『模倣犯』をめぐる往復書簡編集採録(その2)
多足の思考回路」:めだかさん
ヤマ(管理人)


  (ヤマ)
 【テレビ放映中のピースの自爆シーン。やっぱり最後で「やってくれたか^^;」という気分。こういう異様な浮いたシーンは入れないほうが、ずっと流れが良いのにと思ってしまう。こういう映像がここで入る理由を誰かに推論してもらえたらありがたい。単に観客に衝撃を与えるためとかいうことは本当にあるのだろうか?引っかかる。】
 原作では、自殺にはなってなかったんですか?
 これは大いに興味深いところです。

(めだか)
 自殺どころか、最後まで生きてます〜!
 拘留されながらも、自分の独白を世間に出すタイミングを図っているという人物です。極端なことを言うと、張子のトラなんです。

(ヤマ)
 森田芳光に喝采ですなー。
 映像としてのあり方については、めだかさんのおっしゃることも頷けるところがありますが、僕はここに、あらかじめ予定されていた計画どおりのライブ自殺であることの意味を感じていました。たいした推論ではありませんが、以下に綴ってみたいと思います。
 日誌にも綴りましたが、少なくとも、ピースのキャラは、「模倣犯」という言葉に刺激をされて馬脚を現してしまうような、御粗末なものであってはいけないのです。あくまでも確信犯として計画どおりに全てを実行しなくては。それでいて、わずかなブレとして「模倣犯」という言葉に過剰反応してしまうような、自意識の強さが必要なんです。
 あらかじめピース自身の計画によって公開自殺が予定されていたとなると、自ら犯人であることを名乗り出すことも織り込み済みのことになりますよね。そうでないといけないと思うんですよ。
 ただわずかに名乗るタイミングが、「模倣犯」という言葉に刺激されたことによって、ほんの少しだけ狂ってしまった。彼ほどのクールな確信犯においても、わずかに狂わせるものとして自意識というものが作用したと同時に、彼自身の計画は、それによって予定外の狂いを生じるほどに影響されてはいけないということです。
 あそこで自死が決行されなければ、どうしたって「模倣犯」という言葉に刺激されて、思わず自分のオリジナルだと言わずにいられなくて犯人であることをばらしてしまったような印象を残すと思いませんか。
 作品タイトルでもあるし、あの「模倣犯」というキーワードの場面を外すわけにはいかない一方で、映画でのピースの人物造形という点では、それが致命傷みたいなことになってはいけないなかでのことだというふうに、僕は受け取りました。

(めだか)
 ありがとうございます。大変、納得です。
 ピースの自殺シーンの映像は、計画的な自殺であるという表現でした。

(ヤマ)
 そうだと僕は思ってます。あんなんで客を驚かすものでもないでしょう(笑)。

(めだか)
 客観的に見れば、やはりそうとしか見えないですよね。それを認められなかったのは、いかに私が被害者よりに見ていたかという証明みたいなものです。

(ヤマ)
 そして、ライブ殺人に続くライブ自殺ってことです。爆破の必要はないのかもしれませんが、死体も残さず消えるイメージが欲しかったんでしょうね。
 バーチャルという問題意識のなかでのことですから、物体として存在するしないってとこ、わりと大きいですよね。

(めだか)
 それを、私は否定したかったのだと思います。だから、ピースの首が笑いながら消えていくように見えたあのデジタル映像に拒絶反応を起こしたのでしょう。
 あれは計画的なものではない。追い詰められて自殺を選んだのに、何ゆえに覚悟を決めていたような死に様を生中継のテレビ放映に流すシーンを入れるのだろう、と。

(ヤマ)
 原作から自由に離れてはいなかったということのみならず、やはり自然な道徳観なり人間観からすれば、否定したくなるほうがまともだという気がしますよ(忸怩)。

(めだか)
 私は、私的感情から、犯罪加害者が自ら死に方を選びそれを誇示するということが、許せなかったのだと思います。ヤマ様の推論をお聞きすることで、私があの映像を受け入れられなかった理由が理解できました(^^)。

