『たそがれ清兵衛』をめぐる掲示板編集採録
神戸美食研究所」:タンミノワさん
TAOさん
ヤマ(管理人)


 
*彼らの人生は、幸か不幸か

(タンミノワさん)
 「たそがれ清兵衛」評、待ってました。今拝読。


(管理人ヤマ)
 ありがとうございました。


(タンミノワさん)
 無欲、高潔であることへの欲望・・なるほど。最も贅沢な“無欲”かもしれませんねえ。誰にでもできることじゃあありません。


(管理人ヤマ)
 ご賛同いただき、サンクスです。なんか僕には何度も繰り返された「無欲」が引っ掛かったんでしょうな(笑)。


(タンミノワさん)
 私も、ラストの岸恵子登場のシーンによって、ジーンと来たクチなんですよ。


(管理人ヤマ)
 ご同輩ですね〜。ふっと何故かやってきましたね。自分でもちょっと不意打ちを食らったような感じでした。


(タンミノワさん)
 トモエによって語り継がれた父親像である、ということもそうですが、私単純に、少女が老女になる、つまりは時代が移り変わるというのは、一人の幼かった人が年老いるということだけなんだなあ…という感じがしてぐっと来たのです。


(管理人ヤマ)
 容赦ないと言えば容赦なく、片時も留まることなく、時は流れていくんですよねー。記憶や物語を残しつつも、儚く淡々と。タンミノワさんの書き込んだ「だけなんだなぁ」って感じを僕が映画で最も強く印象づけられた覚えがあるのは『木靴の樹』です。


(タンミノワさん)
 彼女が「不運な男、と皆言いますが、父は、とても幸せだったのです」と語るのは、相当たまりません。


(管理人ヤマ)
 僕が、そうかと朋江に思いが及んだのも、この台詞だったんでしょうね。


(タンミノワさん)
 子供にとって、自分の親が幸せな生涯を送ったと信じられるほど幸福で、かつ今の時代に得難いことってないですからね。


(管理人ヤマ)
 ですね。外形や境遇がどうであれ、子供にそういうふうに思わせてやることが出来れば、なによりですよ。少なくとも自分のことが負担だったり、重荷だったりしたんだろうなとは思わせたくありませんね。めっちゃ金、食われてますが(笑)。


(タンミノワさん)
 でも、世俗的な欲望はなかった清兵衛のたった一つ捨てきれなかった欲望、「ともえさんと一緒になる」という夢は、ともえが出戻ってくるということからタナボタで叶ったわけですから、相当ラッキーガイだったんちゃうの?>清兵衛 と思わずにいられません。


(管理人ヤマ)
 娘が語るように幸せ者だったんですよ。報われてますよ。
 もしかしたら、3年で終えたからこそなのかもってとこもありますし(笑)。


(TAOさん)
 清兵衛ラッキーガイ説を適用すると、ともえさんも、不幸な結婚をして、本来なら片身の狭い出戻りなのに、そのおかげで、子供の頃から好きだった人に添えたわけで、これまたラッキーな気がしません?
 ふたりとも、大切なものさえあれば、あとはどんな苦労も厭わないという気構えだからこそ得られた幸運ですが。


(管理人ヤマ)
 ようこそ、TAOさん。
 そういう意味では、最初から叶っているよりもラッキーだったのかも(笑)。


(TAOさん)
 ヤマさんとタンミノワさんの感想を読んで、なるほどそうなのかと思ったんですよ。
 ほら、私、ラストに岸恵子を見て、ありゃりゃと思ってしまったクチなもので(笑)。


(管理人ヤマ)
 僕が日誌で紹介しているラストを考えられた方も、きっと先ずはここのところの違和感から出発したんだろーなって思いました。
 これは清兵衛の映画だろうにって感じでしょーか(笑)。


*原作と映画化作品との違い

(TAOさん)
 映画「たそがれ清兵衛」は、じつは3つの短編のキャラクターや設定、ストーリーをつぎはぎして作ったものなのですが、そのこと自体はともかくとして、幕末という特殊な時代に背景を移して時代の変化を強調したことやラストを付け加えたことで、原作のもつ人間の営みを淡々とスケッチする味わいが消えてしまったことが、とても残念でした。藤沢周平の、多くを語りすぎない、抑制の効いた描写が、私は何より好きなもんですから。


(管理人ヤマ)
 ぐっと来させてしまってはテイスト違うだろーがって感じですかね、TAOさんの場合は。


(TAOさん)
 はい。まさにテイストです(笑)。淡々→しみじみで事足りていたものを、くどく念押しされたので、「よせやい!」とムッとしてるわけです。


(管理人ヤマ)
 事足りてなかった僕は喜びましたが、満腹のうえに詰め込まれたら、うぉっぷとなりますよね(笑)。


(TAOさん)
 でもね、薄暗い室内の気配や、庄内平野の美しさなど、映像化ならではのよさも堪能したので、見て良かったなあと思っているんですよ。


(管理人ヤマ)
 にしても、淡々→しみじみで充分満腹になれる品のよさってのは、刺激過剰映画の時代にあって、かなり自慢できることではないでしょうか(笑)。


(TAOさん)
 でしょう?(笑)


