『六月の蛇』(A Snake Of June)
監督 塚本晋也


 僕は、いわゆるアブノーマルとされる性倒錯を扱った作品や悪趣味と言われるテイストを持った作品に対して生理的嫌悪感や反発を抱くほうではない。むしろ、人間という存在の奥深さや割り切れなさというものについての強い関心を惹き起こされる傾向が強い。だから、悪趣味を全開にしたような前半部分までは、青味掛かったモノトーンの、ざらつき湿った色調に魅せられながら、画面に惹き付けられていた。
 だが、そのダークサイドの、理不尽で不可解なまでのインパクトとは凡そ不釣合いな、極めて了解されやすい形での“死の自覚”や“愛”などという観念を持ち出して取って付けたような色づけをし始めたことで、妙に違和感というか、不快感を抱いてしまった。死の自覚や愛という軽からぬものが、ひどく安直に口実として扱われている気がしたからだ。

 悪趣味や倒錯、不条理を描きたいのなら、そんな偽装を凝らさずに突き進むほうが潔いのに、妙に姑息な気がする。この偽装ゆえに受容者層を広げることはできるのかもしれないが、大事なところをはぐらかしてしまうことになるのではないか。そもそも、パワフルな映像の持つ魅力に比して、あまりにも台詞の言葉が貧しいのだ。非常に聞き取りにくい音声にも苛立ったのだが、その言葉の貧しさが、持ち出された死の自覚や愛に取って付けた口実めいた印象を与えていたような気がする。それは、りん子(黒沢あすか)や道郎(塚本晋也)にとっての口実という意味ではなく、この作品を撮るうえでの塚本晋也における口実ということだ。僕には、作り手が愛の目覚めや死の自覚を描きたかったとは、映画を観ていて少しも思えなかった。
 また、21世紀の作品なのに、乳癌=乳房切除or死という短絡がいかにも古めかしい。セックスレスとおぼしく妻りん子と同衾できなくなっている重彦(神足裕司)が、妻の乳房切除を嫌がるというのも、妙に解せないというか、引っ掛からずに受容できる展開としての描き方がされていなかった。重彦の拉致から秘密倶楽部風の殺人ショーに繋がるエピソードに至っては、それが重彦の実際の体験であれ、妄想であれ、イメージ的にはともかく、物語的には破調にしかなってなかったように思う。

 ただ全編通じて常に緩むことなく、切迫感のさまざまな相貌を緊張、恐怖、恥辱、絶頂、挑発などの場面において、鮮烈に表現しきった黒沢あすかのインパクトには圧倒された。だが、その演出力や映像、黒沢の力を以てしても、僕が作品に感じた嫌味を解消してはくれず、むしろ、それらが余計に惜しまれる印象に繋がったりした。
 また、神足裕司の台詞回しの稚拙さに対して余りにも無頓着な作り手の姿勢に、音声の聞き取りにくさ共々、それが海外市場では些かの障害にもならないことを織り込んでいるようで、何とも嫌な感じがしたということもある。特に最初に登場したときの台詞がひどく、それでげんなりさせられてしまったことも響いている。ベネチア国際映画祭審査員特別大賞を始めとして海外の映画祭で数々の受賞を果たしたようだが、僕には総体として不満の残る作品だった。


推薦テクスト:「K UMON OS 」より
http://www.alles.or.jp/~vzv02120/203/237.html#jump1
推薦テクスト:「銀の人魚の海へ」より
http://www2.ocn.ne.jp/~mermaid/requiemfordream.html#六月の蛇
推薦テクスト:「THE ミシェル WEB」より
http://http://www5b.biglobe.ne.jp/~T-M-W/movierokugatsunohebi.htm
推薦テクスト:「帳場の山下さん、映画観てたら首が曲っちゃいました。」より
http://www.k2.dion.ne.jp/~yamasita/cinemaindex/2003locinemaindex.html#anchor000952
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2003/2003_06_09.html
by ヤマ

'03. 9.24. 美術館ホール



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