(ヤマ)
 それは、とても嬉しいですね。もやもやしていたものが自分のなかでスッキリしてくるときって、とてもいいものですよね。それにお役に立てたのなら、望外の喜びです。

(めだか)
 ありがとうございます。映画の筋にかかわりの無い、感情的なもので納得できないというのは、後々こだわってしまうんですよ。下手をすると、その映画が嫌いになりかねない。スッキリしました(^^)。

(ヤマ)
 【アナログVSデジタルという構図があったのだとしたら、ピースの自爆にはデジタルの敗北という形があったかな?と思う。】
 こういう観方もありかなとは思いますね。
 でも、僕は、ピースを敗北者にはしたくない作り手の意思があったように思うんですよね。

(めだか)
 これが、私にとってはピースの自殺という行為が謎な点でした。
 そんなに短絡的に、デジタルVSアナログという構図に勝敗をつけるだろうか?というのが疑問で。ゼロサムじゃないんだから、ここでアナログに勝利の旗を揚げるのは、あまりに・・・制作側の懐古主義ですよね。いくらなんでも、そんな単純な(汗)と、メモはしましたが、自分でも納得はできなかった部分なのです。

(ヤマ)
 そうですよね。だから、ありとは思っても、僕は採ってません(笑)。

(めだか)
 私は、誰かに明解にそんな短絡的なものじゃないと否定して欲しかったのかも(笑)。

(ヤマ)
 これについては、有馬に託したもう一つの実験により、言うなれば彼との共同作業によって、大袈裟に言えば人間とは何物であるのかを試してみたいという、人間存在への問いかけをピースは果たそうとしたんだと思います。それを自分の計画どおり推し進めるために自らの命を絶ったのであり、有馬への挑戦であると同時に、期待でもあるわけです。

(めだか)
 私にはまだそこまでピースを高見に上げることができずにいます。

(ヤマ)
 人間としては、高みに置ける人物ではありませんよ。この部分における執着は、高みと言うよりも過剰な自意識の延長ではないでしょうか。

(めだか)
 しかし、そこまで揺るがないというのが、やはり常人の上を行っていますね。ある意味、私も惹かれます。

(ヤマ)
 こういう人物造形って、けっこう難しいと思うんですよ。

(めだか)
 けれども、おそらくこれは、私の願望を譲れずにいるからでしょう(笑)。私は、浩美の件にしろ、ピースに情を見たのではなく、情を見たいと願っているのだと思います。

(ヤマ)
 僕は、こういうふうな気持ちや願いを譲れない方のほうが好きですね。自分は、縷々述べてきたような観方をしておりますが、人としては、自分のような観方をする人より、めだかさんのような感想を持つ方のほうが好きです。「僕は原作を未読ですが、そういう意味では、映画におけるピースの人物像にかなり惹きつけられました。ちょっとヘンだったかもしれませんね。」というのは、偽らざる思いでもあるわけです(苦笑)。

(めだか)
 こういう犯罪者を自分と同列に見たくない(正しくは、これは見下したいという感情でしょうか)と言いつつ、実はその裏で、その感情が自分の理解できる範囲や意思を通じ合える範疇にあって欲しいと願っているのです。矛盾をしていますが、人で無いものから災害を与えられても、被害を受けた気持ちの行き場はないのです。その辛い気持ちをぶつけようにも、相手が同じ人でなければ受け取ってもらうことを望むことすらできません。

(ヤマ)
 【このようにいろいろ原作との違いはあるが、この映画、何が最も違うかっていうと、実は犯人の人物像だと私は思う。全然、違う。もしかしたら、原作を知っているいないに関わらず、ここが映画を見た人が一番納得し難いところかもしれない。】
 僕は原作を未読ですが、そういう意味では、映画におけるピースの人物像にかなり惹きつけられました。ちょっとヘンだったかもしれませんね。

(めだか)
 原作のピースは、読者が一面、気分の晴れる結末を迎えていますから(笑)。拘留された張子のトラという、読者がピースを見下せる余地を残しています。
 しかし、映画のピースのように、犯罪を起こしたのが中味の詰まった本物のトラであるとなると、例え死んだとしても、餌となる大衆としてはあまり気分の良いものではないのでは?という気がしました(笑)。スッキリしないでしょうね。

