『足摺岬』('54)
監督 吉村公三郎


 県立文学館が、地元の自主上映“小夏の映画会”との共同主催で行う“日本文学原作の映画上映会”が再開された。昨年の八月以来だから半年以上になる。小夏の映画会の手配で貴重な日本映画の旧作をセレクトし、フィルム上映してくれる価値ある上映会だっただけに、まずは朗報だ。
 この上映企画は、公共上映にふさわしいレクチャーが、地元の人材の活用によって肩の凝らない形で配置されているのが魅力の一つでもあるのだが、今回の講師は、高知文学学校運営委員の山川禎彦氏だった。この映画が『足摺岬』というタイトルながらも、全体の2/3を占める、岬に赴くまでの部分が『絵本』という作品から取られていることや『足摺岬』に登場する八重という女性は『絵本』には登場しない人物であること、また、自殺というものが大きな意味を持っている作品であるとともに、原作者の田宮虎彦について生と死を見つめた作家であったと紹介したうえで、彼自身が七十六歳で自殺したことを教えてくれた。
 楽しいエピソードも聞かせてもらえた。当時の足摺ロケの現場で野次馬整理に当たっていた友人の片岡という警察官が“上原謙”と渾名される美丈夫であったためか、現場でスカウトされ、当時のトップスターである津島恵子の演ずる八重が身投げしようとするのを抱き留める警察官役を演じさせられたそうだ。彼は、得意満面になって、映画の公開前に葉書で友人知人に「津島恵子の頬が僕に触れているから、ぜひとも観てくれ」と知らせてまわったのに、完成作品では無残に全面カットされていて、すっかり意気消沈していたとのこと。「文学が書き手の頭に浮かんだ言葉の全てを書くものではないように、映画も写したフィルムの全てを使うわけではなく、当然ながら編集をします。まさしく人生がそうで、人間というものがそうなんであって、生きてきた事々の全てを覚えている人はいません。大切なこと、忘れがたいことのみが残っているものです。」といった洒落た言葉で括っていた。

 事前に作品の大半が『足摺岬』ではないと聞いたことは、僕には大きな刺激となった。というのも、この映画は、岬に赴いてから後は、それまでの社会派的な作品トーンとはどうも基調を違えたメロドラマになっていて、津島恵子が木村功の演じる自殺未遂の苦学生浅井に口移しで焼酎を飲ませる、やや強引なサービスカットが観ていて妙に引っ掛かるくらいに失速を感じたからだ。作り手は『足摺岬』を借り、そこに繋ぐために八重を原作にはなかった形で登場させ、スター女優を起用してまで、『絵本』を撮りたかったのだろう。そうであれば、近代映画協会の作品であることにも納得がいくし、岬に赴いてからの失速も、褒められたことではないにしても了解できる。
 岬までの部分で印象深かったのは、昭和九年を冒頭に謳いあげた時勢の強調ぶりと特高警察による左翼弾圧の描き方であった。シンパは寄せても左翼活動をしているとも思えない苦学生が、貧乏なインテリというだけで左翼と目され監視される状況とは対照的に、資本論などの書物のみならず、レーニンの写真をも部屋に掲げる裕福な学生が、気軽に鼻歌でインターナショナルを口ずさみながら、パイプをくゆらせている姿を描いていた。そこには、当時の弾圧の本質は、思想に対するものではなく、貧困者への差別と警戒であったことが、憤りと共に強烈に描き込まれているわけで、“生と死を見つめた作家”と紹介された部分を超えるものがある。また、『絵本』としてのラスト直前に当たる、本屋で浅井がアンデルセン童話を買う場面では、店のガラス戸に戦車の走行する姿が映っていた。街中を戦車が通っているというのも唐突な気がしたが、浅井の観た幻影と言えなくもない。いずれにしても、この二箇所は是非とも原作と対照してみたいと思った。都合のいいことに上映会場が文学館だ。隣接する閲覧室の書架に田宮虎彦のコーナーもある。早速読んでみることにした。

