“モガ・モボたちの映画祭”


『熱砂の舞』(The Son Of The Sheik) 1926 監督 ジョージ・フィッツモーリス
『モロッコ』(Morocco) 1930 監督 ジョセフ・フォン・スタンバーグ
『煙突屋ペロー』(影絵アニメーション) 1930 監督 クレジットには、表示なし
『望郷』(Pepe-Le-Moko) 1937 監督 ジュリアン・デュヴィヴィエ
 昭和初期当時に現代風の若者の呼称として流行した“モダンガール・モダンボーイの略称”を掲げる映画祭として、当時彼らに熱狂的に支持された作品を中心に戦前の映画を観る機会を得た。ちょうど大正15年(昭和元年)から昭和12年、第二次世界大戦開戦前夜までの作品だ。自由民権記念館開館十周年記念展ニッポン・モダン・ライフ100年の併設企画として開催された上映会である。

 展示資料でも映画関連資料が多かったが、こういう生活に密着した風俗的な観点で時代を語るうえで映画というのは、まさに恰好の素材だと改めて感じた。映画はまさしく同時代性のメディアである。上映されたそれぞれの作品は、ちょうど展示物の家電製品や生活様式がそうであるように、今現在のものとして鑑賞するには既にあきたらないものではありながら、往時を偲ばせる資料的価値や骨董的価値に溢れていた。そして、ノスタルジックな郷愁を誘うとともに今や失われているが故に珍しく映る新鮮さというものを感じさせてくれる。

 外国作品の劇映画の三本に共通していたのは、確固として揺るぎないスター・システムと恋愛至上主義だ。ハリウッド作品とフランス映画、サイレントとトーキーの違いを越えて共通している。ルドルフ・バレンチノ、ゲイリー・クーパー、マレーネ・デートリッヒ、ジャン・ギャバンといったスターたちが、あくまでもスターとして燦然と輝いている。そして、一目合ったその日から華咲くものこそが本物の恋で、その恋愛感情の前には、生命も富も生活も一切のものが無価値になることを謳いあげる。恋の成就の結末は、三作品が三作品とも違った趣を見せるものの、恋愛こそが生きる総てであるかのような人間観は同じである。

 美男美女であるが故に有無を言わせないという形で、こんなにシンプルで率直な一目惚れの恋をひたすら謳いあげられても、今現在の作品なら到底ついてはいけないと思われるようなドラマが、半世紀以上も昔の作品であることによって、容易に許容できるから不思議なものだ。とはいえ、スターもまた時代の寵児である以上、同時代の存在として熱気とともに見つめる視線を持ち得ないなかでは、映画史上に残る名作と言えども、今現在に生きる者に対して、かつてこれらの作品が果たし得たような形で魂に響くほどの感動を万人にもたらすことが、既にむずかしくなっている。これもまた、映画というものがまさしく同時代性のメディアであることを物語るものだと思った。

 しかしながら、『望郷』以外の三作品は全て未見だったので、『煙突屋ペロー』で戦前の日本映画にこのような反戦アニメがあったことや『モロッコ』の有名なラストシーンをこの目で確認できたことは、貴重な体験だったし、往年の大スターを目の当たりにできたのは眼福とも言える時間だった。殊にバレンチノ三十一歳の遺作『熱砂の舞』は、澤登翠さんの見事な活弁を堪能させてもらい、聴き惚れてしまった。ごく一部の映画ファンを除き、会場は専ら老年に属する人たちばかりだったが、弁士の名調子には終了後の舞台挨拶に対して声援が飛ぶほどで、ライブ感覚に富んだ素敵な上映会であった。
by ヤマ

'00.10.21.~22. 自由民権記念館ホール



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