『海猿』
監督 羽住英一郎


 先頃観た『下妻物語』『キューティハニー』の日誌に、「男前のドラマが、もはや男の子たちを主人公にしては成立しなくなっていて、少女のほうが似合う時代になっていることを改めて思い知らされた」などと綴ったばかりのところでこういう作品を観ると、余計に気分がよく、中学の三年間バスケ部に身を置きながらも、体育会系文化というものに違和感の拭えなかった僕でさえ、その良き部分を全うしているような若者たちのドラマに、少なからず心を揺さぶられた。コミュニケーションなどという口幅ったいものではなく、もっと生で野蛮な“通じ合い”がそこかしこに窺え、身を以ってそれを体感できることへの羨望のような眩しさを彼らに覚えたりさせられた。忖度や圧力とは異なる形のこういう通じ合いを果たすことは、主任教官・源(藤 竜也)と訓練生たち、訓練生同士、いずれの間柄においても現実的には稀有なことで、これと似たような結びつきを得ることの代償は、厳しい訓練に耐えるという以上の形で払わされるのが常としたものだ。そういった代償さえ要しなければ、体育会系文化の良き部分というものは、かくも眩しく素敵なものかと改めて感じさせられ、いささか動揺した。
 バディの工藤(伊藤淳史)を事故で失った痛手から水深40mまで潜れなくなり、潜水士になることに挫折しかけた仙崎(伊藤英明)の立ち直る顛末が弱すぎる感じは否めないものの、そういった散見される都合のいい展開さえもが余り気にならなくなる気分のよさを、映画全体が醸し出していて心地好い。海上保安大学校に入校した当座に、奇麗事の言葉としてしか口に出来なかった“人命救助に対する使命感”や“仲間としての連帯感や信頼感”を、訓練後に確かなものとして獲得したように見ていて感じられることが、そのままこの作品の映画としての出来を物語っているように思う。
 それにしても、常々思うことながら、消防士や警察官、レンジャー隊など自らの生命を危険に晒して職務に当たる人々の、およそ経済的対価が見合うと思われない職業意識を支えている使命感は、何なのだろう。畢竟、それは誇りと自負ということなのだろうが、いわゆる“勝ち組”などという貧しい言葉で端的に示されるような浅ましい価値観が幅を利かせるような世の中になってくると、そういう誇りや自負を醸成するのは困難極まりなくなってくる。日頃そんなことを感じているだけに、この作品がインパクトを以て迫ってきたのかもしれない。
 加えて、浅はかな愛国教育や自由主義史観、或いは教育基本法改正を行ってしまいそうな風潮が、ますます個人のあるべき誇りや自負を損ないかねないと感じていることからも、この映画に描かれた過酷な訓練の過程が、訓練生の誇りや自負を傷つけることを以て訓練の厳しさと履き違えて受け取られることのないよう、注意深く配慮されていたように感じられるところが好ましく、また、厳しい訓練に対しては、“耐えること”よりも達成や獲得・挑戦に軸足のある形で、その過程が描かれていたように思う。そこのところが、いわゆる根性物のような時代錯誤感を誘発されなかった大きな理由だという気がする。
 こういうスタイルの成長物語を殺傷技術の訓練ではない世界で描いてくれたところや普段あまり陽の当たらない職業に目を向けさせてくれたことにも満足した。「きつい・きたない・きけん」の3Kではなく、「キツイ・危険・気高い(かっこいい)」の3K職場として認知されるようになればいいのに、と思うと同時に、職業観について経済的な勝ち負けに拘泥しない視線を涵養する一助くらいにはなるかもしれないとも思った。

by ヤマ

'04. 7.11. 東宝3
      



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