『ぷりてぃ・ウーマン』
監督 渡邊孝好


 予告編を観たときに、何だかいかにもの押し付けがましさが充満していそうで、観る気が減退したのだが、観てみると思いのほか気持ちよく仕上がった快作だと感じた。何と言っても、役者たちが生き生き溌剌と演じているのが観ていて気持ちがいい。
 妙に面白かったのが、手練れたベテラン俳優たちが初めて芝居を演じる素人らしさを演じた台詞まわしの棒読み加減の具合だった。わざと下手な読み方をするというのは、彼女たちにとって難儀このうえなかったのではなかろうか。大したもんだと感心しつつも、思わず微苦笑が漏れた。その具合調の悪さをうまくカモフラージュする役割を果たしていたのが、イーデス・ハンソン扮するジェーン婆さんだった。普段でも芝居でも同じ調子でこなれない日本語のイントネーションであることが不自然ではない人物が際立つ形で混じっていることで、その具合調の悪さが随分と緩和されていたのではなかろうか。そのためのキャスティングであったような気さえした。モデルになったとの静岡に実在するという劇団<ほのお>に、彼女が演じたような外国人のメンバーが実際いたのだろうか。ちょっと気になるところだ。
 映画製作や映画を楽しむことの魅力を伝える映画、つまり映画を讃える映画というのは、さして珍しくもないが、共同作業としての演劇に手を染めることの楽しさを、病み付きになるのも宜なるかなとの思いが生じるほどに生き生きと伝えてくる映画を観ることは案外少なく、とても新鮮だった。過日観た『釣りバカ日誌14』のチラシに「観れば誰もが元気になれる!」とありながらも、観てみると余りにルーティン化した締まりのなさに、いささか元気を奪われたように感じたことから比べると、いかにも職人的な安定感と明朗闊達な運びに想外の息づきが宿っていたように感じられる本作のほうが、遥かに元気を与えてくれる。
 実にオーソドックスな庶民喜劇を型通りに踏襲しながらも、ちょっとした工夫が丁寧に施されていて、例えば、籤引きでヒロイン役を務めることになった、本来は引っ込み思案の梅子(風見章子)が公演当日目前にして死亡してしまう運びはありがちな展開なのだが、それなら急遽代役に立つのは、そのキャラクターからしても元々その役が似合っていたはずの葵(淡路恵子)になるのが常套としたものだ。だが、だからこそ、それを外してある。また、劇団<ともしび>は1回限りで解散するとの約束が公演許可の条件というのは、ちょっとしっくりこない気がしたのだったが、そうかこのためかと納得のいく展開がきちんと用意されていた。
 人が生きていくうえで、甲斐や張りを持つことがどれだけ大事であるかということ、そして、それはちょっとした行き掛かりで意外と簡単に出会えたりするものであることが、大仰にない形で楽しく語られているところがいい。こういう作品が、なんぞのようにもてはやされるわけではなく、ごく当たり前にそれなりのヒット作として、多くの人に観られるような状況が定着してくるときが、きっと日本映画の本当の意味での復権のときなんだろうなという思いが湧いてきた。

by ヤマ

'03.12.11. 美術館ホール



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