(ヤマ)
 でも、そこのところの構図が見えてきたことでは、スッキリされたんでしょう?(笑)御自身のもやもやが晴れてきたという点で(あは)。

(めだか)
 はい。ヤマ様のおかげです。自分の拘りを少しでも客観的に分析するには、外からの別の視点が不可欠ですから。
 大変、参考になりました。

(ヤマ)
 【いきなり網川の子どもが出てきたことにもビックリだが、この遺書の内容って^^;。このさい、体に爆薬を仕込んでテレビ局の生番組に出る奴がいるか?とか、形も残さず黒い灰になるような爆薬って?;とか、遺言だからといって子どもを公園の花壇に置きっ放しにする遺言執行人がいるか?とか、犯罪者とこの時点で分かっているピース関係者のいったい誰が遺言執行人だったんだ?(引っかかりまくり)とかいうのは置いておく。】
 遺書の内容には僕は納得しているので(つまり、それは、あり得たかもしれないもう一つのピースの人生を実証してほしいってことですよね。)、それは除きますが、それ以外のめだかさんのおっしゃる引っかかりは、全ておっしゃるとおりだという気がします。
 しかし、僕には、それだけの「?」を補って余りあるラストだったんですね。そのメッセージを受け止めた有馬の表情というものを、山崎努は見事に演じていたように僕は思いました。

(めだか)
 先にあげてる二つは単なる突込みです(笑)。実は私も効果として別に引っかかってはいないのです。本当に掛かっているのは後の二つです。
 @遺言だからといって子どもを公園の花壇に置きっ放しにする遺言執行人がいるか?とか、
 A犯罪者とこの時点で分かっているピース関係者のいったい誰が遺言執行人だったんだ?
 ヤマ様は気になりませんか? いきなり最後のこの部分になって、登場してきた人物が。

(ヤマ)
 あまり気にもしていませんでしたが、めだかさんに水を向けられて、ちょっとその気になってきました(笑)。

(めだか)
 表には出てきませんが、これって確かに、もうひとりピースの側にいるということなんですよね。しかも、深読みするならば、「義男は遺言を読んだら確かに子どもを捜しに来る」と信頼している人物かもしれません。

(ヤマ)
 コワイ推論ですねー、真一ですか? ふーむ。

(めだか)
 いえ、まさか。そこまでは考えていませんでしたけれど(笑)。

(ヤマ)
 僕は、単に金で頼まれていた人物というふうに考えてました。それでも、赤ん坊を置き去りにするのは、どーもなーってとこありますが。

(めだか)
 ・・・と、考えることができる作りにされているのではないか?と。  きっと森田監督の罠ですね(笑)。

(ヤマ)
 いろいろ想像させるって、いいですよね。

(めだか)
 でもね、赤ん坊を世話するって大変なんですよ〜。情が移るかもしれませんしね。

(ヤマ)
 僕も一応、三人の子持ちですからね(笑)。知らないわけではありませんよ、母親ほどではないにしても(笑)。

(めだか)
 ピースの自爆からかなり期間が開いてましたし、ピースになんらかの思い入れのある人物かな?と想像してみたのです。 うーん^^;罠に嵌っていますね(笑)。

(ヤマ)
 そこがいいじゃありませんか(笑)。

 【この映画が観客にアピールしない(実際、不評が多いからね^^;)最大の原因は、犯人を情のある人間にしたことではないかと思う。】
 ここは僕が映画のピースから受け取った人物像と対照的ですね。

(めだか)
 そうですね。
 私はどちらと見ても、映画独自の意匠として面白いんじゃないかな?と思ってます(^^)。

(ヤマ)
 同感です。

(めだか)
 どっちも、あまり一般にアピールしないかも…とも思ってますが^^;

(ヤマ)
 確かに。

 【この犯人にいきなり人間らしい情を見せられて、それで共感できる人はいるだろうか?】
 これを僕は情とは受け取っていなかったのですが、共感ということで言えば、ある種の共感を覚えました。

