『ムーンライト・マイル』(Moonlight Mile)
『ベッカムに恋して』(Bend It Like Beckham)
監督 ブラッド・シルバーリング
監督 グリンダ・チャーダ


 いわゆるエンタメ路線のスポットライトからも、アート系と呼ばれるカルチャー路線の注目からも漏れることによって、高知では、劇場でも自主上映でも取り上げられずに終わりそうな佳作が、またしても市民映画会の拾い出しにて、スクリーン公開の機会を得ていた。特に『ムーンライト・マイル』など、これだけのキャスティングの作品でも地味なシリアス・ドラマだと、メジャー配給でなければ地方公開されない現実に溜め息がもれる。

 先に観た『ベッカムに恋して』では、先頃観たばかりの『パイレーツ・オブ・カリビアン』で育ちのよさを面立ちに偲ばせていたキーラ・ナイトレイが、庶民階層のボウイッシュなお転婆娘を演じて、まるで雰囲気の異なる印象を残しながらも、精彩を放っていた。非常に前向きな明るさが際立ち、若々しいエネルギーが健康的に放射されている点でイギリス映画らしくない味わいが微妙に興味深い作品ながらも、サッカーや混在する人種の問題、空気として漂うある種の閉塞感、同性愛などイギリス映画には欠かせないとさえ言えるようなブリティッシュ・イシューは満載だ。それらを全て後景に追いやって、定型とも言える青春映画を少し風変わりな味付けで爽やかに造形したところが、観ていて心地のいいところだった。
 近年のイギリス映画の勢いにインド映画の健康的なテイストを盛り込んだ感じだが、主要登場人物三人のうちでも主人公であるインド系イギリス人ジェス(パーミンダ・ナーグラ)の家が最も富裕そうであったのは、イギリス映画のなかでの設定としては珍しい気がした。コーチたるアイルランド系イギリス人ジョー(ジョナサン・リス=メイヤーズ)はまだしも、チームメイトのイギリス娘ジュールズ(キーラ・ナイトレイ)の家よりも裕福なのだ。そして、ジェスは、女子のプロサッカー選手の道と弁護士への道を天秤に掛けた形で、進む大学の選択に臨んでいたわけで、インド系イギリス人を描いた作品としては、かなり進歩的な気がする。製作・監督・脚本ともにインド系らしき名前が並んでいたが、そこが面目でもあろう。殊に製作・監督・脚本の総てに携わっているグリンダ・チャーダが女性であることも、この作品がプロのサッカー選手を目指す女の子の物語になったことに大きく作用しているような気がする。

 『ムーンライト・マイル』では、その前半部分で、優しさの裏返しとも言える無自覚な成り行き任せが人の想いを踏みにじることについて、無頓着にすぎるように感じられたジョー・ナスト(ジェイク・ギレンホール)に嫌な感じを受け、いささかうんざりさせられていただけに、後半での鮮やかな展開に目を開かれるような気がした。
 結婚式直前に、故なく娘を殺され失ったベン・フロス(ダスティン・ホフマン)の悲しみを回避するためのすり替えであれ、ジョージョー(スーザン・サランドン)の怒りの遣り場のない苛立ちであれ、あるいはベトナム戦争に徴兵されて行方知れずになっている恋人の死亡を予測しつつ身動きが取れないでいるバーティ(エレン・ポンピオ)の固執であれ、どれもがブレイクスルーに繋がる形で踏みにじられたほうがいいような想いであって、汲み取られ続けていては、いつまでたっても踏み出しに至らないということだ。そして、そのブレイクスルーは、結果的にジョーがもたらしたものながら、彼の意図によって導かれたものではないように描かれていた。ここが肝要だと思う。人の転機は、必ず人によってもたらされるものだと思うが、人は人が変えようとして変わるものではなく、むしろ変えようとして関わることは、大概の場合に逆効果になるような気がする。
 だから、ジョーが何のポリシーもヴィジョンもなく、放置はできなくてただただ同伴し続けること、しかも、そのなかにあっては、ひたすら意を汲もうとするのではなく、ある種の異化を受容のうちに孕んでいることが重要なのだ。結婚式の三日前に婚約を解消していたという、言い出せないでいる秘密が図らずも担保したものだったのかもしれない。
 彼が最も大きな役割を果たしたのが、喪の仕事は、死を契機にそれに相応しい故人の物語を紡いだり、喪失を何かで埋め合わせようとすることではないことを切実なる形で訴え、知らしめた法廷証言の場だった。ありのままの故人を回想し、厳然たる事実としての死を受け入れ、心のうちで別れを告げることこそが喪の仕事であって、すり替えや怒りや固執は止むなく生じるものではあっても、喪の仕事自体を妨げるものでしかないということだ。
 ことに僕が共感したのが、フロス夫妻の喪の仕事において、犯人に厳罰を与えることやそれがための意図的証言を繰り返すことが何の効用ももたらさないどころか、むしろ逆効果であることを主張するかのように映画のなかで犯人の存在を軽視していることだった。製作・監督・脚本を担ったシルバーリングの実体験が基になった物語だけのことはあると思った。恨みや怒り、復讐心が腹いせ的に満たされたとしても、それ自体は直接的には喪の仕事には関係のないことだと言っているような気がした。止むなく生じる心であるのは間違いないことなので、いかにそこをフォローして喪の仕事に向かわせることができるかというのが、被害者を慮る側の考えるべきことであって、少なくとも市中引き廻しなどという言葉で煽ったりして、厳罰を果たし得ても、それが喪の仕事に役立つとは思えない。むしろ、喪の仕事から遺族を遠ざけることに繋がりかねない、思慮の足りない浅はかな考えだと思うのだが、荒みの進みつつある現在の日本社会では、そういう厳罰主義が大勢化しつつある。こういう論理の行き着く果ては、希望する遺族には死刑の直接執行を権利として保証する制度の創出ということになろうが、それが喪の仕事に効用をもたらすとは、僕には到底思えない。文筆家のジョージョーが何ゆえ、もう一度タイプライターに向かえるようになったのかを噛み締めたいところだ。
 このジョージョーを演じたスーザン・サランドンが出色で、さすがは『デッドマン・ウォーキング』を夫ティム・ロビンスに製作・監督・脚本を担わせて、自身が出演しただけのことはあると感心した。

『ムーンライト・マイル』
推薦テクスト:夫馬信一ネット映画館「DAY FOR NIGHT」より
http://dfn2011tyo.soragoto.net/dayfornight/Review/2003/2003_07_21_4.html
推薦テクスト:「多足の思考回路」より
http://www8.ocn.ne.jp/~medaka/diary-moonlightmile.html

『ベッカムに恋して』
推薦テクスト:「my jazz life in Hong Kong」より
http://home.netvigator.com/~kaorii/eu/benditli.htm
by ヤマ

'03. 9.25. 文化プラザかるぽーと



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