『走れ!イチロー』
監督 大森 一樹


 原作の『走れ!タカハシ』というのは高橋慶彦のことなのだろうか、野球などあまり興味のない僕には今一つピンと来ない。だが、そんな僕でも、さすがにイチローなら知らないわけではない。でも、それだけにタカハシをイチローに置き換えて、日本人初の野手の大リーガーとして活躍華々しい人気にあやかろうという魂胆は、いささか安直で、しかも今の公開だと昨年の製作だろうから、大リーグへの移籍問題で映画出演どころではないはずのイチローがきちんと出演しているとは思えず、それを職人的な大森一樹がどんな映画にしたのだろうと興味を覚えた。
 結果的には、イチローのいたオリックスという神戸にホームスタジオを持つ球団にし、神戸に縁の深い大森監督が映画化したことによって、阪神大震災後を検証する面も備えた膨らみのある娯楽作品に仕上がっている。イチローがきちんと出演しないことで、彼や野球の存在が生活に溶け込んでいる神戸に住む人々の群像が浮かび上がってきているだけでなく、却ってイチローという野球人の存在がとんでもなく大きなものであるということを最も強い印象として残してくれるところがうまいところだ。うまいと言えば、オープニングで主要人物たちを巧みに絡ませながら漏れなく登場させ、それぞれに何らかの縁と謎を仄めかして観る側の興味を引きつけた導入の手際のよさは、なかなか見事だった。映画の進展に伴い、途中ではけっこう気にはなる、かなり安直な台詞や展開などがあるものの、結局はイチローの偉大さを讃えた映画なんだなぁという感慨を残す形になっているために、それらの難点があくまでも映画の主軸ではないように思えて許容しやすくなるところがミソだ。
 前世紀末、何とも冴えない袋小路に行き詰まった感のある日本において、作り手が新世紀に向けて希望と元気を鼓舞したいという思いを強く持っていることがかなり率直に伝わってくる。登場人物たちのほとんどは、何らかの喪失感を余儀なくされているなかでの再出発を模索している人々だ。しかし、悲壮感や暗さは微塵もない。キーワードは「疾走に足る自分の人生のダイヤモンド探し」だ。そのために確かな歩みで生きている人々の姿が実に肯定的に描かれていて、迷いや自制を後退させながらも自分を過剰に押しつけず、状況を受け入れつつ前向きに、そして適度にわがままに自分で自分にプレッシャーを掛けて生きている。その軽やかな真面目さに輝きがある。それこそが、つまりはイチロー・スタイルということなのだろう。
 深い感動を残す作品ではない。シャープな視線や問題提起を含んでいる作品でもない。あくまで力瘤の入っていない娯楽のための作品という基軸を揺るがせることなく、そこにほんのちょっぴりの何かを忍び込ませようという軽やかな真面目さを作品自体に対しても感じた。  久しぶりに存在感をもって観たように思える南野陽子の表情が魅力的で、松田龍平が『御法度』のときより生き生きしていて好感を持った。石原良純は、こういう役処がすっかり定着してきた感があるが、原作者の村上龍を偲ばせて実に似合っていた。あの美少女ピッチャーは誰だろう、『バトル・ロワイアル』で観たような気もするのだが…。
by ヤマ

'01. 5. 5. 高知東映



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