 【ここでピースに共感できて同情できるなら、それまで彼がしてきた罪が猟奇でも異常心理でもなくなる。普通の人間が追い詰められて行ってきた犯罪ということだ。】
 そうです。そこが人間という存在の持つ恐ろしさだろうと僕は思います。

 【この映画では、ピースは憎むべき加害者ではなくて、社会の被害者だと言いたいのだろうか? この最後の逆転に観客はついていけるだろうか。】
 被害者だと積極的には主張していないと思います。被害者とか加害者とかいう話ではない視点に立っているような気がしました。それが是認されるべきことか否かは、道徳観や人間観の違いによるとは思いますが。

 【残虐な犯罪を連続して行うような人間、それで世間をかき回して楽しんでいるような人間を自分と同列に見るのは辛い。自分とは無縁な、理解不能な異質な存在だと切り捨てたい気持ちがある。こんなことをする奴に感情移入なんてしたくない。悪い奴は徹底的に悪い奴で、そいつが失敗して叩かれて裁かれるのを拍手喝采したい。ざまあみろと言いたい。】
 おっしゃるとおりです。でも、人間とは、そういうものではない気がします。
 戦時中の残虐行為に手を染めることのできた人間が、みんな特別の人ではないでしょう。また、戦後生き延びてから後、みんなが平時の日常生活に馴染めなかったわけでもありません。むしろ、多くの人が、二つの世界の人格を営むことができたのでしょう。人によって、その痕跡の持ちようは違っていたでしょうが。そして、それは日本人に限った話では無論ありませんよね。

(めだか)
 そのとおりです。多分、同質なのでしょう。というか、私は自分とそれほどに違ったものであって欲しくないと願っています。

(ヤマ)
 このあたりが、めだかさんのお人柄ですね。いいお母さんなんだろうなー。

(めだか)
 自分と同質かもしれないということは誰もが理性では分かる、けれども、実感情では割り切れないことが多いのも確かです。ですから、この映画はまず感情から入ると、最後は不快になるのではないかと思いました。映画は被害者側の描写から入りましたから、当然、感情から入っている観客が多いことでしょう。

(ヤマ)
 これが実は最も妥当な立ち位置でしょうね。観客は、映画のピースのように感情との訣別を選択してませんものね。

(めだか)
 いや、それはあくまで私がということですから^^;
 でも、あまり不評が多いのはそういうことなのかな?と想像してみました。

(ヤマ)
 きっとそうだろうと思います。

 【そういう気持ちはないか? 私はある。だから、この最後はとても納得し難い。不快になる。】
 不快になるのは、むしろ無意識のうちにそういうことに、お気づきになっているからではないでしょうか。イタイところを刺激されると、思わず人は顔を背けたくなりますから。

(めだか)
 無意識の”嘘”ですね、自分を正当化するための。その”嘘”を突かれて、更に嘘をつくために過剰に反応を返す。

(ヤマ)
 これはなかなかご辛辣な自己批判ですね。恐れ入りました(深々)。

(めだか)
 おそらく冷静で客観的な状況ならば誰でも持ちうる見解ではないでしょうか。映画ならば比較的持ちやすいはずだと思います。

(ヤマ)
 ヘンな観方ではないとのご支持をいただき感謝です。だからこそ、ご納得いただけたということでしょうか。

(めだか)
 映画ならできるはずなのに、できてないから私は悩むんですねえ(笑)。

(ヤマ)
 アップしてある僕の日誌には、どういう反応があるんでしょうね(笑)。

(めだか)
 しかし、主観や感情が入ると、立場が傾く。”嘘”も入り易くなる。そこが感想の面白いところの一部だと思いますが(笑)。

(ヤマ)
 もちろんそうです。

(めだか)
 あら、これも自己弁護です。でも、ヤマ様に同意して戴けるのなら大手を振ってしまおうかしら(笑)。ですから、私の他の方の主観的視点から考察した『模倣犯』感想が私は読みたかったのです(^^)。

(ヤマ)
 自分以外の方の感想を求める動機は、僕も全く同じですね。だからこそ、共鳴できる感想でも、逆の感想でも、興味を覚えるわけです。このあたりは、めだかさんとおんなじですね。

