのだろう。

 しかしながら如何せん、事もあろうに秋吉久美子が千桐を演じては、その存在自体に自由さや奔放さが体現されているような女性なのだから、恐らくは彼女の来歴を知らない者が観てさえも、古風な性的タブーに心の縛られた女性であるようには感じられないような気がする。女優の備えている存在感や身体性を甘く見てはいけないように思う。ましてや今の時代にあっては昭和女の負っていたタブー自体が伝わりにくい状況になっているのに、単に時代設定やら、剣という言葉が町の名の由来ともされる鶴来で“伝統”を伝える昔気質の刀鍛冶の娘であったことだけで了解させるのは無謀というものだ。

 だが、とことん抑圧され封印されてエネルギーが凝縮されていたからこそ、ひとたび開放されたものが奔流となってしまうこととともに、その官能の波に千桐が翻弄されることに了解と共感が得られるわけで、それが老父や娘をも顧みる余裕を奪うほどのものであったことを納得させるためには、強い抑圧の部分がきちんと描かれていなければならないと同時に、その歳で初めて千桐が踏み入った官能世界での深い陶酔と当惑の程が、言い知れぬ脅えと歓びの交錯する形で強烈に描かれていなければならないのだが、その落差も混乱も充分には捉えられていなかったような気がする。だから、千桐が今井に溺れる姿に切実さが宿らなかったのだろうし、女性経験の豊富そうな今井さえもが初めて味わった気になるほどの深みに彼女を追いやった手応えゆえに生まれたはずの覚悟というものが彼に宿らず、わずかばかりの延命よりも千桐とのセックスを選ぶ今井の姿に、僕が彼の“覚悟”を読みとることができないばかりか、失笑すらしてしまったのだろう。

 おそらくは原作には色濃くあったであろうはずの千桐の抑圧を描いた部分が、映画では省略されたのではないかという気がする。あるいは昭和の時代においては自明のこととして、原作でも詳述まではされてなかったのかもしれない。そして、原作にあったとしても、映画で省略したのは、最早そんな抑圧は今の時代の作品で描いてみても古色蒼然として共感を得られまいとの判断ではないかと思われるのだが、そのことで損なわれたものは非常に大きいような気がする。恋しい男の死去から十五年を経て、老いて父親と同じく認知症になった千桐が、戸外で今井とのセックスの最中の彼の言葉を反芻しながら、自らの右の乳房を揉みつつ偲ぶ姿のあわれさのなかに、哀しみが宿るよりも滑稽さが漂ってしまうようでは、千桐も浮かばれない。

 カタクリの花咲く透光の樹々にしても六郎杉にしても、千桐と今井が初めて交わる宿にしても千桐の右半身を自分の身体だと今井が囁いた宿にしても、風情と趣きのある事物や調度を得ていたのには感心したし、秋吉久美子の裸身そのものは、盛りを過ぎているがゆえに醸し出せる危うさと儚さを湛えた美しさがあってよかったのだけれど、肝心の恋物語がいささか勿体ない仕上がりになっていたのが惜しまれる。




推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20041201
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました」より
http://yamasita-tyouba.sakura.ne.jp/cinemaindex/2004tocinemaindex.html#anchor001196
by ヤマ

'05. 3.14. あたご劇場



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