『馬』('41)
監督 山本嘉次郎


 敢えて建国記念日に戦前の戦意高揚作品を上映!!との触れ込みだったが、あまり戦意高揚映画だという気がしなかった。確かに冒頭に、軍馬となる優良馬を育てることを奨励する“東条大臣のお言葉”が登場しはする。最初のシーンも岩手の馬市場で軍用馬が買い上げられる場面だ。しかし、映画を観ていると、作り手が撮りたかったのは、岩手の四季と自然、農村の生活や祭事、そして何よりも当時十六歳だったという高峰秀子[クレジットでは高峯]だったのだろうという気がしてくる。
 オープニングのクレジットでも撮影担当を春夏秋冬とセットの五つに分けて表記し、四人のカメラマンを配していた。軍用馬ということ以外に戦争なり軍隊の影は差してこない。戦意高揚に映画が利用されたというよりも、軍馬にかこつけてこのような映画を撮ったという巧妙さのほうが印象にある。この後『ハワイ・マレー沖海戦』('42)、『加藤隼戦闘隊』('44) などという戦意高揚映画として名高い作品を撮った監督の映画だから、そのように見られたのかもしれない。
 主催者によれば、この作品は、黒澤明が高峰秀子との恋に翻弄されたことでも有名なのだそうだが、確かにクレジットに製作主任として黒澤明の名があった。岩手の自然のなかをたくさんの馬が走り回ったり、草を食んだりしている場面が登場するが、後の作品群で感じさせる彼の馬好きは、この作品の現場から始まったのかもしれない。
 高峰秀子は、後年にも窺われる、凛とした気性の強さを既に鮮やかに発揮しており、同時に、あどけなさと併せて歳に似合わぬ大人びた風情を醸し出していた。ちょうどこの年頃でデビューしたときの関根恵子が持っていた清冽さと非常に近いものを持っているような印象だった。昭和16年の作品だから、関根恵子のように弾ける肢体を晒して見せていたわけではないが、彼女と同様に、かなり発育がよさげに見えた。
 物語的には、二時間十分を要するとは思えないシンプルなストーリーなのだが、なにせ自然や農村風俗を捉えることに熱心なのだから、自ずと作品時間が長くなる。そんななかで物語的に興味深かったのは、馬のハルや小僧といね(高峰秀子)との関係よりも、いねと母親さく(竹久千恵子)の関係性だった。過剰に反発し合っているようでいて、いざとなるとそれぞれが頼りにし、気遣いもしている。昭和16年当時の田舎の農村ということからすると、かなり際立った母娘像だったのではなかろうか。さくが娘を評して「土性っ骨の強さ」という言葉を使っていたような気がするが、案外、高峰秀子の個性を反映して造形された人物像だったのかもしれない。そして、けっこう父親たる甚次郎(藤原鶏太)の影が薄い。家の中での父親の影の薄さというのは、何も戦後の日本に限った話でもなさそうな気がした。

by ヤマ

'03. 2.11. 平和資料館・草の家



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