 【しかし、だからといって、この映画の最後を否定するつもりはない。なぜなら、この最後は原作とは違った未来に向いているから。それはずっと明るい未来かもしれない。】
 そうなんです。おっそろしく不愉快な作品でありながら、この映画にある種の希望を感じるのは、まさしくそこのところだろうという気がします。

 【ピースは最後に、次の世代を加害者にしないための方法を探る道を見つけて欲しいと義男に託す。】
 僕は、上にも書いたように、同時にそれは、もうひとつの、あり得たかも知れないピースの人生の証明でもあると解しています。人は、生まれに決定づけられているわけではないことの証明ということです。

(めだか)
 実際、ヤマ様はどう思われますか?
 あの子どもはピースの子供か、実はピースとは赤の他人か。

(ヤマ)
 映画のピースが命を絶って有馬に託したもう一つの実験にまでフェイクがあるとは思えません。それだと、そもそも、もう一つの実験たり得なくなってしまいます。

(めだか)
 ああ、そうか。生まれが違っては条件が整いませんね。

(ヤマ)
 他の“犯罪者の子供”程度では、やはりダメなんですよ。悪の申し子として生きた人間の子供じゃないと、ね。そして、それ以上に、感情との訣別を果たして生きることのできた人間の子供でないとね。

(めだか)
 人の人生は生まれか、環境か。普通に考えれば、両方ですよね(笑)。

(ヤマ)
 そうですね。でも、僕は要素的には後天的なもののほうが多いと思います。ただ決定的な度合いというのは、先天的な部分でしょうね。後からの変更がきかないって意味で。

 【加害者と被害者の遺族に通じる対話をさせたことと、遺族に先へ進む未来の目的を残したことは、甘い現実味の無いことかもしれない。けれども、最も望まれていることではないだろうか。】
 この視点は僕にはありませんでしたが、なるほど大事なことですね。もぬけの殻にされることくらいツライものはありませんから。

(めだか)
 原作では、通じないんです。義男の言葉はピースには届かない。これは何よりも虚しいです。感情が宙に浮いて行き所がなくなる。

(ヤマ)
 ここも改変してるんですよね。

(めだか)
 できることはその感情を忘れることだけですが、義男にはその時間がもうない。義男こそ、自殺を選んでもおかしくないくらいの絶望だと思います。

(ヤマ)
 感情との訣別は、むしろ義男の側に求められてしまうものとして原作では描かれていたんですね。森田芳光が積極的にピースを感情との訣別を果たした人物として描こうという動機を得たのは、ひょっとしたら、このあたりの部分で原作に触発されたのではないかという気がしてきました。

(めだか)
 なるほど。
 けれども映画では、ピースの人物像がどうあれ、確かに二人は話し合っています。ベンチで二人で腰を下ろして、義男は「犯人と話がしたい」と言い、死後にピースは義男に遺言を送っている。
 この対話が成り立っている部分に、個人的な好みですが、私は明るいものを感じます。

(ヤマ)
 僕もこの部分を甘いとか辛いとかいう突き放した視線ではみたくありませんね。

 【映画のラストは犯罪被害者の遺族への慰めになるだろうか?。私には分からない。】
 これは、僕にも全くわかりませんね、幸いなことに。

(めだか)
 それにしても、ヤマ様と『模倣犯』についてお話できるとは思っておりませんでした(笑)。というのは、これってタレント俳優を使っているじゃないですか。前評判も芳しくありませんでしたし、テレビでCMされていて混みそうだし、あまりヤマ様の好みの映画とは思えなくて(笑)。  私は、この映画は全く行く気がなかったところを、偶然見ることになったものです。見てみたら意外に面白かったし、私の興味を駆り立てられる作品でした。傑作とまでは言いませんが、よくできてると思ったんですけれど・・・世間は不評でしたね^^;

(ヤマ)
 いや、こちらこそ、楽しんでおりますよ(笑)。

(めだか)
 と、言った口の端が乾かぬ先にまた、ヤマ様の日誌に思うことも後でメールさせていただきますが、どうぞお許しくださいませ。(でも、ほとんど、こちらのメールの内容と重なっていますね^^;)

