『ジュブナイル』
監督 山崎 貴


 つい先頃観た『千里眼』は、いろんなキャラクター造形や演出がハリウッド映画のどこかで観たことがあるようなものばかりでありながら、きわめて貧相もしくは表層的でおよびもつかないという最悪のパターンを辿っていた。それに比べて、同じようにハリウッド映画をふんだんに連想させながらもこの作品は、貧相にも表層的にもならずに充分に観せて、いまどき珍しいほどにまっとうな少年世界の夢と冒険、ときめきを爽やかな後味とともに残してくれる。

 それにしても、思い起こしたハリウッド映画の多かったこと。テトラのキャラクター・デザインに『グレムリン』['84]を想起し、ボイド人がテレビで言葉を覚え、台詞をなぞる姿やテトラがトラックを運転して、資材を持ち出す姿に『ショート・サーキット』['86]を思い出した。範子(酒井美紀)からジーニアスの異名を授かる田舎の電気屋にして天才発明家である神崎宗一郎(香取慎吾)の研究テーマとボロ屋の実験室は、まるで『バック・トゥ・ザ・フューチャー』['85]だし、線路を歩く子供たちの姿には、『スタンド・バイ・ミー』['86]が蘇ってきた。自転車を乗り回す姿に『BMXアドベンチャー』['83]までも思い出したのだから、よほどのアメリカン・テイストが漂っていたのだろう。そういえば、謎の生命体ボイド人の宇宙からの襲来を犬が真っ先に嗅ぎつけて吠えるシーンもどこかで観たことのあるものだ。アメリカ映画ばかりではない。テトラが作った大型ロボットのガンゲリオンに乗り込んで、佑介(遠藤雄弥)が岬(鈴木 杏)救出のために戦闘に赴く姿は、まるでガンダムのようだし、ボイド人の登場の仕方やら変身形態は、円谷プロのウルトラシリーズみたいだ。そして何よりも、未来にいたった物語の顛末を見届けると、これはまるで“どらえもん”構造ではないかと半ば呆然としながらエンドロールを眺めていた。そうすると「For Fujiko F.Fujio」と出てきて、やっぱりなぁと納得。監督・脚本・VFXを一手に担った山崎貴自身のジュブナイル(少年)世界のまさに集大成とも言える作品なのだろう。

 作品のほとんど総てが、何かの、どこかのパクリのような気がするのに、作り手の確かな思い入れと素直な憧れが映画に込められているからこそ、表層的にならなかったのだろうし、貧相にならなかったのだ。それには、ロケハンやプロダクション・デザイン、VFXがしっかりしていたことが大いに貢献している。そのおかげで安っぽい亜流映画に見えてこないのだ。作り手の夢と憧れが愛情として作品に宿れば、日本映画でもこういう作品ができるようになったんだなぁと、ちょっと感心したりした。はじめのほうこそアメリカ風が少しぎこちなかったり、たどたどしかったり、わざとらしかったりもしたのだけれど、中盤からはほとんど気にならない。いろいろな形で想起されてくる映画たちを楽しんだりできたのも、それゆえのことだろうなと思う。

 オープニングのスローモーション・ショットはなかなかよくて、観ている側を緩やかに各々の持つジュブナイル世界の記憶へと誘う牽引力を備えていたが、その後ちょっと多用し過ぎた気もする。 
by ヤマ

'00. 7.21. 東 宝 3



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