『GO』を読んで
金城一紀 著<講談社 単行本>


 映画化作品を観たのは、十五年近く前になるけど、いまだによく覚えている場面があって、そのほとんどは原作にもあって、拳を握って伸ばした小学四年のときに言った台詞は「だせぇ!」ではなく「ジジくせえ」(P59)だったけれども間違いなくあって、桜井(柴咲コウ)とのホテルでの顛末が映画でも正一(細山田隆人)の告別式の日だったかどうかは覚えていないけれども、俺ならなんにも言わずにやっちゃうけどな、やったあとに考えるけどな、おまえ偉いな、よくこらえたな(P190)と言う若い警官(萩原聖人)も、本当にいいものを見せてもらったんで……。(P218)と言って、どうしても料金を受け取ろうとしなかったタクシーの運ちゃん(大杉漣)も出てき、オヤジ(山崎努)がへへへ、バツがつかなくて済んだぞ。感謝しろよ(P209)と言った警察でのぶん殴り場面もあったが、映画化作品で僕が最も痺れた“高座の落語を聴く席で覆い隠すように開いたシェークスピア全集の上に零れる杉原(窪塚洋介)の落涙による葬送のシーン”が原作になかったことに恐れ入った。遣り過ぎの目立つ宮藤官九郎の脚本と僕の相性は余りよくないのだが、本作に限っては例外だと思っていたけれども、まさか最も心動かされた場面が原作にない場面だったとは、いささか衝撃を受けた。

 今頃になって原作を読んでみる気にさせた『映画篇』には題名どおり映画作品のタイトルが数多く出てきたが、本作も負けず劣らず数多くの作品タイトルが出てきていた。『勝手にしやがれ』『エイジ・オブ・イノセンス』(P35)、『デッドゾーン』(P39)、『大人は判ってくれない』(P44)、『アルカトラズからの脱出』『ペイルライダー』『ダーティ・ハリー』(P46)、『ロッキー』(P57)、『スターウォーズ/帝国の逆襲』(P61)、『雨に唄えば』(P63)、『ドラゴン怒りの鉄拳』『カッコーの巣の上で』(P116)、『炎のランナー』『太陽がいっぱい』『ハリーの災難』『酒とバラの日々』『ワイルドバンチ』(P117)、『ゴッドファーザー3部作』(P124)。しかも、拙稿の「我が“女優銘撰”」 じゃないが、女優名を挙げるのに『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグ」「『エイジ・オブ・イノセンス』のウィノナ・ライダー(P35)と実に“正しい”挙げ方をしているところが気に入った。そして、未見作が3本あるのを残念に思った。

 全7章のなかでも最短12頁の第1章を読んで、その軽やかでニュアンス豊かな筆致に、なかなかこうは書けないと感心しきりだったが、残念なことに、朝鮮学校の後者には、「差別」という身がたっぷりのシャケが与えられてしまうのだ(P24)という形で鍛え上げられたのであろう骨太さに魅せられながら、僕自身が若い時分からよく口にもしていた何かを得るためには、何かを失くさなくちゃならない(P60)ということを改めて思った。

 そうしたなかで同じマイノリティである黒人はブルースやジャズやヒップホップやラップという文化を築けたのに、どうして≪在日≫は独自の文化を築けなかったのか(P127)と記し、一度も会うことなく死んでしまった叔父のことを考えていた。日本から北朝鮮まで、飛行機ならどれぐらいで行けるのだろう? 二時間? 三時間? 僕は同じぐらいの時間を使って、韓国には行ける。でも、北朝鮮には行けない。何がそうさせるのだ? もとを糺せば、韓国だって北朝鮮だって、ただの陸地じゃないか。何が行けなくしてるのだ? 深い海か? 高い山か? 広い空か? 人間だ。クソみたいな連中が大地の上に居座り、縄張りを主張して僕を弾き飛ばし、叔父と会えなくしたのだ。…僕は北朝鮮の大地に居座って、えばり腐ってる連中を許さないだろう、絶対に。(P207)と記している作者の他の作品をもう少し読んでみようと思った。

by ヤマ

'15. 6. 2. 講談社



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