(管理人ヤマ)
 はいな〜。なかなか臈長けておいでじゃありませんか(笑)。


(TAOさん)
 あらかじめ原作とは別物と覚悟して見に行きましたからねえ。


(管理人ヤマ)
 もちろん食事と同様に、料理の質によって腹具合は変わるとしたもので、TAOさんと言えども、常に上品に食せるわけでもないでしょうが(笑)。


(TAOさん)
 でも、考えてみれば、原作は短編集であり、いずれも一見パッとしない下級武士たちが、たまたま機会を与えられてその非凡さを顕わすものの、事が終わればまた平凡な日常に戻っていくという物語の積み重ねによって、しみじみとした印象を残すわけで、…


(管理人ヤマ)
 それならオムニバスのスタイルですよね。


(TAOさん)
 連作短編集という仕掛けなしに、一本だけを抜き出して忠実に映像化しただけでは、これほどの評判を得ることはできなかったのかもしれないなという気がしてきました。


(管理人ヤマ)
 それはそうかもしれません。僕は藤沢周平というと、二十代の時分に『橋ものがたり』という短編集を読んだきりのような気がしますが、あれもまた橋にまつわる連作故に、人々の生活と心情が多面的に重ねられて、味わいをにじみ出していたように思います。


(TAOさん)
 でもなあー、やっぱり不満だ(笑)。これはもうできすぎた原作を元にした映画にはありがちなことですが。


(管理人ヤマ)
 どうしても、愛読者のほうで求めちゃうものっていうのが、出てきちゃいますからねー(笑)。


(タンミノワさん)
 これって、結構昔から私の中でも葛藤があります。「完成度の高い原作を先に読んでしまったから、映画がイマイチに受け取れるのかな〜」とか。活字で物語を読むと、どうしても自分の中でその世界観みたいなのを構築してしまうので、それと違うアレンジされると気に入らなくなっちゃったりするんかなあ、とか。


(管理人ヤマ)
 そういうことなんでしょうね。でも、それって悪い事じゃありませんよね。それだけしっかと作品とのコミュニケーションを取った証でもありますからね、構築のほうは。


(タンミノワさん)
 そうなんですよね〜。読書ってつまりは、ほとんどの部分、作者とのコミュニケーションですね〜。


(管理人ヤマ)
 映画も僕はそういうものだと思ってるんです。でもって、映画には、映画の作り手というものが原作者以外にもいるわけですよね。
 そして、映画化の具合が気に入る入らないの許容の幅というのは、観る側の寛容度の問題なんでしょうが、これはもう善し悪しの問題とは違いますよね。


(タンミノワさん)
 まあ最近は「映画と原作は別物」という結論の元にいるんですけど。映画は映画で一つの世界になってて面白ければそれでいいって…


(管理人ヤマ)
 最も理性的かつ妥当な見解ですよね。ただ意識はそうあっても、好き嫌いは感覚だから、そういう意識を持っていても、万事その意識どおりには対処できないのが人間というものですが(笑)。


(タンミノワさん)
 ですから、原作の中で自分が強烈に作者から受け取ったものが省かれてたりすると、やっぱ「アレレ」ってなっちゃいますね(笑)。でも、映画見ながら「あれーあれ〜」と文句を心の中で言うのもまあ楽しみの一つ。


(管理人ヤマ)
 そうそう(笑)。自分が作り手なら、こうするとこだよな〜とかまで思う方もおいでますよね(笑)。
 映画の楽しみ方は、多ければ多いほどよいものだと思います。


*時代を幕末に移したことの功罪

(タンミノワさん)
 「たそがれ清兵衛」が時代を幕末に移していたりするのは、あの映画は、時代の移行期にあって不安な、現代のサラリーマン(や人々)を清兵衛たちに重ね合わせようという意図からなんですよね。


(管理人ヤマ)
 なるほど、なるほど。2002年に映画化しているわけですからね。映画において同時代性というのは、特に重要なキーワードですよ。


(TAOさん)
 そうなんですよ、私もそう好意的に解釈しようとしたんです。でもね、ちょっと愚痴を言わせてください(笑)。
 武士の本質であったはずの武芸が役に立たなくなってしまった太平の世だからこそ、清兵衛のような昔気質の侍の出番がなかったわけで、たまたま、その腕が役に立つようなことがあっても、その後はまた能吏が幅を利かせたと思うんですよ。ところが、幕末となると、腕に自信のある諸藩の下級武士たちは、こぞって脱藩して京へ上ったりしてるし、瞬間的にとはいえ、再び武士らしさが問われた時代じゃないですか。


