『ブラッドシンプル/ザ・スリラー』(Blood Simple/the thriller)


   映画を観終わったその足で男女二人の友人と検討茶話会。誰がどの時点で何を考えて行動し、いかなる事実を知っていたのか。そして、あれは誰の仕業だったのか。今し方観たばかりなのに、台詞で説明せずに映像で語る作品だから、記憶や見落としと格闘しながら、三人寄らば文殊の知恵とばかりに語り合う楽しいひととき。十年ほど前に小さな連載稿に綴った一日の疲れの溜った深夜に、ビデオでぽつねんと独り観るのではなく、気の置けない友とゆったりした時間のなかで光の魔術を共に感じ、ホールを出た後、一杯の珈琲を味わいながら語り合う楽しさは、身近でありながら、本当の意味での心の贅沢さを感じさせてくれるという一文を思い出すひとときにふさわしい作品だった。

 一番問題になったのが、誰がいつ金庫の金を盗んだか、であった。僕はマーティ(ダン・ヘダヤ)を殺した悪徳私立探偵(M.エメット・ウォルシュ)が、マーティにアリバイ作りのためと称して遠方へ泊まり掛けで魚釣りに出掛けさせた間に盗ったのだと思っていたのだが、アビー(フランシス・マクドーマンド) が金庫のダイアルを回したときに壊れていなかった金庫が後にはハンマーで壊されていたから、そのときだと思うよと言われ、うろたえた。確かにタオルでくるんだハンマーはあったよなぁ。でも、それなら探偵の殺人動機は何? すると、もう一人の友人が、探偵はライターへのこだわり方一つとっても、かなりファナティックな人物だから、マーティが自分を見下しているようで気に入らないということだけでも充分殺人動機になると思うね、ときたから、ますます分が悪い。そして、そこで登場したのがアビー悪女説。マーティも油断ならない女だから気をつけろよとかレイに言ってたし、あの一件以降、俄然レイ(ジョン・ゲッツ) に冷たくなった態度の変化も怪しいとの駄目押しが出た。なるほどぉ、それは鋭いとの賛意に対し、そりゃあ寝盗られ亭主が間男に向かって口にする決まり文句のようなものにすぎないんじゃないのとか、レイの一夜明けての様子の変わりようには、思い当たることがなかったアビーには怖くて不気味な変化と映ったはずだから、恐れて態度が変わるのも無理ないんじゃないかとか言って抵抗していたけれど、遂に二対一の様相を呈してきた。う~ん、もう一度見直して確かめてみたいなぁということで意見は一致し、台詞で説明しない映画だからこそ、アフタームービーがこれだけ楽しめるんだよねと締めくくられての散会となった。

 帰宅後、いつものように、日誌を綴るために一人静かに思い返してみる。アビーが金庫のダイアルを回したときに弾痕のような穴が開いていたことは、茶話会の時にも主張したが、ハンマーの前には力を持ち得なかった。マーティが留守電を入れて盗まれたと言ってるのだから、生前じゃないのかとも言ったが、金庫の金ではなくてレジのほうだったんではと返された。しかし、一人静かに思い返しているうちに重大な映像が蘇ってきた。アビーの銃に、初め弾は三発しか入ってないことが大きく映し出されていたことを思い出した。

 バーに忍び込んだレイが、悪徳探偵にアビーの銃で撃たれたマーティと出会ったとき、何故だか判らない暴発で銃弾が手元の木を掠めたけれども、あれは何だったのかということは、茶話会のときには話題にしなかった。だけど、何故そんな場面が必要なのか腑に落ちなくて、ずっと引っ掛かっていた。実は、あれは暴発弾が三発目の弾だったことを示すために必要だったのだ。

 マーティは探偵に至近距離から一発撃たれただけだった。暴発弾は、銃声としては、映画のなかで耳にした二発目のものだったけれど、レイに埋められるときに瀕死の状態ながらも、まだ生きていたマーティが、ポケットに入っていた銃を探り当てて、レイに向かって発砲したのに、何度撃っても弾が出なかったじゃないか。それは、悪徳探偵がマーティを撃ったのが一発目ではなくて、二発目だったからだ。