 『絵本』は '50年の作品で、これには、特高警察などは登場しない。左翼系の学者や女給と同棲する学生といった下宿人仲間たちも登場しない。浅井の広告料集金の仕事の話も登場しない。これらのことや母の死を知らせる電報の話は『菊坂』という同年の作品に描かれていることであった。しかし『絵本』にしても、近衛師団第三聯隊の起床ラッパが聞こえてくる場面から始まるという、いかにも時代色の窺える作品だったし、浅井の隣室に下宿している新聞配達の中学生である福井の兄が上海事変で名高い肉弾三勇士の廟行鎮で捕虜になったことによって、銃殺されたばかりか、それは忠義心が足りないからだとか“赤”だとかいう非難を浴びせられることで彼の遺族をも苦しめたことや、少年が貧困と兄の失態に起因する偏見から追剥ぎ容疑で警察に連行された挙げ句、竹刀で暴行を受け、三日後の真犯人逮捕によって釈放されたものの、自殺を遂げてしまうという顛末などは、まさしく原作どおりであった。ただ僕の目に強く焼き付いた、浅井と同郷の裕福な学生の部屋については、裕福であるがゆえに書架に本がぎっしりと並び、そこに「マルクス・エンゲルス全集とか、社会思想全集とかいった全集本もいくつかならんでいた」と記されているのみだったし、本屋の件は「六本木の交差点の前の本屋で、アンデルセンの童話の美しい絵本を一冊買った」とあるだけであった。『菊坂』には、「マルキシズムの嵐が風靡してからというものは、貧しい学生には悪い思想が必ず巣くっているとされるのが、世の中の常識になっているのだった」という一文はあるにしても、弾圧の本質を鋭く突くようなところが本旨であるようには感じられない。併せて『足摺岬』にも目を通してみたが、これは '49年の作品だった。
 そのうえで感じた田宮作品の印象は、貧困であれ、病苦であれ、不当な蔑視であれ、世相への悲観であれ、母の死であれ、死に時を逸したことであれ、今後を生き行くことの困難のなかにあって、死に引き寄せられる魂なり、常に死を意識せずには生きていられない魂といったものの哀切を綴っていて、社会的なものに向ける視線は、作品世界の背景として窺えても、それほど強く向けられてはおらず、もっと情緒的に人間の心に関心を寄せているということだった。だが、『絵本』については、田宮虎彦が踏み込むことを留めていた部分に、新藤兼人が雄々しく立ち入ることで、むしろ作品的には強烈で鮮明な深化を遂げているような気がしたのだった。

 帰宅して、書棚にある文庫本を開くと、“足摺岬その他について”と題する田宮虎彦自身の文章があった。この三作を含む「満州事変から日華事変までの社会の移り変わりの中で生きていく一人の青年の一時期一時期を書いた作品の連作」について、「あの異常な時期に青春をすごした青年たちを書きたいと思ったし、同時に、そうした青年たちの具体像をとおして、あの異常な時期をも書き残したいと思ったのであった」と綴っていた。そして、自身の体験として、東大に進学して中学校当時の級友である早稲田の学生と喫茶店で待ち合わせて会っただけで刑事の尋問を受けたことや大学の先輩たちが開いてくれた二十人余りの歓迎会が無届集会という理由で解散を命じられ、世話役をした上級生二人が警察署に連行されて行ったことなどを記したうえで、むしろ「この連作は、もちろん、こうした背景社会を書くことだけが目的ではなかった」とさえ綴っている。
 だとすれば、原作から得た僕の読後感よりも、新藤の脚本は、原作者たる田宮の意図を汲み取ったものだったということになる。だが、この文章を読んで僕が思ったのは、これには昭和四十二年四月との時点記載があったから、この映画化作品が誕生してから後に綴られたものであるということだ。田宮虎彦は、新藤兼人の脚本による自作への踏み込みを肯定的に受け取り、新藤をそのように触発し得た自分の作品に宿っていたものに対して、自身で捉え直しをしたというような部分があったのではないだろうか。勝手な推測にすぎないが、観終えた後に、このような想像を巡らせるに至る契機を与えてくれた山川氏のレクチャーに感謝したい。まさしく文学館での企画上映会ならではの楽しみを得たように思う。
 ただ、その一方で、映写状態の悪さには去年の上映会以上のものがあり、いささか呆れた。比較的新しいプリントだったと思われるのに、映写機が御粗末で何度も中断していた。“小夏の映画会”の主宰者が持参した映写機で自ら映写しているようだが、ほぼ毎回のように映写トラブルが起こっている気がする。とてもよい事業企画だと思われるので、県立文学館で施設備品として映写機を準備するなり、上映会に際しては、きちんとしたものを借り上げるなり、専門の映写技師を手配するなりしてほしいものだ。ボランタリーな映画愛好者との連携事業だとはいえ、公の施設が主催に名を連ねる事業で、仮にも有料の映画会なのだから、最低限の上映環境は整えてもらいたいものだと思う。

by ヤマ

'03. 4. 6. 県立文学館



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