『土』('39)
監督 内田吐夢


 主催者である“小夏の映画会”の田辺氏が上映に先立って行った説明によれば、日中戦争のさなかに制作された内田監督の代表作の一つに数えられる作品でありながらも、日本ではフィルムが消失し、当時同盟国だったドイツに残っていたフィルムによって'76年に欠落部分を字幕で補う形で再生した日活多摩川製作の映画だそうだ。今や日活の担当者ですら存在を認知してなかったフィルムを倉庫から掘り出してきてもらって借り受け、上映するに至ったとのこと。むろんビデオにもDVDにもなっていないそうで、日本映画を愛し研究する立場から非常に貴重な上映活動を重ねている氏の面目躍如たる作品の上映と言えるのだが、142分の作品が30分以上欠落しているうえに音声も聞き取りにくく、何とも残念な状態であった。しかし、映画の持っている只ならぬ力を偲ばせるだけのものは充分に伝わってきた。また、ドイツ語の字幕が入っていることが、その貴重さを印象づけてもくれていたように思う。

 長塚節の原作を僕は未読ながら、大学受験当時に学んだ文学史のなかでは、夏目漱石の激賞を受けた、真の意味での自然主義文学としてのリアリズムを結実させた作品であるとされていた覚えがある。当時流行していた日本流自然主義文学がかなり偏った形でフランスから流入されていたなかで、農民文学として写実主義に徹した彼のスタイルが、それらとは一線を画するものであったとも学んだように思う。そういう意味では、この映画は、長塚節の文学精神に実に忠実に撮られていたように思う。物語の進行以上に、茨城県の農村での生活の再現に力を入れていて、農作業のみならぬ祭事や婚儀などのドキュメンタルな描出を丹念に行っていた。そこには、近年の劇映画におけるドキュメンタルな手法によるリアリティ指向とも呼応するものがあって、実に新鮮な驚きとともに僕の目に映ってきた。現在では絶対に再現不能と思われる農民の姿が画面に宿っていたように感じる。あのような家屋や農村風景は、既に相当な田舎でロケーションを試みても困難の極みだろうし、仮に物は入手再現できても、もはや農民のあの面構えや口調を表現できる日本人はいなくなっているような気がする。上品な老婦人の印象が強い風見章子のデビュー作でもあったようで、健気な農民娘おつぎを熱演していたのが目を引いた。農夫勘次を演じていた小杉勇は、内田監督の贔屓俳優だったそうだが、そのごつごつした面構え共々存在感が抜群で、舅の卯平(山本嘉一)との確執を味わい深く演じていたように思う。

 昭和14年のキネ旬ベストテン第1位の作品だそうだが、東京国立近代美術館フィルムセンターでも収集保存はされていないということなのだろうか。折しもこの日から開催されている第5回東京フィルメックスでは、フィルムセンター共催のもと「内田吐夢監督選集“映画真剣勝負”」という特集上映が、ニュー・プリント6本を含む13作品という形で行われているのだが、この『土』はプログラムに含まれていない。僻地の高知ではあるけれど、こういう上映会をやってくれる人がいるのは実にありがたいと改めて思う。だが、この日の上映会に足を運んだ人は、おそらく全部でも30人もいないような気がするのだが、地元高知新聞の学芸部長が思いがけなくも観に来ていて、少々驚くとともに妙に嬉しくなったりした。

by ヤマ

'04.11.20. 平和資料館・草の家
      



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