 うんうん段々判ってきたぞ。じゃあ、一発目はやはりマーティが不在の間に悪徳探偵が金庫を撃っていたのだろう。マーティにアビーとレイの死体のトリック写真を見せて1万ドルの報酬を貰う場面で、マーティが写真を手に、借金して作ったという金を奥のほうへ取りに行くとき、探偵が金庫に視線をやり、金庫がクローズアップされていた。そうか、謎の三発目を映像で示すためには、少々不自然でも暴発は必要だし、その不自然さが却って観客へのヒントメッセージにもなるというわけだ。そして、何よりも大事なのは、それが最後の弾であることを示すためにマーティの空撃ちの直前でないといけないわけだ。そのための不自然な暴発か。ふむふむ。

 だから、レイが結局は持ち帰り、アビーに渡す必要のある(でないとアビーは、探偵の姿を見ないままに最後まで彼をマーティだと思いながら、マーティから貰ったその銃で探偵を撃ち殺す、スリリングで見事なラストに繋がらなくなる)銃を一旦はマーティのポケットに忍ばせておく必要があったわけだ。死んでしまっててもいいはずのマーティが瀕死の状態で生きてなくちゃいけないのも、彼に空撃ちをしてもらわないといけないからだ。でないと、結局持ち帰る銃をマーティのポケットに入れて埋めようとするはずはないし、持ち帰る気がないのなら、マーティから取り上げた後で足元のほうにでも埋めそうなものだ。焼却炉で焼くとか、すれちがったトラックに轢き潰させるとか、いかようにも始末のしようがあったように見せといて、空撃ちするまでの間、不自然なまでに引き伸ばしたのも、それによって空撃ちを際立たせるためだったのだろう。つまり、消えた一発が鍵だったわけだ。

 それにしても、デビュー作からして完璧なまでに、トリックというか作り手の必要性のために、強引ながらもきっちりと辻褄合わせをしてくる、いかにもコーエン兄弟らしいスタイルだ。実に見事に計算されている。

 しかし、ちょっと気になるのは、必然性というものが物語に登場する人物たちの必然性ではなく、仕掛けを映像で語りたいコーエン兄弟のための必然性であることが際立ってしまう点だ。そこが強すぎて、作品に感動する以上にコーエン兄弟に感心してしまう。感情を触発される以上に技巧に関心を奪われてしまう。そういう意味では、芸術的なまでに第一級のエンタテイメントでありながら、作り手の意図を越えた何ものかが宿る余地がほとんどないほど完璧に作品がコントロールされている。そのために、佳作傑作は誕生させても、偉大と言うほどの作品が生まれ出ることは、コーエン兄弟には、けっしてないような気がする。

 とは言え、ラストの手際のよさと上手さは際立っていた。あの接近の緊迫感を保ちつつ、最後まで顔を合わせることなく、アビーがマーティに襲われたと思っているままで貫徹した演出とカメラワークには、とことん痺れた。見事と言うほかない。そして、主要登場人物みんなの手を次々と渡り行くことで、その運命を翻弄したアビーの銃と、誰かの目にとまり手に渡ると事態は違ったはずなのに、マーティの机の上で魚の下敷きになったまま、けっして動くことがなかったことで、同じくみんなの運命を狂わせた悪徳探偵のライターとの鮮やかな対照も素晴らしい。拳銃とライターだけではなく、最後にアビーが生き延びるために大きな役割を果たしたレイのナイフなどにしても、小道具の使い方は天才的なまでに上手い。

 結局、あの銃とライターのおかげで男はみんな死んでしまった。発端はアビィの浮気だ。実際のところ、気をつけなきゃいけない女だったというわけだ、マーティの言ったとおり…。いや、全くお見事。

by ヤマ

'01. 1.30. 県民文化ホール・グリーン



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