『ステップフォード・ワイフ』(The Stepford Wives)
監督 フランク・オズ


 アメリカで家事の電化製品が出回り、主婦の家事労働の軽減と余暇時間の創出が豊かな未来に向けた現実的な夢の生活として宣伝され、消費生活の動向を女性がリードするようになり始めたのが'60年代だったと社会学で習ったような記憶があるが、この作品のオープニング・ロールは、まさしく当時の夢の電化製品の羅列で、てっきり'60年代を舞台にした作品かと思いきや現代のSFコメディだった。93分という程のよさと軽みと風刺の効いた娯楽快作だ。先の大統領選が空前の盛り上がりを来したらしいアメリカの事情を反映してか、共和党支持者への痛烈な皮肉を込めているように感じた。
 “理想が現実になった街”として描かれるステップフォードのライフスタイルや価値観というのは、まさしく共和党支持者たちの共有するアメリカ像として伝えられるもので、この映画でも、夫の何倍も年収を稼ぐ有能で卓抜した職業女性から、夫に従順で家事と美容に熱心なセクシー美女に改造された数多の妻たちに混じって改造されるゲイの建築家ロジャー(ロジャー・バート)がICチップを脳に埋められる前に、自身のパートナーについて「ゲイのくせに彼は共和党支持者なんだよ。」とジョアンナ(ニコール・キッドマン)に囁く場面が用意されているとともに、「この街では、アフリカ系もアジア系もネイティヴも含めて、何故に只の一人も見掛けないのだ?」という台詞も設えられていた。しかし、最も風刺が効いているのは、ステップフォードに込められたライフスタイルと夫婦像に執着し、熱望しているのが女性のクレア(グレン・クローズ)であることだ。ひたすらアメリカへの同調と追随を押し進めてきた日本でも、女性を家庭に閉じこめたがる圧力は、男以上に同性から掛けられることが多いように聞く。また、富裕の有閑専業主婦を羨む声も、女性たちから挙がるほうが圧倒的に多いように思う。昨今、異様なまでに流行っている“負け犬”などという言葉が、本来備えていたように感じる自負を伴った屈託が人口に膾炙するなかですっかり失われ、言葉どおりに自嘲的な意味合いで使われる形で流布したところには、そのようなところが影響しているような気がしてならない。
 そういったことを考え併せると、この作品がヘテロの夫婦だけで描かずにゲイ・カップルを登場させて、ニヤリとさせる台詞を仕込んでいるところは実に気が利いているように感じる。ステップフォード・スタイルを押し進めるよう政治的にも働きかけるべく、人格改造を施した人物を上院議員にも立候補させるというエピソードを仕込むうえでは、“女は家庭”というスローガンを損なわないよう男性キャラも必要なわけで巧みな設定だし、作り手のアンチ共和党支持者という立場も鮮明になる。アメリカでこの作品がどのように受け取られ、特に共和党支持者たちから、どのように評されているのか興味のあるところだ。
 しかし、娯楽快作としてのイチバンの楽しさは、やはりビジュアル的に観応えのある形で、ステップフォードのライフスタイルが空疎と虚飾と洒落っ気を漂わせて、きっちりと造形されていたところだろう。だからこそ、大上段に構えず軽みと風刺を効かせた作りがうまく嵌まってきたように思う。たわいもないと言えば、たわいもない作品だと思うけれども、こういう作品の存在が映画という文化を豊かにするのだと改めて感じたものだった。それにしても“stepford”という単語には、どういう意味があるのだろう。僕の辞書では単語としては掲載されていなかったが、単に街の名前としての固有名詞ではない意味を含んでいそうに思う。調べてみても分からなかったのが残念だ。

推薦テクスト:「K UMON OS 」より
http://blog.goo.ne.jp/vzv02120yamane/e/6065f8f46f36aa1fc1a03bded3aa56b3
推薦テクスト:「映画通信」より
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/day?id=10442&pg=20050301
by ヤマ

'05. 2.20. TOHOシネマズ1



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