『箱根風雲録』('52)
監督 山本薩夫


 地元高知県出身のタカクラ・テルの原作『箱根用水』の映画化作品ということで、県立文学館の“日本文学原作の映画上映会 第9弾!!”に取り上げられたようだが、映画作品としての出来では首を傾げるところもあったものの、この映画が製作された当時の日本社会や時代状況が偲ばれる貴重な作品を観ることができて、大いに満足した。
 時代を江戸期の寛文年間の民力による公共工事に借りながら、思うさま“官というものへの怒り・憤り”をぶつけたような作品だったことが印象深い。さすがは東宝争議で退社し、レッドパージを受けた人々によって設立された新星映画社が、前進座と共同製作した作品だけのことはある。主人公の浅草商人 友野与右衛門(河原崎長十郎)の偉業への感銘よりも遥かに強く、役人たちへの嫌悪感や腹立ちが誘発される作品となっている。帰宅後、チラシにあった山本監督著『私の映画人生』からの引用を読むと、当時、上映に関しても警察の干渉が随分あったとのことだ。「町々の警察署で映画館にいやがらせの妨害をするのである。そのため、ちゃんとした上映館が獲得できず、それもまた赤字の大きな原因となっていった。」というのは、まるで映画に描かれた箱根用水の隧道工事さながらだ。
 映画上映と併せて準備されていた高橋正氏(元 徳島文理大学教授)の解説によれば、原作の持ち味は、大衆文学的な娯楽性の豊かさのなかにあって、農民や盗賊の首領のみならず与右衛門自身もが用水工事を通じて成長していく物語であるところに文学的妙味があるとのことだったが、確かに映画においても、与右衛門の妻リツ(山田五十鈴)の執った決断と行動が農民や与右衛門を動かし、成長させる一つのハイライトシーンになっていた。リツをそのように動かしたのは、日々の苦役に携わっていた農民や何年も苦労を重ねている夫の姿だったろうから、言わば、用水工事を通じて人々が相互に成長していく物語というわけだ。だが、どうにも強く印象づけられるのは、やはり“官というものへの怒り・憤り”のほうだと思う。それが原作にもあるものか、映画の作り手たちが託し、込めたものなのかが興味深いところだけれど、高橋氏の解説によって教えられたタカクラ・テルの経歴によれば、あながち映画の作り手たちの思いだけではないようにも思った。
 タカクラ・テルは、民権運動にも参加し、貧者からは金を貰わない主義の限地医だった父輝房と幸徳秋水の一族縁者でもあるらしいとの母美弥の間に生まれ、京都帝大文学部を卒業してから作家となるも、大学同期の菊池寛らの妨害を文壇で受けたらしく、その後、長野県の「教員赤化事件」で逮捕されたりしたようだ。戦後は共産党からの衆参両議員歴を重ねるも、マッカーサー指令による公職追放で失格し、戦時中からの連載を長編小説『箱根用水』として出版したのち、中国とソ連に亡命し、九年を経て68歳で帰国。'73年には82歳で共産党中央委員会顧問にも就任し、94歳で生涯を終えた人物とのことだった。医者の子ながら、家は貧しく母の行商などにも負って苦学の末に最高学府に進んだことや自由民権運動の空気を幼い時分から身近に受けたこともあって、抑圧される貧者に寄せる思いの強かった人物らしいとのことだった。
 映画としては、今に繋がる箱根用水の姿をナレーションと共に映し出す記録映画風の部分が実録もののような印象を与える一方で、盗賊の首領蒲生玄藩(中村翫右衛門)やその情婦サヨ(轟夕起子)のキャラクターやエピソードがいかにも娯楽フィクションとして創造したと思われる造形になっていることのミスマッチ感や物語の展開の乱暴さ、演出の荒っぽさなどが目に付く。ある意味でそれが映画にパワフルな印象を与える効果を挙げているとは思いつつも、やはり虚実の了解や納得を与える説明力における弱みが拭えない落ち着きの悪さを残す。
 律儀な真面目さが気の利かなさや窮屈さとしても窺える友野与右衛門を演じた河原崎長十郎の風貌が、折々に民主党の岡田代表の顔に重なって見えるのがいかにも可笑しかった。映画の与右衛門が、用水工事に携わるなかで、リツによって民衆との一体感に本当の意味で目覚めたように、岡田代表にも、党首を続けるなかで与右衛門のような言葉を発するに至ってもらいたいものだ(笑)。

by ヤマ

'04. 8.29. 県立文学館
      



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>