『軍隊をすてた国』
監督 山本洋子


 昨年の秋、映画完成間近を伝える新聞記事を観たとき、おそらく高知でも上映されるであろうことを予測し、楽しみにしていた作品だ。そしたら思惑とは違い、ピースウェイブの平和映画祭ではなく、それよりも一足早い時期に観ることができた。“コスタリカの民主主義フォーラムをつくる会”が主催するフォーラムのなかで高知では上映されたのだ。新聞記事にあった「憲法に焦点を当ててコスタリカを理想化するより、軍隊がないことが当たり前になった社会の現状を知りたかった」というプロデューサーの言葉や現地の人の「本当の民主主義は合衆国じゃなくてここにある。だって軍隊と民主主義は矛盾するじゃないか」との、この映画のアシスタントディレクターの印象に残ったという言葉、さらには、「犯罪も増えているし、学級崩壊もある普通の国です。違いは、紛争を暴力ではなく話し合いで解決する民主主義が彼らの誇りとなっていること」という彼自身の言葉。加えて、大統領候補を決める予備選挙で投票行動を促す活動に子供たちが参加していたり、生徒会役員選挙でも“政党”を作って選挙活動をさせる仕組みがあって、早くから政治への関心を知識ではなく体験として植え付ける教育がされていることなどが報じられていて、大いに興味を覚えたのだった。
 不正選挙をきっかけに勃発したという内戦を終結させて常備軍を廃止する憲法を制定し、半世紀以上になるとのことだ。'83 年に“永世非武装中立”を宣言し、'87 年には当時の大統領がノーベル平和賞を受賞しているらしい。政情不安定な中米域にあって、驚嘆すべきことながら、それゆえにこそ非武装中立宣言が迫力をも持つのであろう。数十回もの憲法改正を経ながらも、常備軍廃止条項には手をつけていないところに定着と国民の強い支持を感じる。軍隊を持たぬが故に国家予算の60%を福祉、医療、教育に充てることで中米一の識字率、平均寿命、国民総生産を達成しているらしいが、そのことへの積極的な評価もまた、政情不安定な中米域なればこそ、国民に浸透しているのだろう。
 それらのことは、概ね映画に写し取られていたのは確かだ。だが、映画を観終えたときには思ったほどのインパクトが感じられなかった。プロデューサーの言葉にもあるように、仰々しく持ち上げるのではなく、当たり前のこととして淡々と描きたいという思いが作り手にはあったのだろう。けれども、声高に描いてしまうということを警戒したせいか、編集に際して現地の人の声は率直なものほど削り取られたのかもしれないと思った。AD氏の言葉として記事で報じられていた“庶民の誇り”の部分がもっと生き生きと伝わってきてもよかったのではないかという気がする。新聞記事にあった、“平和憲法をもつ軍隊のない国”にあこがれたが、現地に行って、次第に“人間”に魅せられたという山本監督の実感が、充分に宿っていたようには思えない。また、冒頭に始まって折々に登場する、日本人とおぼしき若い女性の踊りがドキュメンタリー映画として何を意味しているのかが、妙に腑に落ちなかった。
 映画を観終えてから、会場で渡された資料を読んで、それが「'95 年の少女暴行事件を機に開かれた県民総決起大会で、基地のない沖縄を訴えた当時の高校生、仲村清子さんだ」と知った。この映画の企画者でもある作家の早乙女勝元氏が山本監督に課した唯一の条件として、彼女の出演があったようだ。なるほど、氏は沖縄の米軍基地問題に強い関心を持っているだろうし、軍隊の問題が最も先鋭的な形で顕在化しているという点で、日本では沖縄にまさるところはあるまい。しかし、このこだわりが結果的には映画にとって意味のあるものとして宿らずに、むしろドキュメンタリー映画としての力を奪っていたように思う。しかも、琉球舞踊の踊り手である彼女に琉球舞踊を踊らせずに、新たに創作したというコンテンポラリー・ダンスを踊らせ、冒頭やラストに使っているものだから、腑に落ちないわりに強調された形になっている。企画者からの注文をこなしつつ、監督が避けたかったというレポーターの登場するドキュメンタリー映画にはせずに、中途半端に沖縄をほのめかさないようにも配慮したという山本監督の苦肉の策だったようだ。早乙女氏も作家なれば、そういう外部からの干渉が作品を損なうものだとは分かりそうなものなのに、いささか呆れた。氏によれば、「ほんとは私自身が、ちらとでも出たかったのだが涙を飲んだ」そうだ。いやはや何とも、である。

by ヤマ

02. 7. 6. 県民文化ホール・グリーン



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