(ヤマ)
 それはそれとして、また楽しみにしております。
 自分の日誌にも感想やコメントをいただけるのは格別に嬉しいことです。

(めだか)
 では、こちらで続けます(^^)
 【上下二巻にわたる長大な小説を二時間の映画にしているのだから、丹念なストーリーテリングは期待できない分、情緒障害社会ともいうべき現代を描くのみならず、人間とは何物なるものかというところにまで迫る面白さを際立たせた、上首尾のエンターテイメントになっているという気がした。】
 なんとなく覗えながらも形にならない想いを、こうして明確に言葉にして下さる方がいるというのは本当に嬉しいものですね(^^)。今回、実感です。

(ヤマ)
 ありがとうございます。

(めだか)
 【ピースの語りの言葉は、総てが騙りや口実ではなく、彼自身の憧れや切望でもあることに、観る側が何らかのリアリティを感じ取れないと、この作品は不快な印象だけに終わってしまうのかもしれない。】
 ピースの話し方は芝居じみていましたが、それがタレント俳優としての未熟さのためではなく、それ自体が映画の一部であると偏見のない眼で見れなくては、台詞に込められた意味も掴むことができませんね。改めて、ヤマ様の日誌を読んで納得です。

 【同様の意図でもって、浩美もまた中学時代には、高井和明をイジメから守った勇敢な正義漢であったという設定になっていたのだろうと思う。】
 そうですね。そういえば、ここも原作には全くない部分だったのでした。こういう過去があることを知ると、観客も浩美を完全に嫌うことができませんね。

(ヤマ)
 逆に人間自体の危うさとかコワサとかに繋がるわけですよね。

(めだか)
 こういう過去を持つ人物には、私は凶悪犯でも更正の余地を探してしまいそうです。最初は、絶対近付きたくない男!と嫌っていたんですが(笑)。だから、余計にピースを制止したシーンが好きなんでしょう。

 【真一が、「もう終わらせてほしいんだ」と悲痛な声をあげて泣く姿を受け止めるばかりか、真一に対して詫びの言葉を発する器の大きさが、観ている者の胸を打つ。自分では試しようのなかったもうひとつの実験を、ピースさえもが託すに足る人物だと見て選んだことが、観ていて納得できるような人物像だ。】
 私もこのシーンには人間の大きさを感じさせられました。素直に見たいシーンです。

(ヤマ)
 そうでしたよねー(しみじみ)。

(めだか)
 【作品のタイトルでもある「模倣犯」というキーワードからすれば、その言葉が繰り出される場面では、ピースの自意識の過剰さが強調され過ぎるような演出が施されかねないところだが、】
 それまでネットの画面などで「模倣犯」という言葉がよく出てくるわりには、ストーリー上は前畑滋子との対決でしかこの言葉は出てこないんですよね。映画の話だと、この言葉はどういう意味を持つんでしょう。タイトルにするほどの関連性はないように思えます。

(ヤマ)
 僕もそう思いますよ。

(めだか)
 でも、このタイトルが客寄せのひとつだから仕方がなのかしら? だとしたら、制作上はひとつの規制枠になっていたかもしれません。

(ヤマ)
 きっとそうだと思いますよ。そこから始まったはずの企画でしょうし、タイトル変えるわけにはいかない。となれば、あのシーンを外すわけにもいかない。しかし、森田監督にはピース VS 前畑滋子の構図はなかったと思うんですよね。そこにこだわって観るとあの映画は、どうにも中途半端に見えちゃうでしょうね。

(めだか)
 この言葉に拘ったから余計に混乱。

(ヤマ)
 そういうことになって来ちゃいますよね(笑)。

(めだか)
 【ピースの壮大にして恐ろしい実験が単なる猟奇犯罪の口実に落ちぶれずにも済むのだから、演出的には非常に重要な場面だったという気がするのだ。】
 最初から猟奇犯罪の話という枠を嵌めて見ると、この視点は出てきませんね。大変、刺激になるヤマ様の視点でした(^^)。

