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美術館冬の定期上映会“地中海映画祭”
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東京で昨年五月に実施された映画祭の巡回上映が、高知では五日間で18作品という形で実施された。東京で上映された作品のほぼ総てを高知でも上映したわけで、それはとてもいいことだと思うのだが、連続五日の一回上映では、全作品を鑑賞することは到底困難だ。せっかくの機会なのに、いささか残念な気がしないでもない。 地中海映画というカテゴライズの仕方というのは初めてじゃないかと思うが、ローマ帝国やらサラセン帝国の歴史を思い起こすまでもなく、ひとつの見識ではないかと期待をもって臨んだ。八年ほど前に、今回と同じく国際交流基金が提供する形で、中東映画祭が実施されたが、そのときには含まれていなかったテュニジアやモロッコといった北アフリカの国々、中東でも初めて目にするレバノンなど、これまでに一度も観る機会を得なかった国々の映画に出会えたことが嬉しい。しかも、参考上映プログラムからのセレクションである二本のドキュメンタリー作品を除いて、総てが1990年代以降に撮られた現在の作品だ。 しかし、残念ながら作品的には少々期待外れに終わった。レバノンのドゥエイリ監督の『西ベイルート』を除いて、珍しい国の映画を観せてもらったという以上には、映画としての刺激に乏しく、力不足の作品が多かったように思う。シリアやエジプト、トルコといった国の映画は、八年前の中東映画祭にもあったのだが、もっと面白かったような気がする。現地語を解するのでなければ、どうしてもプレス的な資料によって粗筋などを文章で読んで、字幕なしの映画を観て選定することになるから、セレクションの問題かなとも思ったが、とちぎ氏の話によれば、これらの国々では一番多い国でも年百本、大半は年間に数本から十数本しか自国産の映画が制作されてないとのことで、最近の新しい映画のなかからという形で敢えて選んだのであれば、仕方のないことだったのかもしれない。 中東映画祭では、中東戦争のこととともにアラブ・イスラム文化圏における女性の抑圧や虐待が強く印象に残っている。その関連では、自動車やコードレスフォンが登場し、生活が欧化され、服装も前に観たような民族衣装的な出で立ちではなくなっても、そういった問題が根深く男の側にも女の側にも残っていることを窺わせた『テュニスの女たち』が目を引いた。でも、そこに踏み込んでいるわりには、ラストの顛末ひとつ取っても問題意識の弱さが露呈していて、題材的に目を向けたという程度に留まっている。『魂のそよかぜ』は、どこかのアート系映画から拝借してきたような思わせ振りな映像のオープニングが、映像的にはそれっきりで息切れし、あとは何だか訳の判らない男と女のドラマが展開するというヘンな映画であった。『他者』のユーセフ・シャヒーン監督は、十三年前に高知映画鑑賞会でも紹介した監督だが、この作品の破天荒さにはちょっとついていけず、これを「現代版ロミオとジュリエットともいえる悲恋」などとチラシで紹介しているのには呆れた。 『女房の夫を探して』は、コメディとしてどこまでが誇張で、どこまでがありそうな生態なのか、かの地の文化に不明のままで判然とせず、どう受け取っていいのかちょっと戸惑ったし、『エル・マディナ』は、作り手の意欲が少々空回りしている気がした。 そんななかで一段抜けていたのは『西ベイルート』だと思う。内戦や抗争が半ば日常として繰り返されている地にあって生きている人々の生活を悲壮感とは異なる筆致で描いて秀逸であった。このくらいの作品であれば文句はないのだが、これはレバノンのなかだけでできた作品ではないようだ。 参照サイト:「高知県立美術館公式サイト」より http://www2.net-kochi.gr.jp/~kenbunka/museum/chichukai/chichukai2.htm | ||||||||||||||||||||
by ヤマ '01. 2. 8.〜 2.12. 県立美術館ホール | ||||||||||||||||||||
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