『コタンの口笛』('59)
監督 成瀬巳喜男


 僕はビデオで映画を観る習慣がないから、過去の作品は再映されることがない限り、滅多に観ることがないのだが、そのせいで成瀬監督の映画をほとんど観たことがない。 '67年の『乱れ雲』が遺作というから、僕が九歳のときのことだ。記憶にある限りでは、最初にスクリーンで鑑賞したのは '88年に観た『浮雲』('55) だと思う。非常に強烈な印象を残していて、腐れ縁的に落ち込んでいく投げやり感覚に凄みを感じたものだった。縁あって、四年前に『女の中にいる他人』('66)を自分たちで上映し、その少し後に『山の音』('54) をビデオで観たが、今までに少なからぬ数の映画を観てきているなかでも、成瀬作品となると、わずかにこの三作とは我ながら呆れるばかりだ。なかなか上映される機会がないということなのだろう。

 そういうわけで日本の映画監督のなかでも、取り分けその作品を観る機会を得たいと願っていたものだから、楽しみに会場に馳せ参じたのだが、フィルムの保存状態が悪く色が抜け落ちて赤茶けた残念なものだった。ほとんどモノクロ作品のように見える始末で、本来の姿とはかけ離れていた。当日配布もしていたチラシによれば「秋の訪れの早い北海道ロケでは紅葉も早く、カラー映画とて、木の葉に絵の具を塗るといった苦労もあった」と記されていた色具合など、楽しみようもなかったわけだ。

 しかし、二十世紀末になってもまだ「我が国は単一民族国家で」などと言う政治家や知識人とされる連中がいた日本で、半世紀近くも前に北海道の先住民族であるアイヌを脇役ではなく主人公にして正面から描いた映画が撮られていたのは、たいしたことだと思う。倭人の母を既に亡くし、駐留軍で働くアイヌの父との貧しい三人暮らしのなか、学校で受ける同級生たちからの差別やいじめにも屈しない健気な姉弟マサ(幸田良子)とユタカ(久保 賢)の物語なのだが、大人になると若くしても諦観と忍従に傾くアイヌの人々の姿に対し、子供たちの目を通じて敗北主義から抜け出すよう訴えている部分があって、けっこう感心した。

 けれども、劇映画としては、良心的な作品のある種の類型そのままの凡庸さを突き抜けた作品ではなく、月並みな運びと顛末が淡泊に描かれていっているような気がしてならなかった。解説のチラシにも「作品空間は北海道にまで拡がったが、東京人成瀬巳喜男にとっては異質な環境であり、虐げられた人々への共感はあっても、彼ならではの内面的な充実感は薄い」と書かれていたが、さもあらんという印象であった。姉弟の父イヨンを演じた森雅之にしても、溌剌としたアイヌ娘フエを演じた水野久美にしても、リベラルな教育者を実践しながらも自身の息子の縁談においてはアイヌへの偏見に対し立ち向かう側よりも関わりを避ける側を選ぶしかなくてイカンテ婆さん(三好栄子)に失望を与えた田沢校長を演じた志村喬にしても、子役たちに食われることのない演技と存在感を発揮していたのに、作品全体の充実度には繋がってなかった。映画というのはむずかしいものだ。噂に聞くように、女性たちのやるせない哀歓を描かないと成瀬監督は本領発揮ができないのかもしれない。映画評論家の川本三郎氏が「司葉子によれば、ある若い女優がどうしても成瀬作品に出たいと訴えたところ、成瀬は『三十歳を過ぎてからいらっしゃい』といったという」とのエピソードを紹介していたことがあるが、幸田良子の演じたマサの役処は、三十路どころか、中学三年生の少女なのだから、無理もないということだろうか。

by ヤマ

'02.10.14. 平和資料館・草の家



ご意見ご感想お待ちしています。 ― ヤマ ―

<<< インデックスへ戻る >>>