『パール・ハーバー』(Pearl Harbor)
監督 マイケル・ベイ


 深い感動を残したり問題意識を喚起するような作品ではないけれど、三時間をいささかも長いと感じさせない、まずまずの娯楽作品だ。これだけの長尺で大河ドラマを謳いながら、嫌なタイプの人物がただの一人も登場しないところに作り手の性根が窺われるように思った。戦争にまさる悪役はいないということなのかもしれない。シリアスな視線を向ければ、人格も責任能力もない戦争というものに悪役を押しつけるのはいささか問題だが、この作品は、そういう問題意識とは最初から外れたところで作られているのが明白なので、そんな議論は噛み合わない気がする。

 そのうえで敵方の日本軍に対してさえも、考証的には珍妙な描写があるものの、非常時に直面して真摯に生きた人々としての敬意を払っているように見受けられた。真珠湾攻撃を材にした娯楽大作を今にして敢えて撮るうえでは意味のあることかもしれない。真珠湾攻撃=卑劣といったものがアメリカ的固定観念であるという思い込みを多少なりとも緩和する部分があるのは、アメリカ映画の市場として日本が小さからぬ位置を占めているからかもしれないが、悪いことではないと思う。

 奇襲攻撃にかかる戦闘機から身を乗り出して、アメリカ人の子供たちに避難を呼び掛ける日本のパイロットが描かれたり、「本当に賢明なら不戦不敗を選ぶはずだ」という海軍連合艦隊指令長官山本五十六(マコ岩松)の台詞があったり、奇襲攻撃された後に受け取った日本軍の攻撃情報を伝える文書を手にしながら「あと一時間これが早ければ」と呟くハワイの司令官が描かれたうえで前もってそのくらいの時点で日本軍攻撃隊をレーダーで察知しながら、味方のB17爆撃隊の飛来と勘違いして見落としたハワイのアメリカ軍の判断ミスを描いた場面があったりしている。また、奇襲攻撃に一方的になす術もなく、闇討ち的に被害だけを被った戦闘ではなくて、応戦があり、日本機も29機撃墜されたことが描かれてもいた。

 しかし、アメリカ人の目で見直した真珠湾攻撃の真実といったことを声高に掲げた作品では毛頭ない。むしろ、それらを目くばせ程度にふまえる形にして、あくまでも娯楽映画として視聴覚的に楽しませる作品に徹しているところが作り手の真骨頂だろう。

 細部において、いかにも娯楽作品的なご都合主義の見世物的描写や展開があったりするのだが、史実ドラマとして製作されたふうでもないことが一目瞭然のような作品というなかでは、当然の許容範囲だという気がするし、その一方で、これまでの戦闘シーンではあまり目撃することのなかった場面がたくさんあって見応えがあった。それはスピルバーグ監督の『プライベート・ライアン』でも感じたことだったが、あれほどには生々しくもなく、あくまで意匠的だ。魚雷が突き進むのが海に放り出されて浮き漂う人込みのなかだったり、投下された爆弾が爆発する前の状態で艦内を突き破っていく映像だとか、海面で攻撃された兵士のなかに直接被弾せずに海中の岩礁で反射した弾で倒れるものがいるところが描かれたり、さまざまに工夫が凝らされ、意匠が尽くされていたように思う。また、奇襲攻撃に遭ってとんでもない午前に巻き込まれたのが人間だけではなかったことを特に主張したかったわけでもなかろうが、折々に姿を見せ続けた子犬の扱いなど娯楽映画のお約束事をきっちりと踏まえていて好もしい。

 ドラマの軸となっているレイフ(ベン・アフレック)、ダニー(ジョシュ・ハートネット)、イヴリン(ケイト・ベッキンセール)の定番トライアングルには何ら新味はないものの、ある意味で娯楽映画としての安定感をもたらしており、それぞれの俳優の個性が生きてたせいか、若者らしい命の輝きのようなものが感じられて爽やかだった。ここにおいても苦悩に満ちたリアリティなどというものに作り手がいささかの関心も持っていないことが明らかで、常に絵になる場面と展開を見世物的に繰り広げる一貫性には、ある種の清々しささえ感じる。

 しかし、日本軍を悪役にしなかったせいか、真珠湾攻撃という負け戦を描いた作品では未だに支持が得られないからか、アメリカでは興行的に失敗しているらしい。日本でも、アメリカが六十年前の日本の奇襲攻撃を映画にするということに何か挑発的なものを受け取ってか、一部には反発があるらしい。いずれにしても少々偏狭な観方だという気がしなくもない。

by ヤマ

'01. 7.20. 高知東映



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