(ヤマ)
ありがとうございます。

(めだか)
 【かねがね思っていることではあるが、高度情報処理社会というのは、情緒や感情体験に対してさえも、自身にまつわる情報処理として冷静に機械的に、価値観や美意識や倫理感といったものを伴わない形で、自ら設定した目的に対して合理的かつ効率的に対処できる人間を生み出すスキルと環境を準備している社会なのではないかという気がする。】
 「模倣犯」の話ではありませんが、そういえば、このご意見を読んで「ファイナルファンタジー」のことを思い出しました。感想しようと思いながら、結局、この映画そのものに思い入れはなく映画感想まで行き着けませんでしたので、立ち消えになっていた考えがあります。
 あの映画はデジタル画像の可能性を見せてくれた一方で、私はとても怖く感じました。それで、以前、日記に「どこまでできるかという試みとしては評価するが、映画としての意味はあまりないように感じる」と綴ったことがあるのです。

(ヤマ)
 僕は、その映画を観てないんですよ(残念)。

(めだか)
 私が感じたのは、人の感情すらも、デジタルな情報処理に置き換えられることへの恐怖でした。人の感情は顔の表情、しぐさ、声の調子など様々なデータに置き換えられるでしょうし、それを読み取ることを生業にしている人もいます。例えば占い師とか。(すみません^^;神秘の力といった類は一切信じていないもので、こう考えてます)
 笑顔ひとつにも、裏の感情、その人の骨格、肉付き、感受性、環境、様々な要因があり、似て非なるものだと思います。しかし、人がゼロからそれを画像に描き出して提供する場合は、明確な形にするためのパターン化が必要になることでしょう。実際、表情を見る側は自分のそれまでの経験から作り出したデータベースの分類に当て嵌めて、近似値の印象を持つわけですが、見る側がパターンを割り出すのと、作り手が予めパターン化されたそれを提供するのとは大きく違います。

(ヤマ)
 この読み取ることと一から作り上げてしまうことの違いというのは、凄く大切なことのような気がしますね。読み取りというアナログのなかでは、形にならない形とか無意識という形で切り捨てずに受け込んでいるはずのものが、作り上げるときには、無意識の部分を意識化できないゆえに切り捨てざるを得なくなりますものね。

(めだか)
 作り手が用意するものは、より表現し易い、分かり易い、合理的なものへと変化していく可能性が高いでしょう。

(ヤマ)
 そういうことですね。それがデジタル化ということだろうと思います。

(めだか)
 その分かりやすいパターンを見る側は受け入れ続けるしかないとしたら、見る側のデータベースの容量を狭めることになるのではないか?と危機感を感じたのです。

(ヤマ)
 これは実に的を射たご見解です。複雑な表情というのが、たとえば、悲喜こもごもで複雑だったとして、悲喜+こもごもを抜きに「複雑な表情」としてパターン化されちゃうってこと、大いにありそうですよね。

(めだか)
 デジタルで作り出した感情や動作というのは、提供しているのは、あくまで作り手の定めた簡略したパターンであり、受け手はそれを拒否したり、自身のパターンを作り出す余地を持てない可能性がある。そう考えていました。実はアニメにも時々頭を過ぎることでしたが、「ファイナルファンタジー」ほど切実には思いませんでした。
 今回、ヤマ様の日誌を読んで、そんなことを考えたことを思い出しました。今後のCG画像への疑問と考えて何かにメモをしておこうと思いながら、うっかり忘れるところでした。思い出させて下さって感謝します(^^)

(ヤマ)
 こんな効用まであったとしたら、それこそ望外の喜びですよ。

(めだか)
 ヤマ様が私に下さったものに比べて、たいしたコメントではなくて申し訳ありません。

(ヤマ)
 とんでもありません。きちんと分けてお返しくださり恐縮です。

(めだか)
 だって、ほとんど、これまでのメールで出てしまっているので、ということでお許しくださいませ。

(ヤマ)
 お許しも何も実際のところ、そうなんですもの(笑)。

(めだか)
 こうして、映画によっては、真剣に考えることが私はとても楽しいです。考察結果の正誤ではなく、こういう楽しみ方もありますよね(笑)

(ヤマ)
 もちろんです。僕も大いに楽しませていただきました。

by ヤマ

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