(管理人ヤマ)
 なるほどねー。でも、考えてみれば、物語の大半においては、そういう「太平の世」の雰囲気でしたよね。幕末うんぬんが出てきたのは、彼の死にまつわる顛末だけで、しかもナレーションで済ませた添え物ではありました。
 そういう点では、ちょっと安易な形で「不安定な時代」という意味での同時代性を持ち込んじゃったのかもしれませんね。それに3年で死んでしまった悲運についての悲劇性も、自然な形で施せる設定になりますし(笑)。


(TAOさん)
 だから、そういういざ鎌倉の時代に移してしまうと、肝心の主題がぼやけちゃうんだけどなあと、私はぼやきたくなるわけなんですよ。


(管理人ヤマ)
 このご指摘は、当を得ていますね。結果的に、映画世界自体には、そういう時代の気分というものが、きちんと反映されていなかったことが却ってよかったわけですね(笑)。


(TAOさん)
 ええ、ほんとに。その点はほっとしました(笑)。その分、付け焼き刃的なところが気になりますが、詰めの甘さに救われたようです。


(管理人ヤマ)
 あはは、かたなしですな〜(笑)。


(タンミノワさん)
 確かに「淡々とした人の営み」というものを描くのとは違う意味が生まれてますよね。


(管理人ヤマ)
 時代や環境に振り回されることなく、かく生きたいと思って貫けば、たとえ生涯は短くとも、きちんと報われ、家族において語り継がれる物語が生み出せるし、そういう物語を継いでいく者こそが家族ではないかという、ちょうど『ダスト』みたいな話になってたように思いました(笑)。


(タンミノワさん)
 う〜ん『ダスト』…(笑)。どういう風に語り継がれるのかはまあ別として、まあ子供がいると、語る対象にされちゃいますね。恐ろしや・。


(管理人ヤマ)
 語ってもらえないってのと、どっちもどっち。いずれにしても、持ってしまった以上、逃れようはないですねー(笑)。


(タンミノワさん)
 何にしましても、映画って2時間で語って、納得して帰ってもらわないといけないメディアだから、やはり活字とは違うんでしょうねえ。


*とても素敵だった宮沢りえ

(TAOさん)
 映画化という点では、短編作品の寄せ合わせとか時代設定の変化ということより、むしろ、私が最も心配したのは宮沢りえちゃんでした。それが予想外にヒロイン役にはまっていて、うれしい驚きでした。


(管理人ヤマ)
 僕、内蔵助の妻(「りく」だっけ)をやったときも気に入ってました。健さんのほうは??でしたけど(笑)。(っていう映画ありましたよね、確か)


(TAOさん)
 『四十七人の刺客』ですね。
 でも、ヤマさん、年齢から言って「りく」はないでしょう(笑)。


(管理人ヤマ)
 確かにそうだ。主税の母なんて無理ですよね(笑)。オバカだなー。←自分(笑)


(TAOさん)
 大石の最後の(というか最初で最後?)愛人役でしたね。うん、あれはかわいかった。
 でも、りえちゃんの「記録映画」といえば、『ぼくらの7日間戦争』!


(管理人ヤマ)
 これを観たときは、それほどに印象に残ってなかったんですよね、僕。つば付けってあんまり得意じゃないみたいです(笑)。スカウトなんて、全く不向きですな。


(TAOさん)
 おや、そうでしたか。ヤマさんは、ロリコン度が低いんですね(笑)。


(管理人ヤマ)
 そうですね〜、昔はそうでもなかったはずなんですが、少なくとも大人になってからは、熟れじし好みとは言えるかも(笑)。


(TAOさん)
 『たそがれ清兵衛』では、着物を着ると少しふっくら見えるのもよかったし、現代物では浮きがちな語りも、時代劇にはぴったりしていて。


(管理人ヤマ)
 も少しふっくらしてもらってもいいです、僕的には(笑)。

(TAOさん)
 そのとおりです、ご同輩(笑)。洋服姿のりえちゃんを見ると、痛々しくて胸が痛みます。もっともっとふっくらしてほしいですねえ。


(管理人ヤマ)
 もともとふっくらしてた女性ですしねー。それも痩せ方が醜聞絡みで、気の毒きわまりなかったし。


(TAOさん)
 そうなんですー。無防備な思春期にマスコミから徹底的にしゃぶりつくされたって感じで、見てられないものがありました。


(管理人ヤマ)
 コミだろうがなんだろうが、マスになると人間ろくでもなくなりますからね〜。


(TAOさん)
 その直前に撮った例の写真集にしても、表情が硬いんですよ。それ以前に出していた水着中心の写真集はとてもイキイキしてよかったのに。


(管理人ヤマ)
 「さんたふぇ」だっけ? 僕はきちんと観てないなー。週刊誌か何かに載った部分をチラチラっと観ただけ。TAOさん、昔から隅に置けないですなー(笑)。
編集採録 by ヤマ

掲示板『間借り人の部屋に、ようこそ』過去ログより



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